4.


 サラは間近に迫った相手を観察した。


 人数は七人、一艘の舟にすし詰め状態で乗っている。その状態から察するに、おそらく援軍の舟はないだろう。


 全員茶系の暗い色合いの髪と瞳だが、アクアエリア特有の黒髪の人間はやはり一人もいない。簡素な衣服は西方風で、旅支度のようだ。だが衣服のくたびれ加減や荷物から考えるに、長旅をしてきたわけではない。身なりも装備も、高価な品物が使われているから、おそらく全員身分はそこそこに高い。富裕層のパトロンが付いているというわけではなく、彼ら自身が貴族の一員なのだろう。下町のごろつきのような粗野で下品な空気はなく、どことなく風格のようなものが漂っている。


 ――それに………


 サラは彼らの腰に佩かれた剣を見つめ、瞳を細めた。


 舟にいる何人かはすでにその剣に手をかけている。その鞘には、何か紋章が刻まれているように見えた。


「いかにも俺がハイトリーリンだが、何の用だ?」


 船首に近い位置に座る大将格の男が発した問いに、ハイトは冷静に答えた。片膝を立てて座ったハイトの手には、相変わらず棹が握られている。王城から平服のまま飛び出してきたハイトの身には、武器になりそうな物は何一つとして見当たらない。


「御同行願おう」


 それを知ったわけではないはずなのに、大将格の男は長く伸ばした焦げ茶の髪の向こうで暗く笑った。腰の剣が引き抜かれ、真っ直ぐにハイトの喉元へ突き付けられる。


「ハイト……っ!!」


 両刃で細身の剣には、水晶と熊が図案化された紋章が刻まれていた。その意味が分からないハイトではない。薄々不審船の乗客がどこの国の者か分かっていたサラも、間近にさらされたその紋章に思わずハイトの名を叫んでいた。


「王城を訪れた時は空振りに終わってしまったが、こんな所で相まみえるとは僥倖の限り。我が主もお喜びになられよう」

「どうして俺が大人しく従うと思っているんだ?」


 刃がギラリと反射させる光に気付いたのか、周囲の舟から悲鳴が上がる。


 だがハイトはどこまでも冷静だった。喉元に突き付けられた刃には目もくれず、ひたと大将格の瞳を見据えて問いを投げる。その陰に隠れたサラは、いつでもハイトを助けられるようにそっと首飾りを外して手の中に握り込んだ。


「わざわざ私がこの剣を抜いた意味が分からない貴殿ではあるまい。我が主の命に従わぬというならば、力づくでも命を遂行するまで」

「ここはアクアエリア領内だ。お前の命令に従わなければならない謂れはない」


 その言葉に不審船の一行の気配がざわめいた。


 醸し出される殺気にあてられて、周囲の空気が冷えていく。


「たとえ俺が欠陥品と言われていようとも、アクアエリア王家直系の血を引く人間という事に変わりはない。リーヴェクロイツの御一行、身の程を弁えてもらおうか。俺はお前達に命令されるような立場の人間ではない」


 その空気の変化を知りながらもハイトはさらに言葉を乗せる。その意図が分かったサラは口を挟みたい衝動をグッとこらえた。


「帰って、玉を頂く主に伝えろ。俺を招きたいならば、正規の行程ルートを踏めとな」

「下手に出ればつけ上がりおってっ!!」


 相手はものの見事にハイトの挑発に乗った。


 大将格の男が思わず腰を上げ、他の者が船底にあった鉤付き縄を手に取る。


「調子に乗ってるのは、そっちじゃないのよっ!!」


 サラが手に握った『詞中の梟ミネバ・ラス・フローライト』を振りかざすのと、ハイトが棹を突き出すのは同時だった。


 ハイトが操る棹の先が相手の舟の船縁を鋭く突き、二つの舟の間に距離が開く。相手はこちらを逃すまいとこちらの船縁に向かって鉤付き縄を飛ばすが、その全てがサラの力で作り出された壁に弾かれて力なく水の中へ落ちていった。


