4.


 右腕に梟を止まらせたまま、男は上着のポケットに手を滑り込ませた。引き抜かれた手の中には古代文字が刻まれた小石が二つ握られている。


 男は右腕の梟を宙へ解き放ちながら小石を手の平の上に乗せた。まどろむ風情を見せていた梟が強制的に叩き起こされ、不服を表すかのように琥珀の光を撒き散らす。


詞梟ミネバ、サラのためなのだ。力を貸しておくれ」


 そんな梟に苦笑を向けた男は、右手の人差し指と中指を伸ばして構えるとその指先を自身の唇の上へ置いた。その構えはサラが力を発現させる時に見せる仕草に似ている。


 男が何をしようとしているのか悟ったキャサリンは思わず息を呑んで動きを止めた。おそらく寝室に潜んでこちらの様子をうかがっている二人も、同じように息を止めていることだろう。


 そんな一行の前で、唇から離した指を小石の上で滑らせながら、男は古い言葉を紡いだ。


我に宿りし力よアシェル・リデ・ハイデン・ウェルディ 我が意志を受けて顕現せよアシェル・ヒライデ・イッセル・ヴィラーディア


 指の軌跡に光が散り、宙に文字が描かれる。絶えることなく描かれる複雑な文字は、次々と二つの小石に吸い込まれていった。光を吸った小石がその色に染め上げられたかのように、内側からポゥッと微かな光を宿す。


望みの人の形代よファナライズ・ビクティラ 文字の世界の彼方より此方へ参りませミラディリア・ディス・フローリア


 その上をかすめるように、梟が舞った。梟からひときわ眩しい光が零れ落ちる。


 スゥッとその光を吸い込んだ小石は、パァッとまばゆい光を発した。まばたき一つの間に、その光は小石から人形へ姿を変える。輪郭だけだった人形はやがて面立ちを作り出し、衣服をまとい、色を装い、軽やかな音とともに床を踏みしめ、キャサリンの前に立った。


「……わしが創り出した虚像だ。他の誰にも見破れぬ。お前がサラの元へ向かっても、旅団は問題なくアクアエリア王城に入ることができよう」


 小石から作り出されたのは、サラとキャサリンの姿をそっくりそのまま写し取った虚像だった。『詞繰ライティーディ』の力で顕現されたとは思えない質感を宿したサラの虚像は、パチパチと瞬きを繰り返すと、キャサリンに焦点を合わせてニコリと微笑む。


「ひめ……っ」


 姫様、と呼びかけそうになった唇をキャサリンは無理矢理引き結んだ。目の前で生成される過程を見ていたはずなのに、そのことを思わず忘れてしまいそうになるほど、創り出された虚像は現実味を帯びていた。サラの最も傍近くに侍るキャサリンでさえそう感じるのだ。他の者が違和感を抱くことはまずないだろう。


「行くが良い。アクアエリアの御方がこちらへみえているのだろう? 先方で何か異常が出立したようだな」


 ――フローライトの虚像兵


 『詞繰』の力で万の兵を作り出すその技術を持つ者は、フローライト王を除いて他にない。


 神と通じる至宝を持たずとも詞梟と通じ合えるその王は、宰相の姿を借りたまま王としての顔を見せた。


「サラの傍近くにあり、サラを守り、サラの力となるのがお前の役目だ。そして、サラとともにハイトリーリン殿下を助ける力になりなさい。フローライトは、ハイトリーリン殿下に多大な恩義がある。力を出し惜しみすることなど、決してあってはならぬぞ」


 その言葉にキャサリンは深く膝を折ると、ドレスの裾をつまんで頭を垂れた。


 サラの『詞繰』の力が破られるのと同時に、まとう衣服もメイド服に戻った。その戦装束とも言える姿で、キャサリンは己の主の父親へ礼を取る。


「御言葉のままに」


 低く短く答え、奥の扉へ向かって身を翻す。ドアの隙間から様子をうかがっていた二人が突進するキャサリンを見て左右へ飛び退くのが気配で分かった。


 だからキャサリンは扉を開く手に容赦なく力を込めた。バンッとバキッの中間のような、開いたのか壊れたのか定かでない破壊音に二人がギョッとキャサリンを見やる。その視線に満足したキャサリンは、寝室の中へ飛び込みざま二人に向かって言い放った。


