2.
だがキャサリンがいくつも胸中に転がした疑問は次の言葉で蹴り飛ばされていた。冷たく投げかけられた問いは、すでに宿に出入りの酒屋という体面をかなぐり捨てている。
キャサリンは素早く扉を押し開くと、その隙間からハンマーの柄を突き立てた。その先は相手を捉えられないまま、ガキンッという鈍い金属音とともに阻まれる。
「……随分いい突きを喰らわしてくれるじゃねぇの」
ハンマーの柄は、鞘に納められたままの長刀で受け止められていた。その主が扉の向こうから凄みのある笑みを向けてくる。
「いつ王女から武官へ鞍替えしたんだよ、えぇ? サラ様よぉ」
「ヴォルト、これは女中さんの方だよ。なぜだかサラの格好をしているけどね」
そこにいたのは、キャサリンが予測した通りの二人だった。廊下に二人の姿しかないことを確かめたキャサリンは、扉を大きく開けて体を半身に捌く。
「お入りください」
通路を空けながら二人を室内へ招くと、二人も戸惑うことなくスルリと招きに応じた。もう一度周囲に人影がないことを確認してから扉を閉め、キャサリンは二人を振り返る。
「どうなされたのです? お二人だけですか?」
「そっちこそ、どうして女中さんがサラの格好をしているわけ?」
旅装のマントを翻しながらリーフェは不機嫌そうにキャサリンを見返した。その隣に肩を並べるヴォルトもそこはかとなく殺気を放っている。
「リーフェ、埒が明かない。押し掛けたのはこっちだ。先に話そうぜ」
その空気だけで、ハイトの身に何かがあったのだということだけは分かった。アクアエリアに、というよりも、ハイト個人に。
この二人が忠義を尽くす相手は、アクアエリアの国や王族という大きいものではなく、ハイトという個人だ。ハイトが心穏やかに健やかでいてくれさえすれば、この二人はアクアエリアという国が滅びようともまったりとお茶会を楽しんでいられる。そういう人間であることは、先の旅を通して嫌になるほど知った。
だからこそ、キャサリンの胸は騒ぐ。ハイトに何かがあったならば、ハイトの元に向かったサラにも異変があったはずなのだから。
「ハイトが攫われた。相手は恐らく、リーヴェクロイツ」
「っ……、なんですって?」
「背後にはリーヴェクロイツの高位貴族が絡んでいる。相手は王宮のハイトの執務室まで乗り込んで、身代金を要求する手紙を残していった」
だがまさか、そこまでの事態が起きていたとは予想もしていなかった。
予想外の言葉に、キャサリンは一瞬ポカンと口を開けたまま固まってしまった。だがそんな時さえ惜しいと、唇は勝手に問いを紡ぎ始める。
「王宮の警備はどうなっていたのです? そもそも、あの鉄壁の水防壁を乗り越えて浸入できる賊がいたとでも?」
口ではそう言い募りながらも、そういう賊がいたという確証があったからここまで出向いてきたのだということくらい分かっていた。
この二人とて、そう簡単に城中を留守にできる立場にあるわけではない。特にハイトが姿を消した今こそ、この二人はその代役として城に詰めていなければならないはずだ。それを放り投げてここにいるのだから、それ相応の決意と確証が二人の中にはあるに違いない。
「アクアエリア城中の方に、このことは」
「下手に吹聴すれば、ハイトの名前に傷が付く。それに中立国との揉め事の種を表に作るのは厄介だ。僕達の所で握り潰した」
「婚約式はどうなさるおつもりで?」
「三日後までに片を付けてハイトがアクアエリア王城に帰ってくれば、問題はそもそも発生しない」
キャサリンの問いに、リーフェは強い口調で答えた。解決の目処が立っている訳ではないのだろう。できる、できないではなく『必ず片を付ける』という断定形の言葉をあえて使ったのは、そこにリーフェの決意が込められているからだ。
「ハイトの城中不在を周囲から誤魔化すためには、婚約式当日よりも早く入城するサラの協力が不可欠。だから僕達はこうして事情説明にやってきた」
という訳だけど? とリーフェは言葉尻でフローライト側の事情説明を求めてくる。常ならば分厚い瓶底メガネの奥に隠されている瞳が、レンズを通り越して殺伐とした視線を飛ばしていた。切れ者であることを隠すために意図的に発されている天然ボケの空気は、今のリーフェには欠片も存在していない。
