8.
「……相手の舟を故意に沈めるような真似は、出来ればしたくなかったんだ。出来れば自滅か、俺達を見失ってくれないかと期待していたんだが。……この方法だと一度は舟をぶつけて競る事になるから、こっちの舟に被害も出るしな」
ハイトは取水口の中へ舟を漕ぎ入れながら呟いた。
天然の岩壁をくり抜いて作られた水路は、反対側まで相当距離があるらしく、中は明かり一つない深淵だった。入り口側の水と、反対側に小さく見える出口の水が光をわずかに反射しているだけで、少し中に漕ぎ入れてしまうと手元さえ見えない濃い闇が周囲を満たす。
「出来れば下流まで無事に流れ着いて、流れが穏やかな岸辺で陸に上がってくれれば良いんだが」
サラはその独白に答えを用意しなかった。
理由も知らないまま、王に命じられたからと理不尽にハイトを捕えようとする
――相変わらず、優しすぎるのよ
「
心の内だけで呟いたサラは、古い言葉を唱えながら指先を滑らせた。
ポウッとサラの指先に灯った琥珀の光が、宙に言葉を描きだす。
「『
完成した単語はパッと宙へ散ると、夜空に灯る星のように洞の中を照らした。小さい柔らかな光が、穏やかに波打つ水面に映し出されると、まるで足元にも星空が広がっているかのようだった。
「綺麗だな」
船尾に立ったハイトが、静かに感嘆の声を上げる。その声にサラはハイトを振り返った。緩やかに棹を差しながら天井を見上げたハイトは、サラに視線を戻すと穏やかに笑う。
「まるで、空を飛んでいるみたいだ」
その穏やかな笑みには、つい先程まで激流をさばいていた激しさはどこにもなくて。
その落差に、サラの胸が静かに騒ぐ。
「……ハイトの瞳の方が、綺麗だと思うわ」
気付いたら、そんなことを口にしていた。
力を使った名残なのか、ハイトの瞳にはまだうっすらと燐光が舞っている。常よりも青みを増した瞳は、まるで光を閉じ込めた宝石のようだ。
――って! そんなこと思ってる場合じゃないのよっ!!
「ハイト、これからどうするの!? あの一行は、正式にリーヴェクロイツ王の命を受けた一行だったわ! リーヴェクロイツ王にこういうことをされる覚えは本当にないのよね!?」
『宝石』という単語で現実を思い出したサラは、とっさに思ったキザな言葉をかき消したい一心で勢いよくハイトに詰め寄った。
熊に水晶の紋章は、リーヴェクロイツ国の紋章であると同時に、リーヴェクロイツ王家の紋章だ。舟に乗っていた一行は、全員この紋章が入った剣を帯びていた。つまりあの一行は、正式にリーヴェクロイツ王家の紋章を掲げて事に及んだということになる。
大将格の男の発言から考えても、彼らはリーヴェクロイツ臣下を語ったそこらの誘拐犯などではない。そもそもそんな嘘をついていたら、サラが最初に見破っていたはずだ。だが彼らの発言には最初から最後まで嘘がなかった。つまりあれは、ハイトを迎えようとした手段はどうであれ、正式にリーヴェクロイツからの使者だったのだ。
「リーヴェクロイツで問題事を起こした記憶が、完璧にない訳ではない。だがあの一件は、リーフェが上手く処理してくれたはずだ。両国の間で公にはしないと話は付いている」
「あの一件って?」
「サラと出会った旅の途中、リーヴェクロイツで暴れた事があっただろう? ボルカヴィラの元王太子と、リーフェの力が競って暴走して、俺とサラが地割れに巻き込まれたあの時だ。俺自身はその後の現場を見てはいないが、相当悲惨な状況だったらしくてな。その現場になった森が、リーヴェクロイツ王家領だったらしいんだ。後からリーフェに聞いた。まぁ、全部リーフェが片付けて、その事後報告という形だったがな」
「えっ!? だってあれは、一方的にカティスが悪いというか……。そもそもあそこで暴れ始めたのは私とキャサリンで、ハイト達は巻き込まれたようなものじゃないっ!! 王家領の木々が薙ぎ払われていようが、地形が変形していようが、燃えようが割れようが、原因は全部カティスにあるのよっ!!」
「薙ぎ払われていようが、地形が変形していようがって……。やっぱり、そんなに悲惨だったのか?」
心配そうに眉をひそめるハイトに、サラは思わず言葉を詰まらせた。
あの時、ボルカヴィラからの追っ手を撒こうとしたサラとキャサリンは、人目につかない森に逃げ込んで盛大に暴れていた。キャサリンのハンマーは森の木々ごと容赦なく相手を吹っ飛ばしていたし、サラの『
ハイト達一行はそんなサラとキャサリンが間違って宿から持ち出してしまったアクアエリアの至宝『
そこにとどめを差したのがボルカヴィラ元王太子・カティスが放った炎だ。その攻撃から身を守るためにリーフェが水壁を展開し、大きすぎる力が競りあった結果、力の逃げ場がなくなり地割れが起きたわけだが、リーフェの力は自己防衛のために展開されたものであって、相手を攻撃しようとか周囲を破壊しようとかそういった意図は一切なかったはずだ。
つまり、何が言いたいかというと。
アクアエリア御一行様は、あの一件に関して言えば、完璧に被害者の立場にあるのだ。
キャサリンが間違えて荷物を持ち出さなければハイト達一行があの場に現れることはなく、ボルカヴィラの刺客と争うこともなかった。あの一件で責められるとしたら、それはボルカヴィラとフローライトなのではないだろうか。
「事実はどうであれ、そこでフローライトの名前を出すわけにはいかないだろ。表面的に見れば、あれはアクアエリアとボルカヴィラの戦いだったのだから。リーフェは、一方的にボルカヴィラに責任を押し付けたらしい。エルザもそれに快く力を貸してくれたらしいが、エルザには迷惑を掛けた」
ハイトの言葉に、サラはボルカヴィラ新王・エルザのことを思い浮かべた。
前の旅で、サラ一行とハイト一行はそれぞれエルザの王位就任に手を貸している。リーヴェクロイツの森での対決には、エルザの存在も関与していた。自身の出自を知らずごく普通の町娘として育てられたエルザは、謀略を知らない優しい心根の持ち主だ。自身が関わっていた争いの責任をハイトが一方的に負わされると知らされたら、進んでリーフェに手を貸しただろう。リーフェも、そんなエルザの性格まで考慮して筋書きを作ったに違いない。
「リーヴェクロイツ王は、解決した懸案を蒸し返そうとしているということ?」
「それ以外に、心当たりはないな」
ハイトは遠回しにサラの言葉を肯定した。サラはそれにさらに念を押す。
「ハイトはアクアエリアで外交を担当しているのよね? その筋で何か、恨みを買ったりしていない?」
「外交担当ではあるが……。俺の普段の仕事はもっぱら書類仕事だ。表立った外交には、国の顔である父上や兄上が出られるし、俺が出るとしてもその時の肩書は『国王名代』や『第一王子名代』。俺自身の名で出ることはない。面倒事や雑務が
ハイト自身も心当たりがないか記憶をたどりながら話しているのか、言葉と言葉に所々間が開く。だが出てくる言葉そのものに迷いや偽りはない。思考という網でこした言葉だけが紡がれていると、サラはその言葉を受け取った。
「それに、リーヴェクロイツは中立国だ。アクアエリア、フローライト、ボルカヴィラ、それぞれと国境を接し外交もあるが、どこに肩入れすることもなく対等に交流をしている。その外交に大きな
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