「予定変更です! 私もリーヴェクロイツへ同行しますっ!!」

「お、おぉっ!?」

「というよりも女中メイドさん、向こうの室にいるのって……っ!!」

「ええ、見た通り、旅団の最高責任者の宰相殿です」


 キャサリンは窓の下に置いてあったボストンバックに手をかけると背後を振り返った。


 扉の左右に分かれて飛び退った二人はそれぞれ己の得物に手をかけている。ヴォルトはともかく、リーフェがキャサリンと向こうの部屋に交互に視線を飛ばして分かりやすく動揺している姿は見ものだった。曲者っぷリで有名なこの賢者がこんな挙動を取る所など、そうお目にかかれるものではないだろう。


 キャサリンはクスッと笑みをこぼすと寝室の窓を大きく開いた。広く取られた窓は、キャサリンを手招くかのように夜気を漂わせる。


「もっとも、いつもより冗談が通じる、かなり親バカ宰相殿ですがね!」


 夜気をはらんだ風に軽くなった髪と服を翻しながら、キャサリンは躊躇うことなく窓の外に向かって飛んだ。二階程度の高さはキャサリンにとって恐れるものではない。アクアエリアの二人にとってもそれは同じだ。


 ボストンバックを担いだキャサリンが膝をたわめて衝撃を殺していると、続いて窓から身を投げた二人が左右に次々と着地した。二人はそのまま勢いを殺すことなく走りだす。キャサリンはその後ろに無言で続いた。先頭を走るヴォルトの後ろに片手に銃を携えたままのリーフェ、さらにその後ろにキャサリンが続く並びだ。


 キャサリンの前を行くリーフェが、チラリと視線を向けて口を開く。


「旅団を離れるつもりはなかったはずなのに、随分用意がいいんだね」


 キャサリンが担いだ鞄の中身のことを言っているのだろう。サラを追うことはできないと理解していながらも、キャサリンはサラの分の荷造りをするのと同時に、自分の旅支度を詰め込んだこの鞄も用意していた。いつでもサラのことを追いかけていけるように、人目につかない、だがいつでも手に取れる場所にこの鞄を置いていた。


「……主の行く先ならば、どこへでも付いていきたい。そう思うのが、従者としての自然な心持ちだと思うのですが」

「まぁ、そうだよね」


 瞳を伏せて答えたキャサリンは、すんなり向けられた肯定の言葉に瞳を上げた。


 視線を向ければ、リーフェはすでにキャサリンから視線を外している。


「そう思うからこそ、僕達もここにいるんだ」


 リーフェは己に言い聞かせるように呟くと、右手に握り込んでいた銃を後ろ腰に戻した。


 街道沿いに植えられていた並木が途切れ、大きな石造りの橋が姿を現す。ヴォルトはその橋を渡らず、欄干と並木の隙間に身をねじ込むようにして橋の下へ飛び降りた。続くリーフェの後に従い、キャサリンも橋の下へ身を躍らせる。闇が重くはびこっていて視界は利かなかったが、ブーツのかかとがカツンと板張りの床を捉えたのが分かった。続く揺れから察するに、ここは舟の上なのだろう。


「操船技術をお持ちですか?」


 片膝をついて体勢を安定させながら船尾に立つ二人へ視線を向ける。


 アクアエリア領内では、発達した水路網を駆使した舟での移動が主な交通手段だと聞いている。主思いな従者二人が、己の主の快適な道行きのために操船技術を身につけていてもおかしくはない。