「ハイトは王族、あなた達はただの貴族っ!! 身の程をわきまえなさいっ!!」


 黙って相手の口上を聞きながらも、あまりに理不尽な物言いに胸の内でフツフツと怒りをたぎらせていたサラは、ここぞとばかりに声を張り上げた。


 だが相手も大人しく引き下がってはくれない。襲撃戦の場数を踏んでいるのか、『詞繰ライティーディ』での反撃は予想外であるはずなのに、動揺さえ見せずに追撃の構えを見せている。


「お嬢さん、ハイト様の腕は確かだ。安心しなせェ」


 遠距離攻撃が効かないならば再び舟を付けるまでと言わんばかりに、相手の舟の船頭が再び棹を構える。


 それを見た船頭はハイトへ場所を譲りながらサラへ笑いかけた。


「俺ァここで退場しますがね、ハイト様は俺が仕込んだ自慢の弟子でさァ。あんな半可通、負けやしねぇヨ」

「え? ハイトが漕ぐの?」

「舟ごと貸してくれって言われたんでネ」


 先程まで船頭がいた場所に立ったハイトは右腕一本で棹を、左腕と腰で櫓を支えるように構えた。そのついでとばかりに棹を鋭く不審船へ突き出し、舟から身を乗り出して刃を構えていた相手を容赦なく水面へ突き落す。


「ハイト様は一時期、本気で船頭を目指していた時期があってね。頼み込まれて俺が折れた時から、時間を見ては仕込んできたのヨ。船頭連の試験は受けさせちゃもらえなかったがネ、ハイト様は今やそこらの下手な船頭より腕は上よォ。王城の滝下りだって、立派にできまさァ」

「ハイトは王族なのに? それなのに船頭を目指していたの? 本気で?」

「イザーク、余計な事は言わなくていい」


 体重をかけて櫓を操るハイトが苦い顔で船頭の言葉をさえぎる。そんなハイトの身のこなしは、確かに素人のものではない。舟足もグンッと一気に速くなる。


「その王族ってのを、俺がどんなけ悔んだことかねェ」


 舟の中心に危なげなく立った船頭は、ハイトの言葉と表情にクックックッと喉の奥で面白そうに笑った。


「あんまりお喋りしてると、ハイト様に怒られてしまいまさァ。お嬢さん、最後にこれだけお教えしておきますよ」


 そう言いながら、船頭は軽やかに船縁に足をかけた。フワリと、その体が浮く。


「ハイト様が正式な船頭になれなかったのは……船頭連が課す試験を受けられなかったのは、その王族っていう身分があったからなんで。船頭連が、王族に棹を握らせるなんてバチ当たりな事があってなるめェってんで、渋ったんでさ」

「え?」


 ハイトの腕前が足りなかったんじゃなくて? と、サラは場違いながらも疑問を思い浮かべた。


 その間に水上へ身を投げた船頭の体は、舟の上からなくなっている。


「っ!? 船頭さんっ!?」


 先程まで船頭の足がかかっていた船縁を掴んで背後を振り返る。


 手にしていた棹を水の中へ突き立てて高跳びの要領で体を持ち上げた船頭は対向ですれ違った舟の上へ身軽に着地していた。見事な身のこなしに、相手の舟から拍手が上がる。そんな中、満面の笑顔で振り返った船頭は、大きく手を振りながら声を張り上げた。


「御武運をっ!!」


 その声にハイトが一度腕を振って応える。


 その間に舟はさらに船足を上げたが、不審船との距離は中々開いていかない。気を抜けば鉤付き縄が再び投げられる間合いに入ってしまう。


「ハイト! 船頭さんが言っていたことは、本当なの?」


 後ろの舟の様子を探りながら、サラはハイトへ問いを向ける。


 その言葉にハイトは苦虫を噛みしめたような表情を浮かべた。その表情のまま、ハイトは黙秘を示すかのように唇を引き結んでしまう。ハイトの瞳の中にあるのが痛みや悲しさではなく、気まずさや困惑だと見てとったサラは、答えを求めてじっとハイトの瞳を見つめ返した。


