「……あっ!! コラッ!!」


 ヒラリと背後の堤防に飛び乗り、サラの体を上へ引き上げる。サラがしっかり両足で堤防の石垣を踏みしめた事を確認してから、ハイトはサラの手を取ったまま堤防の上を走り出した。手を引かれたサラはつんのめりながらもハイトの後ろを付いて来る。とっさに伸ばされる腕を避けて走れば、あっという間に包囲網から抜け出す事が出来た。


「ラッキーだったわね! 何かは分からないけど……」


 背後を気にしながらもサラが口を開く。今なお続く破裂音に気を取られた群衆は、ハイト達を追うべきか音の発生源を探るべきか判断できずに右往左往している。上手くいけばこのまま撒けそうだ。


「いや、幸運ラッキーというか、あれは……」

「え?」

「どうやら、追い付かれたみたいだ」


 チラリと背後を窺い、追手が遠く離れた場所にしかいない事を確かめてから石垣の下へ飛び降りる。そのまま雑踏へ身を踊り込ませた時点で背後から聞こえていた破裂音は消えた。器用に人混みをかき分けて進んだハイトは、サラの手を引いて適当な裏路地へ飛び込む。そのついでに頭から被っていた上着をはぎ取って小脇に抱える事も忘れない。


「ハイト……っ!! 追いつかれたって……っ!!」


 背後から聞こえるサラの声には荒い呼吸が混じっていた。ハイトが手を取って走っているから何とか足を動かしているが、サラの体力的にはもう限界が近いのだろう。


 その事を察したハイトは、さらに路地の角を曲がると木箱が積み上げられた陰に身を隠して足を止めた。サラをその陰に引き込むと、苦しそうにドレスの胸元を掴みながらもサラは必死に問いを投げてくる。


「まさか、リーヴェクロイツの……」

「いや、違う」


 サラの問いに短く答え、周囲に視線を走らせる。裏路地をこちらに向かって走る足音が小さく聞こえてきた。そっと木箱の陰に身を引きながらも、表に向けた視線は逸らさない。


「あいつら……俺に隠して超能力でも持ってたんじゃねぇだろうな」

「え……?」


 さっき響いた銃声音。


 あの破裂音は、ハイトにとってはこの上なく耳に馴染んだ音だった。本人はひそやかに練習しているつもりだろうが、あれだけの音が響くのだ。ああ、今日もやってんな、と毎日のように耳を傾けていた。なんなら、昨日の朝、衣装合わせの前にだって聞いていた。


 だから、分かる。


「リーフェとヴォルトが、近くまで来てるみたいだ」

「え? でも……!!」

「今の音は、リーフェの二丁銃の発砲音だ。多分、こっちの状況に気付いて囮役を買ってくれたんだろう」

「でも、ハイトがこっちの状況を伝えたのは、今朝のことなんでしょう? 伝書鳩は夜間には飛ばせないわ。早くても今朝の夜明けと同時にしか連絡できなかったはずなのに、どうしてもうここにいるの?」

「さてな。俺にも分からん」


 表通りを行く足音はハイト達が隠れる路地を通り過ぎていった。その後にも幾つか音が聞こえたが、全てがこの路地を通り過ぎていく。耳を澄ませると『いたぞ!』『あの藍色だ!!』『追え! 逃がすな!!』という声が微かに聞こえてくる。


「それでもハイトは、あの音がリーフェの音だって思うのね?」


 サラの問いに視線を向ける。


 息を整えたサラは、いつも通り力強い笑みを浮かべていた。そこには呆れも疑いもない。問いの形を取ってはいるが、サラがハイトの言葉を心の底から信じてくれている事がその表情で分かる。


 だからハイトも、笑みとともに答えた。


「ああ、確実にな」

「信じるわ。ハイトのことが大好きなあの二人だもの。きっと手紙を受け取るより前に、ハイトのことを追っかけてきちゃったんだわ」

「あいつらが相手だと、たとえ本気の駆け落ちであろうとも追い付かれそうな気がして怖いな」

「どこへ行こうとも、先回りして待ち構えられるんじゃない?」

「……何だか、それもどうなんだ?」


 想像してみたら、何とも言えない表情が浮かんだのが自分で分かってしまった。


 こんな事態に直面しているのに、脳内に浮かんだ従者二人は実にお気楽な態度で得意満面の笑みを浮かべながら『ほーらな、絶対こうなると思ってたんだ』『ハイトの思考って、やっぱり読みやすいよね』なんて言っている。


「……」


 自分の想像なのに、何だか無性に腹が立つ。


 とりあえず想像中の二人の脳天に拳を振り下ろすと、ハイトはサラへ片手を差し出した。


「サラ、動けるか? あいつらと合流する。王宮への殴り込みにも協力して貰おう」

「そうね。そもそもこんなことになって、あの二人が黙っていられるとも思えないもの」


 サラの手が、ハイトの手に重ねられる。その手を握りしめて、ハイトは木箱の陰から動き出した。表通りの動向に気を配りながら、路地をさらに奥へ進む。家々の裏口を繋ぐ細道は、いくつもの分岐や合流を見せながらクネクネと先へ続いているようだ。


 幸いな事に、今の所この裏路地に人影はない。だが周囲の表通りでハイト達を捕まえる事が出来なければ、捜索の手は必ずこの細道まで伸びてくる。そうなったらハイト達は袋の鼠だ。地の利は相手側にあるのだから。


 どこかでリーフェ達と合流し、さっさと表通りの雑踏に紛れた方がいい。どこか落ち合うのにいい場所はないかと周囲を見回すと、分岐した路地の先に明るい光が見えた。どうやら開けた場所があるらしい。


「サラ」


 ハイトがその先を示して手を引くと、頷いたサラがハイトに続いて光の方へ足を向けた。薄暗い、人一人通るのがやっとという細道を抜けて、光の下へ足を踏み入れる。





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