姫様の好奇心

1.

 水上の瑞都。


 アクアエリアの王都・ウィンドを訪れた旅人は、王都を一望できる丘に立った時、必ずこの都市が持つ二つ名を思い出すという。


「うわぁ……っ!!」


 船上から彼方にそびえ立つ王城を見上げたサラは感嘆の声を上げた。


 広い水路をゆったり舟が行き交う様は、まるで絵画のように美しい。水の上を滑る舟からの眺めは一時も留まることなく変わり続ける。そのどの瞬間も芸術品のように見えて、サラは目をそらすことができなかった。


 キラキラと光を弾く澄んだ水面。その水面によって生み出された複雑な光のヴェールは、水路際に建ち並ぶ家々の揃いの壁に吸い込まれていく。思い思いに木々や花々で彩った家々の屋根の向こうには、十重に二十重に石垣を積み上げた上にそびえ立つ王城。その石垣から滝のようにこぼれる水に虹がかかり、まるで王城を取り囲む空気にアクアマリンを散らしたかのようなきらめきが生まれていた。


「話には聞いていたけれど、想像以上だわ……っ!! さすが『水上の瑞都』ね!」


 船首にかじりついて風景に見入っていたサラは、体をひねって背後を振り返った。その視線を受けたハイトは笑みを浮かべて唇を開く。


「ウィンド中に張り巡らされた水路は、そのほとんどが西と東がこの領地を巡って争っている時に防衛上の理由で作られた物らしい。今ではアクアエリアの流通、交通の要になっている。起源が起源だけに、あまり美しさを褒められるとちょっとこそばゆくなるな」


 だがそう言いながらも、ハイトの笑みは無邪気だった。まるで幼子が宝物を褒められたようだと、サラも思わず笑みを深める。


 二人が乗っているのは、アクアエリアの庶民が移動によく使うという木製の小舟だった。船首にサラ、真ん中にハイトが座り、船尾に船頭が立つと満員になってしまう。とてもじゃないがアクアエリアの第二王子であるハイトが乗る乗り物ではない。


 だが当のハイトは王城の中でまとっていた平服のまま、心地よさそうに舟に揺られていた。思えば居室から抜け出し、王城に張り巡らされた水路で竿を休めていたこの船に乗り移る時も、ハイトはやけに慣れた手際で乗り込んでいた。もしかしたらハイトは、ああやって城を抜け出しては舟に乗って出かけているのかもしれない。


「それよりもサラ、あまり身を乗り出しすぎるとドレスが濡れるんじゃないか?」

「今更よ。王城の石垣から降りる時に思いっきり水をかぶってしまっているもの」


 ハイトと向き合うように座り方を変えたサラは、申し訳なさそうに眉間にしわを寄せるハイトに笑みを含んだ言葉を向けた。


「でも驚いたわ。滝みたいな急流を、舟に乗ったまま流れ下るなんて。想像もしていなかったもの」


 アクアエリア王城は幾重にも水路に囲まれている。同心円状に並ぶ水路はそれだけでも十分な防衛力を持っているのだろうが、アクアエリア王城の特筆すべき点はその水路が内へ行けば行くほど高い位置に築かれていることだろう。王城の周囲がカスケード状になっている、とでも言えばいいのだろうか。


 とにかく、正規の通路として設けられた道以外は、水路を形作る石壁と水流で完全に行く手をふさがれている。滝の源泉を戴く天空の孤島とも言える場所に築かれたアクアエリア王城は、造り自体はフローライトやボルカヴィラのような戦支度の厳めしいものではないが、軽くそれをしのぐ難攻不落の鉄壁の要塞だった。その威力は、ハイトを訪ねるために潜入を試みたサラが身をもって実感している。


 だがその要塞は、外から来る者は拒むものの、中にいる者の脱出を阻むものではないということも、今のサラは知っている。


「アクアエリアの船頭は、王城の滝下りが出来て初めて一人前ヨォ」

「最初に言っておけば良かったな。すまなかった。俺達にとっては、あれが当たり前だから……」


 石垣を築きその中に水を満たした水路は、何ヵ所か壁が切られて外へ口が開いている。そこから流れ落ちた水が下の水路を満たし、また下の水路へと流れ、最終的には王都に巡らされた水路へ向かっていく。王城を取り巻く水路の水は、絶え間なく湧き出し、流れ続けているのだ。


 サラが王城を遠目に眺めて『滝のようだ』と思った流れは、人工的に造られたとはいえ、本当に滝だった。高低差もさることながら水量も圧倒的で、その近くへ舟を寄せられた時は本能的に怯えたものだ。