「……十歳位の時だったか。俺は既に力を失っていたし、政権争いに巻き込まれたヴォルトは全身ズタボロにされていて碌に動けなかった。リーフェもまだまだ、今みたいに知識もなくて、ただの子供だった。……地位は無くても、立場ってのは表明出来る。二人とも、冷遇されていた俺なんて見捨てれば楽が出来たはずなのに、頑固に俺の臣下って立場を事あるごとに主張していてな。俺への冷遇の余波は、二人にも及んでいたんだ」


 無言の駆け引きに勝ったのはサラだった。


 いつでも真っ直ぐな瞳がサラからそらされ、はるか先の水路を見つめる。ポツリ、ポツリ、と語られる声は、休みなく漕がれる櫓の音にかき消されてしまいそうなほど細い。


「王城の人間達の手の平の返しようも、兄上との扱いの差も、幼い身ながらひしひしと感じていた。でもその不満が口に出来ない程に、三人とも、地位や権力、財力という物に縁がなかったんだ。……いつか、自分の立場だけでは、ヴォルトの治療をする医者を呼ぶ事が出来なくなるかもしれない。水龍シェーリンを宿したリーフェの身を、守れなくなるかもしれない。むしろ俺自身が城を追い出されて、路頭に迷う日が来るかもしれない。……そんな事が起きるかもしれないと、本気で考えていたんだ」


 その言葉にサラはハッと息をつめた。


 以前、聴いた。


 ハイトはリーフェの命を守るために、自身の身に依っていた水龍の力を惜しげなくリーフェの譲ってしまったのだと。そのためにかつて『王族一の水遣い』と呼ばれていたハイトは『欠陥品』と蔑まれるほどに力を失ってしまったのだと。


「二人は例え俺が王城を追い出されても付いて行くと言ってくれていた。だったら二人を守るのは、主である俺の責務だ。だから例え王城を追い出される事になろうとも、リーフェとヴォルトを路頭に迷わせて、ひもじい思いをさせてはならないと思ったんだ。……食っていくには、金子がいる。金子は働かなければ得られない。その事は、幼いなりに分かっていたんだろうな。……俺は、いざという時にも路頭に迷わなくて済むように、手に職を付けようと考えたんだ。その時、真っ先に思い付いたのが船頭だった。アクアエリア領内なら、船頭で食いっぱぐれる事はないからな。……だからイザークに頼み込んで、教えを仰いだんだよ」

「……主であり、王族であるハイトが、いざという時はリーフェとヴォルトを養おうと思っていたの?」

「『主が臣下を守る責務』っていうのを、昔はそういう事だと考えてたんだっ!!」


 幼いころの自分の暴走が恥ずかしいのか、ハイトは頬を赤く染めながら叫んだ。


 それと同時に棹を横へ張り、舟の位置を左へずらす。ザッと舟が揺れる中、先程まで船縁があった位置に後方から投げ込まれた鉤付き縄がドボンッと重い音を立てて沈んだ。


「幸いな事に、俺が城を追い出されるよりも早く、ヴォルトが傷を完治させて禁軍への仕官が叶った。リーフェも、水龍の力と知力に物を言わせて官位をもぎ取ってきてな。二人が出世街道を爆進しながら俺を持ち上げてくれたお陰で、今でも俺達はなんとか王城に住んでいられるという訳だ」

「本当に王城を追い出されるような気配があったの? ハイトは現王の息子なのよ? いくら力を失っても、王城を追い出されるまでは……」

「直系といえども、力が無ければ王族と呼ばれないのが習いだ。最悪、それを理由に追い出されても不思議はない」


 その冷たさ、厳しさを幼い身で体感したというのに、ハイトはまるで天気の話でもしているかのような口調でサバサバと言い捨てた。


 その口調は、この件が過去のこととして完結しているからできるのか、それとも、本心からそれが世の習いだと信じているからできるのか。


 ――完結したことだと、過去のことだからと、思っていてほしい





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