3.


 元々、アクアエリアの第二王子ハイトリーリン・ミスト・フレイシス・リヴェルト・アクアエリアとフローライトの姫アヴァルウォフリージア・サルティ・ヴォ・フローライトで結ばれた婚約の話は、それぞれの国の画策が複雑に絡まりあって成立した代物だった。


 その最大の画策であったボルカヴィラ王太子とサラの婚約の白紙撤回は、すでに成功している。


 つまり両国に、これ以上この婚約を支持する理由はないはずだ。


 サラはフローライト唯一の直系王族であり、ハイトは第二王子とは名ばかりの欠陥品。少なくともフローライトにこの婚約を是とする理由はない。


 だというのに、婚約式の用意は着々と進められている。その事実に今回のフローライト王族の密行を重ねて考えれば、何やら陰謀のにおいがぷんぷんとするではないか。


「このことを、ハイトに伝えておきたくて。今回の婚約話にも、裏があるかもしれないって」

「なるほど。事情は分かった」


 ハイトは一度頷くと、何事かを思案するかのように瞳を伏せた。


 自分の伝えたいことを一通り伝え終わったサラは、ハイトからの言葉を待つ。


「……事情を聴いた上で一つ、確かめておきたい事がある」


 ハイトが再び瞳を上げるまでにしばらく時がかかった。サラを見据える瞳には、何か迷いがあるように思える。


「何?」


 その迷いが生む揺らぎに、なぜか胸が締め付けられたような気がした。その問いかけを聞いてしまったら、今までの距離が保てなくなるような、そんな予感がする。


 でもここは舟の上で、逃げ場なんてない。


 サラの唇は無意識のうちに、問いを促す言葉を生みだしていた。


「……サラ自身は、この婚約話の事を………」

「良い所で申し訳ねェんですがね、ハイト様」


 だがにわかに生まれた緊張はすぐに霧散した。ハイトが言葉を選びながら紡いだ問いは、形になるより早く船頭にさえぎられる。問いを断ち切った声に二人きりではなかったことを思い出したサラは、弾かれたように顔を上げた。

会話を断ち切った船頭は先程と変わらず船尾で竿を構えているが、そこにさっきまであった朗らかさがなくなっていた。顔には緊張した厳しい表情が刻まれ、視線は背後に飛ばされている。


「あそこにいる不審船は、その厄介事の一つですかい?」


 その言葉にハイトが膝を上げて背後を振り返った。膝立ちになったサラはゆっくりと船尾へにじり寄りながら二人の視線の先を見つめる。だがちょうど大きな水路が交差する広場に出たせいで行き交う船が多く、船頭がどの船をさして『不審船』と言っているのかサラには分からない。


「……イザーク、どこからあの舟は俺達を尾行けていた?」


 だがハイトにはその不審船がどれなのか見分けがついたようだった。腰は落としたものの視線を後ろへ向けたまま、ハイトは険しい表情を浮かべている。


「城外へ出て少し経った頃から、付かず離れずって感じですかネェ? 現れ方からして、向こうさんも城内から出て来たように見えましたが」

「何? ハイト、何が起きているの?」


 何か異常事態が起こっているというのは分かる。だがそれが一体何であるのかが分からない。分からなければ対処することもできない。


 不安になったサラは思わずハイトの袂を掴んだ。クイ、と控えめに引くと、ハイトがサラへ視線を向けてくれる。


「どうやら、尾行されているらしい」

「尾行……っ!?」

「あそこに船縁が青い、大きめの舟が浮かんでいるのが分かるか?」


 ハイトは体をずらすとサラにも不審船が見えるように視線で示した。あからさまに指し示さないのは、相手を刺激しないためだろう。


 サラはもう一歩ハイトへにじり寄るとハイトの視線の先を見つめる。


「……あ!」


 確かにそこには、一艘だけ船縁が青く装飾された舟が浮かんでいた。ほとんどの船が白木の縁である中、青い縁の舟はいかにも周囲から浮いている。一度目に止まってしまえば、見落としようのない舟だった。間に何艘か小舟を挟んでいるが、不審船の乗客達が間の舟を通り越してこちらをそれとなく観察しているのが雰囲気で分かる。


「船頭連に鑑札をもらって棹を握る普通の商い舟は、白木縁に舟を所有する船頭の華押を焼印で入れるっていうのが決まりでさぁ。縁が色付きなのは、それぞれ謂れがあってねェ。青は城中の御方が公務の時に使われる舟の色さぁ。それを知らねェ半可通が城中からかっぱらってきたらしい」


 サラは船頭を見上げて説明を聞いていたが、その言葉にもう一度不審船の方へ視線を向けた。


 向こうの舟に乗りこんでいるのは、西方風の衣装を身にまとった者達だった。棹を握っている者さえ、アクアエリアの人間には見えない。


「アクアエリア王城の舟であるはずなのに、アクアエリアの人間が一人も乗っていない……」


 見る者が見れば一目で不審な舟と分かる代物であったらしい。そんな舟に堂々とつけられていたのかとサラは今更背筋が寒くなる。


「どうしますね? ハイト様。あちらさんはどうやらこのまま尾行だけで終わる気はないようだ。撒こうと頑張ってみたんだけどねェ、あちらの船頭も中々腕が良いらしい。付かず離れずピッタリさ」


 不審船の方も、ハイト達が気配を変えたことに気付いたらしい。向こうの船頭がグッと棹に力を込め、船足を速める。間に挟まれた船が無理やり押し出され、乗客と船頭から罵声と悲鳴が上がった。


「……イザーク、舟ごと貸してもらえないか?」


 その様をハイトは冷静に見つめていた。


 視線は不審船に向けたまま、片手で船底に転がされていた予備の棹を手にする。


「薄々、そうなるんじゃねェかと思ってましたよ」

「毎回迷惑を掛けてすまないな」

「俺とハイト様の仲ヨ、細かい事は気にしないでくんな。使い終わった後は、いつも通りにしといてくれりゃいいですからな」


 サラには意味が分からなかったが、二人の打ち合わせはそれで完了したらしい。船頭の棹が水から引き上げられ、先端が船尾に立てかけられる。


 まるでそれを合図にしたかのように、不審船はサラ達が乗る舟との間に残っていた最後の距離を詰めた。


「何ですね、旦那方。そんなに寄せられちゃあこっちが漕げねぇよ」


 相手は船縁がぶつかりそうになるほど距離を詰めても言葉を発しなかった。船頭が何も気付いていない様子を装って声をかけるが、その言葉も無視される。


「水路は基本的に左側通行ですぜ、船頭さん。あんたも棹を握る人間なら、それくらいは承知だろう?」

「そちらの御方、ハイトリーリン殿下と見受けたが、いかがか」





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