「姫様は本日明朝、アクアエリア王城へ向けてお一人で出立なされました。こちらの不穏分子の存在をお知らせするためです。その不在を誤魔化すために、私がこうして姫様の姿をお借りしております」
だからキャサリンも、事実を手短に伝えることにした。アクアエリア側が事実をつまびらかにしているのに、こちらの事実をひた隠すメリットがキャサリンにはない。
「不穏分子?」
その言葉にリーフェが反応を見せた。小さくあごを引いて肯定したキャサリンはリーフェを見据えたまま口を開く。
「こちらの旅団に身分を隠して、フローライトの王族が極秘で随行している可能性があります」
「……うちの殿下に、これ以上厄介事を持ち込まれるのは御免だよ」
第二王子をその智能で支える右腕は、キャサリンの短い言葉で全てを察したようだった。リーフェを取り巻く空気がさらにトゲをまとう。
「それはお互い様です」
「それで? 女中さんはこれからどうするの? このままサラに化けたまま王城入りするつもり?」
『ハイトに異変を伝えに行ったサラが帰って来ないというならば、サラも異変に巻き込まれている可能性が高いよね?』と言いたいのだということは、その語調で分かった。
「そちらはリーヴェクロイツに殴り込みですか? その貴族とやらに目星はお付きで?」
だが分かった所でキャサリンに取れる手段は一つしかない。必死に落ち着けていた不安を逆なでされたような気がして、押し込んでいた殺気が声に乗ってしまうのをキャサリンは誤魔化すことができなかった。
殺気と挑発を含んだ語調にリーフェが気付かないはずがない。キャサリンの問いを受けたリーフェが眉を跳ねあげる。
今や部屋の空気は、それぞれが醸し出す焦燥と殺気で殺伐としていた。もしもこの部屋に双方の主が臨席していたら、当の主達が窒息寸前まで追い詰められていたことだろう。
「……私までいなくなれば、旅団は大騒ぎになります。姫様の不在を誤魔化す手立てが他にない以上、私はこのまま旅団に従い、王城入りするつもりです」
睨み合いに先に折れたのはキャサリンの方だった。
溜め息の中に言葉滑り込ませると、リーフェの視線が一度ヴォルトへ向けられる。視線だけで相談を済ませた腹心達は、最後に一つ頷き合うとキャサリンへ視線を戻した。
「リーヴェクロイツの王城付近には、貴族達の屋敷が軒を連ねている官僚街がある。そこまで行けば、
「姫様は、ハイト様と一緒に賊に拉致されたと考えますか?」
旅団から離れられないキャサリンは、サラの捜索をこの二人に託すしかない。そのことももちろん理解しているはずなのに、リーフェからの返答は実にそっけないものだった。
「さぁね」
「さぁねって……っ!!」
「僕達はハイトを連れ戻しに行くのであって、サラは目的じゃないからね。まぁ、強いて言うならば、ハイトもサラも、無抵抗のまま賊の言い成りになるような人間ではないと思うけれど。特にハイトは、サラが傍にいたならばサラだけでも逃がそうとするはずだし……」
殺気を上乗せすると、リーフェは渋々といった体で自分の考えを口にした。だがその声は、微かに響いた金属音にさえぎられる。
ハッとキャサリンが音の方を見やれば、ヴォルトが廊下へつながる扉へ視線を向けていた。今の音は、ヴォルトが腰の長刀の鯉口を切った音だ。
「……こちらの扉へ。私がしのぎます」
周囲の音に耳を澄まし、ヴォルトからの警告の意味を悟ったキャサリンは、ヴォルトが視線を向けるドアとは反対側にある扉を示した。二間続きのこの部屋は、あのドアの先に寝室を備えている。二人をかくまえる場所は他にはない。
侵入者二人は一瞬だけ互いの視線を絡めると、音もなく部屋の中を横切り、スルリと寝室の中へ身をひそめた。スッと気配が消えるが、二人がこちらの様子をうかがっていることは細く開かれた扉の隙間で分かる。
「お休みの所申し訳ありません、殿下」
カツ、コツ、と革靴が廊下の板床を叩きながら近づいてきて、扉の前で止まった。礼儀正しく、だが控えめに扉を叩く音がして、聞き慣れた声が聞こえてくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます