「アパルトマンの中庭……かしら?」


 二人が出た先は、建物の背面に囲まれた広場だった。隣接する建物から大きなバルコニーが広場に向かってせり出している。建物の装飾や内側に釣られたカーテンは遠目でも高級品と分かる代物ばかりで、恐らく富裕層の別邸なのだろうとハイトは当たりを付けた。


 だがそれにしては中庭があまりにも殺風景だった。


 六角形に切り取られた広場は、花壇こそ切られているものの草木の姿はなく湿った土が露出している。中庭や広場と言うよりも、空き地と表現した方が適切な荒れ具合だった。富裕層の屋敷ではあるが、別邸の中庭如きに庭師ガーデナーを雇うつもりはないという事だろうかとハイトは一瞬だけどうでもいい事を考える。


「さて、あの二人をどうここに呼び寄せるか……」

「もう来てくれたみたいよ」


 小さく呟いた瞬間、フワリと頭上に影が差す。


 上を見上げるよりも、重たい着地音を立てながら見慣れた二人が視界に飛び込んでくる方が早かった。


「リーフェ、ヴォルト、よく来……」

「ハイトッ!! 君を一億リラぽっちで誘拐しようっていう不届き者はどこにいるのっ!?」

「は? 一億リラ?」

「遠慮するこたぁねぇぞ、ハイト。そいつらがお前の価値を分かってねぇだけだ。俺達がその事をきっちり分からせてやるからな!!」

「……は?」


 安堵が胸を満たして自然に笑みが零れる。だがその笑みはものすごい剣幕で二人がまくし立てる言葉を前に凍り付いた。


 二人が近年稀に見る勢い怒り狂っている事と、その怒りが二人に無断で城を出たハイトに向けられている訳ではないという事は分かる。しかしそれ以外の意味がサッパリ分からない。


 とりあえず。


「……いや、一億リラは安かねぇだろ」


 一地方の行政予算程度レベルの金額は、決して安いとは言わない、多分。


「姫様っ!! ご無事でしたかっ!?」


 殺気立つ二人に対してハイトが目を瞬かせている間に、二人と一緒に登場したキャサリンはサラに詰め寄っていた。キャサリンの両手がパタパタとドレスの上からサラの体を検める。


「キャサリン! 旅団の方はどうしたのっ!? キャサリンまでいなくなったら大騒ぎじゃないっ!!」


 腹心のメイドの登場は嬉しいものの、やはり気になる所はそこなのだろう。キャサリンの登場に一瞬表情を緩めたサラが、すぐに険しい表情で詰め寄り返す。


「そちらは大丈夫です。優雅な宰相殿が万事解決してくださいますので」

「え? 優雅な宰相?」

「ひとまず大切なのは、ハイトを城から掻っ攫った連中に地獄を見せる事だよ。ねぇハイト、ヤツらはどこにいるの? ヤツらにまで優しさを発揮する必要なんてないんだよ? ねぇねぇねぇ、ハイトったら!!」


 フローライト側の事情も気になるのだが、ひとまずこのリーフェをどうにかしなければ危険だ。瞳の色を誤魔化すために掛けているはずである眼鏡の上からでもリーフェの瞳に青い燐光が舞っている事が分かる。口元にはいつものように喰えない笑みを浮かべている癖に、身に纏う空気にはありありと殺気が漂っていた。両手に握り締めたままの二丁銃と相まって、ハイトにはその姿がいつ爆発するか分からない不発弾のように見える。


「落ち着け、リーフェ。事情がサッパリ分からん。俺はサラと一緒に城を出てきたんだ。誘拐だの、一億リラだのなんだのというのは初耳……」

「え? ハイトを誘拐した犯人はサラなの?」

「姫様がハイト様を誘拐したっ!?」


 リーフェが首だけを動かしてサラの方を見る。すぐ目の前で首の関節だけをきっちり右へ九十度回転させるリーフェの動きはまるで人形のようで不気味だった。カク、カク、とこれまた壊れた人形のような動作で拳銃を持ち上げたリーフェは、そのまま筒先をサラに向ける。


 一方パニックに陥っているのか、素っ頓狂な声を上げたキャサリンはサラの両肩に手を置くとサラを激しく前後に揺さぶっていた。振動シェイクされたサラが目を白黒させている。


「誤解!! それは誤解よキャサリンッ!!」

「落ち付けリーフェ! これには深い訳があるんだっ!!」

「落ち着いてなんていられねぇよハイト!!  ひとまずキッチリ落し前付けねぇと気が済まねぇっ!!」

「……殿下に仇成す者には死を」

「だから落ち着けって!!」


 殺気立つリーフェとヴォルト、パニックに陥ったキャサリン、振動シェイクされ続けて魂が抜けかけているサラ。その誰もが平常心を失っている。これではせっかく合流出来たのに事情説明もままならない。


 唯一平常心に近い心持ちでいるハイトは、一つ静かに息をつくと両手を拳の形に握りしめた。


 とりあえず、アクアエリア側は沈めよう、物理的に。従者サイドにも、何かこちら側で予測出来ない事態が出立しているのだという事だけは分かった。物理的に静かにしてから、まずは向こう側の事情を聴こうではないか。


 というか本来、こういう頭を使う事はリーフェの仕事のはずではないのか。何を柄でもなく錯乱していやがる、この天然字引き。


「騒々しいのぉ、藍玉の君の従者達は」


 拳を振りかぶるために足に力を込める。だがその力が発揮される事はなかった。


 突然響いた声に従者三人が即座に反応する。バッとそれぞれが得物を構えて振り返った先には、先程ハイトが注視していたバルコニーがあった。いつの間に硝子戸が開かれていたのか、今その窓から零れ落ちたカーテンは中庭を吹き抜ける風に揺られて大きくはためいている。


 そこに、人が立っていた。





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