2.


「あぁ! この御方が! 以前はこの御方との結婚話が気に入らなくて飛び出されていったというのに、今回は駆け落ちですかい。ハイト様も隅に置けねぇネェ?」


 鼓動が妙に早くなっているような気がして、ハイトを直視し続けることができない。


 ハイトの瞳から視線をそらし、かといってどこを見ていいかも分からず、結局ドレスの裾を握りしめた自分の手に視線を落としたサラの耳に、なんだかとんでもない言葉が聞こえてきたような気がした。


 ガバッと顔を上げると、船頭がニヤニヤと面白そうな顔で笑っている。


「か……っ!! 駆け落ちって……っ!!」

「そういえば前に家出を決行した時も、リーヴェクロイツとの国境辺りまでイザークの舟に乗せてもらったんだったか」

「言うべき点はそこなのっ!?」


 サラの絶叫に船頭が腹を抱えて笑い始めた。


 こういうとぼけた言葉を聞かされると『ああ、ハイトはリーフェと血がつながっているんだ』と妙な感慨を覚えてしまう。


「イザーク、俺とサラは三日後に正式な婚約式を控えた身だ。誰にも結婚を反対されていないのに、駆け落ちなんて可笑おかしいだろ」


 ようやく思考の軌道修正が終わったハイトが口を開いた時には、なんとか船頭も笑い声を収めていた。だが笑いのツボが浅いのか、船頭の肩はまだ笑みの余韻を残してプルプルと震えている。


「じゃあ、なんですネ?」

「……そう言われてみれば、これは何だろうな。サラに連れ出されるがまま城を飛び出してきたけれど、そういえば俺、リーフェにもヴォルトにも事情の説明をしてきてないんだよな」


 その言葉に、サラはハッと我に返った。


 初めて目にするウィンドの光景や、体験したことのない舟での道行で忘れてしまっていたが、ハイトを王城から連れ出してきたのには目的があったのだ。


「『色々とゴチャゴチャ画策する人達にひと泡吹かせたい』って言ってたよな、サラ。で、それを出来れば城外で、なるべく早く話したいって言ったから、じゃあ散歩でもするかって流れになったんだ」

「歩いちゃぁいませんがネ? ハイト様」

「イザーク、一々うるさい。とりあえず、王城の外、他の人に話が漏れそうにない、という二点は合格クリア出来ただろ」

「そうなの、ハイト。正式な婚約式を前に、格式張らない場所で、余計な人間を挟まずに、落ち着いて話がしたかったの」


 サラは居住まいを正すと、ハイトの瞳をしっかりと見つめた。それを受けて、ハイトも背筋を正す。そんな二人を見た船頭がスッと気配をひそめた。


「色々ゴチャゴチャ画策する人がいるって言ったでしょう?」


 どう切り出すべきか迷ったサラは、もう何度も口にしている言葉を再び口にした。その言葉にハイトが浅く頷いて同意を示す。


「婚約式に出席するために、私も含めた使者の一行は七日前にフローライトの王城を出たの。今は、国境近くに差し掛かっているはずだわ。私はその一行を一人でひそかに抜け出してきたわけだけど……」

「よく一人で抜け出せたな。今頃、本隊ではサラがいなくなって大騒ぎなんじゃないのか?」

「本隊には『詞繰ライティーディ』で私に化けさせたキャサリンを置いてきたの。だから行方不明として扱われているとしたら、キャサリンの方だわ。そのキャサリンの行方不明も、私に化けたキャサリンがうまく誤魔化してくれているはずだから、大きな問題にはなっていないはずよ」


 サラは一度言葉を切ると、残してきた腹心のメイドのことを思い出した。


 別れ際に『無理です無理です絶対無理ですぅぅぅううううっ!! イヤァァァアアアアアッ!! 置いていかないでくださいぃぃぃぃいいいいいっ!!』と涙目になっていたキャサリンだが、つつがなく代役をこなしてくれているだろうか。通りすがりの木の枝で、衝動的に首をくくっていないと良いのだが。