 だが怯えるだけで話が済めば、まだ良かったのかもしれない。


 この舟はあろうことか、その水流に乗って滝を下ってきたのである。それも一番内側の水路から王城の外へ出るまで、何度も。


 ハイトも船頭も平然としていたが、サラはまったく生きた心地がしなかった。悲鳴を上げながら船縁にしがみついていたせいで、外へ繋がる水路にたどり着いた時にはドレスも髪もぐっしょりと水を被っていた。


「もう大丈夫よ。ドレスも髪も、ハイトの力で乾かしてもらったもの。……でも、あの水路は、緊急脱出経路も兼ねていたのね。アクアエリア以外では考えられないことだわ。ああいう荒業が使えるから、王城の水路にも舟が浮かべられていたのね」

「王城の中を行き来するのにしても、外へ出るにしても、舟を使うのが一番早いからな。まぁ、上りは地道に正面から階段を上るしかないんだが」

「そうよ、あの舟は降り専用なのよね? 上へ舟を上げる時はどうしているの?」

「お嬢さん、石壁のそれぞれに何カ所か舟を上げる動力機が取り付けられているんでさ。船頭がそれぞれの持ち舟をくくって、それで上に上げてもらうんさね」


 船頭は巧みに竿を操りながら答えた。


 独特のなまりがある船頭は、朗らかに笑いかけながら言葉を続ける。


「動力機を操作する専門のお役人が王城にはいましてね。そこで船頭の鑑札も提示しなきゃなんねェから、身元の確かな船頭しかあの水路には入れねェのヨ。ま、ウィンドの船頭は船頭連せんどうれんに入っていねェと営業は認められてねェから、舟に乗って竿を握る人間の身元はみんな保証されているようなモンだけどねェ」

「船頭連?」


 耳慣れない言葉にサラは首を傾げる。


 その様を見て、船頭も首を傾げ返した。


「お嬢さん、船頭連を知らないって事は、アクアエリアの御仁じゃないね? 衣装ドレスも、随分と見慣れない物だ」

「サラは俺の婚約者で、フローライトの御姫様なんだ」


『どう答えよう?』と考える暇もなければ、身構える暇もなかった。


 サラリと告げられた言葉に船頭の目が大きく見開かれる。


「ちょっ……ちょっとハイトッ!!」


 慌てて両手を振り回すが、一度紡がれてしまった言葉を取り消すことはできない。いくらサラが言葉を操る『本の国』の王族であろうとも、だ。


「サラ、大丈夫だ。船頭は船の内では見ざる、聞かざるを旨とするというのがアクアエリアにはあってな。船上で見聞きした事は他に漏らしてはならないという義務があるんだ」

「それにも限度があるでしょうっ!? 今のは『見ざる、聞かざる』を蹴散らして思いっきり『聴かせていた』っていう状態じゃないのっ!!」


 思わず身を乗り出して反論するが、ハイトはサラが何に怒っているのか分からないという表情で目をしばたたかせていた。存外長いまつげが上下に動くたびに、水面で弾かれた光がコベライトの瞳に複雑に入り込む。その様は、こんな時だというのに、視線を奪われてしまうくらい美しかった。


 ――何よ、何よっ!! 前に会った時よりも貴族らしい格好をしているせいで三割増しで格好良く見えるっていうのに、こんなの反則じゃないのよ……っ!!


 以前行動をともにした時は旅のさなかだったから、ハイトも、ハイトの連れであるリーフェやヴォルトも、動きやすいがとても貴族とは思えない簡素な旅装に身を包んでいた。


 だが今のハイトは、王族としての平服を着込んでいる。


 青を基調に重ねられた衣は襟元や袖もとに美しいグラデーションを作り出し、たっぷりと布地が使われた袍はまるで王城の水の流れを表したかのように優雅なシルエットを作り出している。


 サラにとっては見慣れない形の衣だし、決して華美な物でもない。王族も庶民もあまり変わらない生活をしていると揶揄される質素な生活を送るアクアエリアの王族だ。もしかしたら布自体は、庶民がまとう衣服と変わらない物が使われているのかもしれない。


 だがハイトの魅力を十分に理解した者が選び、仕立て、着せかけた衣達は、その物自体が持つ価値以上にハイトを引き立てていた。頭頂で一つにくくった黒髪にも、強い意志を宿して光るコベライトの瞳にも映える衣の青は、キリリとハイトの印象を引き締めている。





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