「ハイトほど上手くはないけどね」


 だが棹を握ったリーフェの返答は、キャサリンの予想とは違ったものだった。


「まぁ、『水繰アクアリーディ』が補助として使える分、ヴォルトよりはマシって所かな」

「おい、『水繰』は反則だろうが。それを抜きにすりゃあ俺とお前の腕はあんまり変わんねぇっつの」

「え? お待ちください。ハイト様のために操船技術を身につけたのではなく?」


 舟を係留していた荒縄をヴォルトが手早く解いた。リーフェが棹を差して舟を押し出せば、舟は滑らかに流れを進み始める。


 月明かりの下に出た舟の縁は、青色に装飾されていた。アクアエリアで一般的に使われる舟の縁は白木だと聞いている。青はアクアエリア王族を象徴する色だ。どうやらこの二人は、アクアエリア王城の舟を勝手に持ち出してきたらしい。


「僕達の棹捌きは、ハイトの見様見真似なんだよ」


 月明かりが眩しいせいか、それとも苦い感情を噛み締めたせいか、リーフェが分厚い眼鏡の下で瞳をすがめたのが分かった。


「むしろハイトが船頭顔負けの腕前になっちゃったから、僕達が慌てて棹捌きを覚えることになったんだ」

「それは、どういう……」

「この話題はあんまり突っ込んで来ないでくれねぇか、キャサリン」


 キャサリンの問いは、中途半端な形でヴォルトにさえぎられる。思わずキャサリンが険のある視線を飛ばすと、ヴォルトもリーフェと似通った苦味の走る表情を浮かべていた。


「これは、俺とリーフェの恥みたいなもんだからな」

「恥?」

「そう。俺とリーフェが余りにも頼りなかったから、ハイトに余計な心配を掛けさせた。臣下としての恥なんだよ」


 そう言葉を続けながら、ヴォルトは微かに笑みを浮かべた。昔を懐かしむような、呆れているような、それでいて悲しみもあるような、そんな複雑な笑みを。


「俺達なんて御荷物、気にする事なく捨て置いてくれても良かったのに。もっと俺達の事を、便利に使っても良かったのに。それなのにあいつは、いつだって何にだって、絶望的に優しすぎる」


 その言葉に、キャサリンは言葉を返すことができなかった。


『突っ込んでくれるな』と言いながら、珍しく独白をこぼすヴォルト。対して普段は口数が多い方であるリーフェは、痛みに似た表情を浮かべたまま口を開かない。部外者であるキャサリンが簡単に口をはさめる雰囲気ではなかった。


 舟はゆったりと流れの中を進む。穏やかな流れは微かな水音さえ響かせない。周囲は月影が降り注ぐ音が聞こえそうなほど静まり返っていた。


「……だからこそ、僕達がしっかりしてないといけないんだ」


 その静寂の中に溶け込ませるかのようにリーフェの独白こぼれた時には、どれくらいの時間が経っていたのだろうか。


「ハイトのお人好しは変わらないし、変えられない。それはずっと付いてきた僕が一番良く分かってる。僕がひねくれてた方が、足して割ると丁度いいんだ」

「俺『達』、だろ?」


 リーフェの言葉とともにパシャリと棹が水面を叩く。その水音に合いの手を入れるかのようにヴォルトが両手を打ち鳴らした。乾いた鋭い音は、一行に漂っていた湿っぽい空気を打ち払う。


「三で割って丁度いい位に毒気は調整してくれよな」

「何? 自分は無毒でも言いたいの?」

「お前よかマシだろ、お前よか」


 ヴォルトの軽口を機に、リーフェの雰囲気は普段の飄々としたものに戻っていった。パシャリ、パシャリとリーフェの操る棹が軽やかな水音を奏でる。


「さて、じゃあ、先を急ごうか」


 リーフェの左手がフワリと宙をなでる。その軌跡に舞った青い燐光が舟に降りかかると舟足はグンと早くなった。夜目でも周囲の光景が飛ぶように過ぎていくのが分かる。


「目指すはアクアエリアの西端にしてリーヴェクロイツの東端。ローウェルだ」






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