「……大きな問題にはなっていない、はず」

「……どうしてそこを繰り返した? 本当に大丈夫なのか?」


 思い出していたら、無意識のうちに言葉がこぼれていた。耳ざとくその呟きを拾ったハイトが眉間にシワを刻む。


「ええ、大丈夫よ」


 不安な気持ちを無理やり押し込み、サラはもう一度姿勢を正した。


 涙目ですがりつくキャサリンを振りほどいて一人先行してきたのは、何も己の我儘を通すためではない。


 自分の未来を、そして恩義のあるハイトの未来を、これ以上他人の思惑でかき回されたくないと強く思ったから、サラは危険な橋を渡ってまでアクアエリア王城に侵入したのだ。


「フローライトからの旅団の中に、私の他に王族の者が紛れているような気がするの」


 サラはドレスの布地の下に隠すように身に付けたネックレスに指を添えた。


 大ぶりの琥珀があしらわれた首飾りは、フローライト王家の至宝『詞中の梟ミネバ・ラス・フローライト』だ。フローライト唯一の直系王族であるサラは、そこに宿る国守の神・詞梟ミネバの意思を感じることができる。


「フローライトの王城を出てから、詞梟が落ち着かないのよ。詞梟はとても寡黙で、普段はこんな風に騒いだりしない。前に私が城を飛び出した時だって静かなものだったわ。それが今回に限って騒ぐなんて、変よ」


 前に城を飛び出した時、サラは突然押し付けられた結婚に苛立っていたし、ハイトやリーフェ、それにボルカヴィラ王太子だったカティスに、今やボルカヴィラ新王となったエルザとも接触している。詞梟が騒ぐ原因がサラの感情が波打っているせいだとしても、他国の王族と接触しているせいだとしても、前回は騒がなかったのに今回だけと考えるとどちらも理由としては弱い気がする。


 だから考えるとしたら、あの旅団の中にフローライト王族が潜んでいるか、それとも……


「サラの身に何か起きるかもしれないと察知した詞梟が、サラを守ろうとして動いているとは考えられないのか?」

「それも、考えてはみたの。キャサリンが私に旅団からの離脱を勧めたのも、最初はそう考えたからだし」


 国守の神が愛した者の血脈には、特別な力が宿る。それが『詞繰』や『水繰アクアリーディ』、『地繰クロイティーディ』といった各王家の力だ。


 国守の神は己が愛する王、もしくは己の声を聞く王位継承権者の身を守ろうと動くから、サラの身の危険を察知した詞梟が動いていても不思議はない。


「でも、前回、詞梟は全然動かなかったのよ。私、ボルカヴィラ王太子と無理やり結婚させられそうになったし、炎にまかれたし、地割れにも飲み込まれたし、濁流にだって押し流されたわ。これ以上の身の危険が降りかかるとしたら何? 何なの?」


 それに、周囲には『詞梟に最も愛される姫』と言われているサラだが、自分自身では周囲が言うほど詞梟の寵愛は深くないと思っている。少なくともエルザやハイトのように国守の神と日常的に言葉をやり取りしたことはない。それぞれの国守の神の性格があり、詞梟が寡黙で、実はびっくりするほど放任主義というのもあるのだろうが、それを差し引いても自分の危機に詞梟がざわめくことはないのではないかと思う。


 ……そもそも国守の神が放任主義というのも、どうかとは思うのだが。


「それよりも、あの旅団の中にフローライト王族が紛れ込んでいて、それに詞梟が反応していると考える方が、自然だと思うの」

「フローライト王族が紛れ込んでいるとしたら、何か不都合があるのか?」

「正面切って付いてくるなら問題ないわ。でも今回、私は旅団の中に私以外のフローライト王族がいるとは聞いていないの。『フローライト王族』と呼ばれる人間の顔は全員知っているつもりだけど、見覚えのある顔もなかった」


 その言葉にハイトが眉をひそめた。事態が自分の思っている以上に不穏な空気に満ちていると、ハイトも気付いたのだろう。


「フローライト王族がいるとしたら、姿を隠して同行しているって事か」


 堂々と随行できないのは、何か思惑を隠している証。


 不穏をはらんだまま素知らぬふりを通すことは、サラにはできなかった。


「『詞繰』の力を使って、誰かに化けているのかもしれないわ。だから力を感知して詞梟が騒いだのかもしれない」





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