肆
「美しき者にふさわしくない」
低く朗々と響く美しい声。カーテンとともに翻る長い髪は、豊かな土壌を思わせる濃い茶色。ゆったりとした衣服は、リーヴェクロイツの王宮仕様。遠目でも上質だと分かる衣服を威厳とともに纏うその男は、すれ違えば誰もが振り返らずにはいられないような美丈夫だった。
「リーヴェクロイツ王……!!」
リーフェが驚きと苦みの入り乱れた声で、その男の肩書を呟く。
男の登場は、リーフェにとっては予測される結果の一つだったのだろう。瞬時に何事かを悟ったリーフェは他国の王に容赦なく拳銃の筒先を向ける。
「裏で糸を引いていたのは貴方か! リーヴェクロイツ王、アドリアーナ・ジェルド・ルイ・リーヴェクロイツ!!」
リーフェの言葉に、王は優雅な笑みで応えた。その笑みにリーフェがギリッと奥歯を噛み締める。
「どういう意味だ、リーフェ。どうして俺達がリーヴェクロイツ王に追われていたと知っている?」
「衣装合わせに呼んでも出てこないお前の様子を確かめに行ったら、リーヴェクロイツ特産の光沢紙を使って、身代金一億リラを要求する脅迫状が残されていた」
アドリアーナを睨み付けるリーフェにハイトの問いに応える余裕はないようだった。その代わりに長刀に手を掛けたヴォルトが口を開く。
「賊とは鉢合わせしたのか? ハイト」
「いや、どうやら俺はその前に執務室を出たらしい。サラが会いに来てくれて、二人で話がしたいと言われたから、散歩程度のつもりで外に出たんだ。その出先で熊に水晶の紋章を彫った剣を持つ一行に襲撃された。一旦撒いたんだが、そのまま放置する気にもなれなくてな。真実を探ろうと思ってここまで来た」
「いや、そこは一旦城に帰って来いよ。発狂しかけたぞ、主にリーフェが」
「すまん」
短い言葉で互いの状況確認は終わった。
どうやらハイト達は、城に忍び込んだものの空振りに終わった襲撃者一行にどこかで姿を目撃されてしまったらしい。一行は空手で引き揚げる訳にもいかず、見かけたハイトをこれ幸いと尾行したのだろう。そういえばやつらは最初に『王城を訪れた時は空振りに終わってしまったが』というような事を口にしていた。
執務室にわざわざ手紙を残した意図も、なぜあえてアクアエリア王城に忍び込んでまでハイトに一億の身代金を懸けようと思ったのかも分からないが、とりあえず残された脅迫状を見付けた二人がリーヴェクロイツを目指す途中でハイトの事を見付けた。だからこんなにも早くここに着く事が出来たのかとハイトは脳内で時系列を整理して納得する。
「先の一件は既に解決したはず。それなのに何故、我が殿下に固執なさるのか。訳を御訊ねしても
そんなハイトを後ろに庇い、リーフェが口火を切った。常になく低いリーフェの声は場の空気をピンと張り詰めさせる。
だがその緊張を前にしても、アドリアーナが纏う優雅な空気は微塵も揺るがなかった。わずかに小首を傾げたアドリアーナは、笑みさえ感じさせる声でリーフェの問いに答える。
「先の一件……? ああ、王家領の森を、ボルカヴィラの関わりで荒らされたあの件か。あれしき、瑣末なこと。リーヴェクロイツの土は豊かだ。あの程度、すぐに回復しようて」
「……ならば何故、国王御自らこのような賊を仕立て、我が殿下を害そうとなさるのか。他に遺恨がおありか」
リーフェの言葉にヴォルトが長刀を抜く。ハッと視線を下げればいつの間にか一階の硝子扉が開かれ、音もなく兵が中庭へ滑り出ていた。中心にいるのはキルナ川で撒いた賊の大将だが、従っている兵は皆リーヴェクロイツ国軍の軍服を纏っている。
相手は自分の手勢を賊と偽る事をやめた。正規の武力を動かしてきたのだ。こちらも本気で叩き潰さなければ、降りかかる火の粉を払う事などできない。
ハイトは自分を庇って前に出るヴォルトの肩越しに相手の勢力を計った。
頭数は明らかに増えている。統制も武具も、数段質が上がっているだろう。逃げ道になるかととっさに来た細道を振り返ったが、その細道の向こうには町の住人がハイト達を探して走り回っている気配がある。
「……追い込まれたか」
「この町には確か、軍関係の施設があったはずだ。どうやらあれがその建物みてぇだな。最悪な場所で落ち合っちまったぜ」
「誘い込まれたのかもな」
ハイトとヴォルトの会話に耳をそばだてていたサラがキュッとドレスの胸元を握り締めたのが分かった。そんなサラを庇う位置へキャサリンがソロリと移動する。
「遺恨など。私は中立国の王だ。他国に遺恨など抱かぬよ」
リーフェとアドリアーナの問答は続いている。会話が続いている間は、兵も無体な真似はしてこないはずだ。
だがこの問答は決して長くは続かない。相手は最初から武力を以って事を成そうとしている。向こうが圧倒的に有利な今、いくらリーフェが弁舌巧みに説得しても『はい、そうですか』と相手が引き下がる事など天地が引っくり返ってもあるはずがない。
「私はただ、美しいモノを集め、私の手元で愛でたいだけ」
それでも何か交渉の余地がないかと、ハイトは記憶を掘り返す。だが『外交の裏方事務を捌いている自分ならば何か有利な情報があるはずだ』と信じて脳内を漁ってみても、リーヴェクロイツとは揉め事がないせいか実にどうでもいい情報しか出てこない。
曰く、リーヴェクロイツ王アドリアーナは
アドリアーナが『美しい』と感じる対象は幅広く、鉱物から芸術、そして人間までその域は至るらしい。収集されたモノは、後宮にある己の
「私は前のボルカヴィラ王太子の結婚式に参列しておっての。ボルカヴィラ王家の醜態は不快であったが、そこでふたとない美しきモノに出会えたことは果報であった」
その言葉にハイトはあの時の光景を思い出す。
溶岩の光で赤黒く浮かび上がった式場。その塔の上に立つ少女は深紅と黒に彩られ、薔薇の花とも火炎の精霊とも思える程に美しくて。
そんな脳裏の光景とともに、己の傍らに立つ少女へ視線を向ける。
こうして一緒にいるとその破天荒な性格にばかり目が行って忘れがちだが、サラは『フローライトの
ハイトはさりげなく立ち位置をずらすと、アドリアーナの視線から隠すようにサラを己の影に入れた。
だがそんなハイトの行動は、次の瞬間のアドリアーナの言葉に蹴散らされる。
「国守の神を従えし藍玉の君。ハイトリーリン・ミスト・フレイシス・リヴェルト・アクアエリア殿下……っ!!」
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