柒
「リーフェッ!!」
石の鞭に叩かれた時、リーフェの手元から弾け飛んだのは銃だけではなかった。
あの澄んだ金属音は、リーフェの両手首にはめられていた腕輪が外れて落ちた音。リーフェは両手で握った銃を見せ付ける事で、あえて両手首への攻撃を誘った。首輪はどさくさに紛れて金具を外しておけば、後は戦闘の動きの中で勝手に滑り落ちる。
最悪の予感が当たってしまった。
ハイトは焦燥を噛み潰すように奥歯を噛みしめる。
リーフェの身には、放置しておけばリーフェの命を削るほど強大な邪水龍の力が宿っている。かつてその力のために幽閉され、殺されそうになったリーフェの命を救ったのはハイトだ。
リーフェが『王族一の水遣い』と称されるほどの力を持ったのは、邪水龍の力を抑えるために水龍がリーフェに依ったその余波であって、リーフェは決して邪水龍の力を使いこなせるわけではない。
普段リーフェが行使している力は国守の水龍のものであって、邪水龍の力は一片たりとも使っていないと聞いている。人が使いこなせるものではないと知っていたからこそ、ハイトは水龍の加護を全てリーフェへ受け渡し、己の血を固めて創った
その全ては、リーフェの命を守るため。
だがリーフェは今、その守りを自らの意志で外した。
「リーフェッ!! 馬鹿っ!! 死にたいのかっ!?」
かつて封じた邪水龍の力に身を委ねたリーフェに、ハイトの声は届いていない。今のリーフェの意識にあるのは、目の前に立ちはだかる敵を屠る事。ただそれだけだ。
「……っ、噂には聞いていたが、これは……」
リーフェの力を目の当たりにしたアドリアーナが微笑をわずかに引き攣らせた。力に中てられて恐怖を覚えたかのように、リーフェの体を縛り上げる鞭が震える。その全てを視界に納めて、リーフェは狂気の宿る笑みを浮かべた。
――どうやったら……っ!!
暴走した邪水龍の力は、リーフェの命が費えるまで止まらない。今止めなければ、この周囲どころかリーヴェクロイツ、アクアエリア一体を巻き込んで国が滅びる勢いで死気水が暴走する。
――どうやったら声が届く……っ!?
今にも己の周囲に纏わせた水を放ちそうなリーフェを見据え、ハイトは奥歯を噛みしめる。
その瞬間、コツンと足先が何かを捉えた。ハッと視線を落とせば、ハイトの足元にあったお陰で土の触手から逃れたリーフェの愛銃が視界に入る。
「……っ!!」
効力があるかは分からない。無茶苦茶なのも分かっている。
だがハイトは、反射的に腕を伸ばすと銃を手に取っていた。右手一本で銃を持ち上げ、腹の底から声を張る。
「双方、そこまでだっ!!」
凛と響いた声に、雑多な音が打ち消される。一瞬生まれた静寂の中に響いたのは、ハイトの指先が銃弾を装填させるジャキッという重苦しい金属音だった。
「さもなくば、引く」
だがそれ以上にハイトの耳に響いたのは、銃口が頭蓋を滑るゴリッという鈍く低い音だった。己のこめかみに銃を突き付けるハイトの姿が目に入ったのか、リーフェの瞳に理性が戻る。
「ハイト……っ!!」
「馬鹿、お前……ッ!!」
「俺は、俺の身に端を発する争いによって、誰かの命が奪われる事を望まない。双方、その場を引いてもらおうか」
ハイトのその姿に反応したのは、アドリアーナではなく従者二人の方だった。自身に銃口を向けられても平然としている二人が、己に銃を突き付けるハイトを目にして、目に見えてその身を強張らせる。その瞳は本当にハイトが引き金を引いてもおかしくはないという恐怖に彩られていた。
「……諍いを納めなければ、貴殿自身が貴殿を撃つと言うのか?」
対するアドリアーナはハイトが何を言っているのか理解出来ていないようだった。ハイトを見詰める表情には戸惑いが色濃く表れている。
「双方ともに俺の身代の
ハイトは淡々と答えると瞳に力を込めた。
「リーフェの銃は、経口が大きいからな。弾を受ければ、さぞかし醜い姿になるだろう。俺の外見に美しさを見出した貴殿にとっては、決して歓迎できない事態であるはずだが?」
「ハイトやめて……っ!! お願いだからっ!! こんな奴、あと五秒もすれば殺せるからっ!! だからそんな事やめてっ!! 銃を下ろすんだっ!!」
ハイトの言葉に反応するのはアドリアーナよりもリーフェの方が早かった。ここまで追い詰められながらも最後まで残っていたリーフェの余裕が剥がれ落ちる。今まで無抵抗だったリーフェの体が何とか鞭を逃げ出そうともがき始めた。
「……貴殿には引けまい。貴殿は従者二人が向ける思いを無碍にはできないはず。国を負う立場にあることも、貴殿は承知であるはずだ」
「確かに、安易に死を選ぶことはできない。だが……」
ハイトはアドリアーナを見据えたまま、銃口をこめかみから外した。その先を、改めて己の左腕に据え直す。
「腕の一本くらいなら、吹き飛ばした所で死にはしない」
「――――――――っ!!」
声にならない悲鳴が誰のものだったのか判断する余裕はなかった。だがリーフェとヴォルトが息を呑み、さらに血の気の失せた顔を見せた事だけは分かる。
「俺はアクアエリア王族の欠陥品だが、傷口から溢れる己の血を止めるくらいの力はある。人体構成のほとんどが水だ。生物体は『
もちろんハッタリだ。『水繰』で出血を止める事は出来るが、痛覚を鈍らせる事は出来ない。出血を止められたとしても、それで命が助かる保証もない。万が一アドリアーナが『やってみろ』と言ったら、ハイトは間違いなく自らを窮地に立たせる事になるだろう。
だが、覚悟だけは本物だった。
ハイトには、腕一本を失ってでも、この争いを納める覚悟がある。開戦を指示した者として、事を納めなければならない責務がある。
「俺がアクアエリア王族の欠陥品と言われるに至った経緯を、貴殿は御存知であるはずだ。その事を踏まえて考えれば、これがただのハッタリではないと理解して頂けると思うのだが?」
その覚悟を瞳に込めて、アドリアーナを睨み付ける。銃を握る右手に力を込めれば、グリッと筒先が腕の肉をえぐる感触が伝わってきた。
「さあ、御判断は如何に。リーヴェクロイツ王、アドリアーナ・ジェルド・ルイ・リーヴェクロイツッ!!」
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