9.


 アクアエリアが自ら他国に戦争をしかけるような交戦的な国ではないということは、国政に携わっていないサラもよく知っている。むしろ周辺諸国の中ではひときわ戦を嫌う傾向にあるのがアクアエリアだ。


 一地方だった時代に西と東の領土争いに頻繁に巻き込まれ、くすぶる戦火に耐えかねた人々が立ち上がって国家樹立を宣言したという経緯があるせいか、和平第一の国政は初代アクアエリア王の時代から脈々と受け継がれている。決して他国に対して低姿勢というわけでも、武に疎いというわけでもないが、アクアエリアの外交はまず対話というのが基本だ。そんなアクアエリアが中立国であるリーヴェクロイツと争いの火種を作るとは思えない。


「ともかく、リーヴェクロイツ王に外交上で恨みを買うような覚えは、あの一件を除いて他にはない。中立国相手に面倒事を起こそうなんて、アクアエリア王家の精神に反するからな」

「……そうよね」

「それに、外交上の問題なら、どうしていきなり第二王子である俺に迎えが差し向けられるんだ? まずは国王である父上、その次が兄上、さらにその次が俺だ。順番が飛んでいる上に、明らかにやり方がキナ臭い。……あれは、表沙汰に出来ない問題を抱えている者が取る手段だ」


 サラの考えもハイトとほぼ同じだった。


 王命を帯びていたにもかかわらず、あの一行が取った手段は姑息すぎる。『公にできない要件アリ』と、顔に書かれているよりも分かりやすいとサラは思う。


「さて、サラ、どうする?」


 ハイトはサラに問いながら棹を水面から引き抜いた。取水口の流れに乗った小舟は、ハイトが棹を差さなくても緩やかに出口に向かって進んでいく。いつの間にか出口の明かりが大きくなっていた。この取水口を出るまでに、もうそれほど時間はかからないだろう。


「この先に水路の分岐点がある。左へ折れればアクアエリア王都へ戻る水路。右へ折れれば、その先はリーヴェクロイツとの国境だ」


 その言葉にハッとサラは顔を跳ね上げた。


 そんなサラに、ハイトは悪戯を思いついた子供のような表情を向ける。


「で、でも……」


 サラはリーフェやヴォルトに事情を説明することなくハイトを連れ出してきてしまった。ハイトがこんな所でこんな目に遭っているなんて、忠臣二人は想像もしていないだろう。いきなり姿を消したハイトのことを思い、なりふり構わず捜索に当たっているかもしれない。サラ自身、早くハイトを王宮に戻さなければと先程思ったばかりだ。


 それに、婚約式の日も迫ってきている。


 婚約式は、三日後の午後、アクアエリアの王城で行われる。三日というのは、長いようで案外短い。つつがなくその日を迎えるために、不穏な動きは避けるべきだというのも分かっている。


 ――だけど……


 問うように視線を向けるハイトの瞳を、もう一度見つめる。サラなんかよりもずっと慎重で、ずっと視野も広いであろう、彼のことを。


 ――そもそも私は、どうしてフローライトの旅団を飛び出してきたの?


 ハイトの瞳は、穏やかな笑みをたたえていた。こんな状況にあっても強い光を宿す瞳は、サラの真意を求めている。そこに常識や慎みを押し付ける色は欠片もなかった。サラはどうしたい? と、純粋にサラの答えをハイトは待っている。


 ――ハイトと私の結婚に、何か思惑が隠されていると思ったからでしょ?


 元を正せばサラは、フローライトの旅団によからぬ思惑を感じたから、それを蹴散らすためにハイトの元まで来たのだ。リーヴェクロイツの一行が何を目的としてハイトを追い回しているのかは分からない。だが目的が何であれ、リーヴェクロイツの一行も彼らなりの作為をもってハイトに関わろうとしていることに間違いはないはずだ。


 ハイトによからぬ作為をもって近付いてくる人間を、サラは許そうとは思わない。相手がフローライトであろうとも、リーヴェクロイツであろうとも、その思いに変わりはない。


 ならば、どうするべきか。


「……婚約式は三日後。まだ、三日『も』あるわ」


 動きを止めてしまった唇をグッと噛みしめてから、意識して笑みを浮かべる。


 強くて気高くて、でも絶望的に優しい彼の隣に、いつでも胸を張って立っていられるように。


「わけも分からずに追い回されるなんてごめんよ。そんな相手は、正面から突っ込んで正々堂々と蹴散らしてやるわ。『フローライトのバロックパール』を敵に回したこと、後悔させてやるんだから。……リーフェとヴォルトにはちょっと心配かけちゃうかもしれないけれど、後でコッテリと怒られるしかないわね」


 サラの言葉に、ハイトの瞳が緩やかな笑みを描く。その瞳の中に満足そうな笑みがあったのを、サラは確かに見た。


「そうだな。怒られる時は、一緒に怒られてもらおうか。あいつら、本気で怒ると、本当におっかないから」


 見慣れないその表情にサラは思わず目を瞬かせる。その瞬間、小舟は取水口の外へ出ていた。闇に慣れた視界を眩しい光が焼き、視界が白く塗り潰される。


「破天荒な真珠姫の仰せのままに」


 光に慣れた目が色を取り戻すと、水路が森の中を流れている景色が見えた。


 元々この取水口は、自然にあった流れに手を加えたものなのだろう。水路の分岐点には巨木がそびえ、その幹が割った流れがそれぞれ石垣で組まれた水路へ流れ込んでいる。


 その流れの右側へ、ハイトは小舟を押し入れた。


「行き先はアクアエリアの西端、リーヴェクロイツとの国境際。ローウェル水路の果てだ」


 行き先を示したハイトは、棹から櫓に持ちかえると舟を進める腕に力を込めた。






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