第4話

 今年の冬の気温は、落ち着きがなかった。手先がかじかんで、鼻先が赤くなるような寒い日が続いたと思えば、厚手のコートを脱ぎ薄手のカーディガンを羽織るような日が訪れる。けれど、騒がしかったのはテレビのニュースキャスターと移り変わる冬の日だけで、みんなそれぞれの日常を過ごしていた。

 そんな俺も新しいコートを買い替えた頃に暖かい日が訪れ、少しだけ複雑な心情になったけれど、それ以外は滞りなく日常を過ごしている。

 きっと、唇の薄い彼女も、背丈の小さいその子も――


   *


 口元の寂しさをキャンディーで紛らわせていた。いつもはミルクを入れたコーヒーと煙草を吸って夜空を見上げているけれど、キャンディーを口に入れている時は無意識に視線を下げている。夜空に向けていた視線を青白い光を放つスマホに向け、絵文字で飾られた文字列に頬を緩めていた。

 バイト終わりの午前0時を回った深夜。俺は、友人の女の子を待っている。

「お待たせ」

 少しだけうわずった声に肩を叩かれ、視線を上げる。

 文字列に感じていた幸福感が、どれだけ小さな物であるのかを知る。青白い光から保管した表情や感情は、全て間違っているんだ。

 それは、とても幸福的な意味で。

「待ってないよ。 今日は冷えるね」

 俺は、何も言わないで彼女の隣を歩き、何も言わずに手を握った。彼女も何も言わずに同じことで返す。

「そうだね。 何日か前まで、あれだけ暖かかったのにね。 今日は、マフラーを付けてきて正解」

 背丈の小さい彼女が、マフラーに顔を埋めていると冬毛を迎えた小動物を見ているようだ。でも、俺は彼女にそれは告げない。その代わりに口元が小さくほころぶ。

 相変わらず、俺と隣を歩く彼女の関係は、進展することも後退することもなく留まっている。ただ、それは見えている部分だけだ。もっと深いところで言えば、お互いに「好き」という感情を手に持っている。しっかりとした重量を持つ互いのそれを、照れながら見せ合って、とても慎重に同じ「好き」を持っているか確かめ合っている。

「そういえば、城詰くんって甘い物好きだよね」

「イチゴを食べるために練乳を買うんじゃなくて、練乳を食べるためにイチゴを買うくらいには好きだよ」

 くだらない冗談に、彼女は「よかった」と幸せそうに笑った。

「美味しいケーキ屋さんを見つけたから、今度の放課後行かない? そこ、コーヒーにもこだわってるカフェなんだって」

「いいね、行こう」

 酷く冷たい冬の空気に大きな幸福が、白い息となって夜に漂う。それは、酸っぱくて微かな甘みを帯びている気がした。

 なんてない些細な会話だけれど、これも「好き」を確認し合う作業なんだ。彼女が、カフェに俺を誘うのにどれだけ勇気を必要としたのかはよくわかる。緊張している時や不安な時に、繋いでいる手を無意識に強く握るのは彼女の癖だ。

 ――とても、酷い気分だ。自分を殺したくなる。

 彼女が、全てを俺に与えていても。俺は、彼女に全てを与えていない。

 だから、俺たちの関係は「友人」から進展することも後退することもないんだ。

「もう、駅に着いたね」

 繋いでいる彼女の手が、きゅっと力が入る。

 路線が1つしか通っていない小さな駅の終電間近は、無人駅のように殺伐として、冬の寒さが暴力的に感じる。その暴力から体を守るようにして、俺は「そうだね」と答えた。

 お互いに「もう少し一緒に居よう」という言葉を吐き出さないように堪える無言が続く。けれど、終電への時間は進むし、それに従うように改札に近づく。

「じゃ、また明日」

 俺は、強引に告げた。背丈の小さな彼女が、視界の下で俺の表情を伺ったのが分かった。でも、わざと気づかないふりをして、人工的な優しい表情を作る。

 手を一瞬だけ強く握られ、それを離す。

「また明日。 城詰くんも風邪、引かないでね」

「ん。 ありがとう」

 そう言って俺たちは「さよなら」を告げた。

 とても心地よい物語を読んでいる気分だった。どんなに酷い悪意が訪れても、たった2人で平和な「もしも」の世界を語り合う、そんな物語だ。

 でも、物語はきちんと結末を迎える。ハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうと。

 背丈の小さいその子が、見えなくなった改札に背を向けて、同じ空間にいた1人の女性の元へと近づく。その女の口元には、幸福な夜を汚す白い煙が揺れていた。

「おかえり。 彼女?」

「違うよ、友達。 なんでいるの?」

 彼女は「んー、お迎えだよ」と鼻歌のように言いながら、余裕を残して煙草を消した。

「ありがとう、寒いからさっさと帰ろう」

 彼女の先を歩く。それに合わせて彼女が隣を歩いた。

「機嫌悪いじゃん」

 俺は、何も答えなかった。彼女も、それ以上を聞くことはなかった。

 言葉の代わりに、彼女が俺の手を握る。酷く冷え切っていた。

 彼女の手が酷く冷えているから、なんてことを理由に彼女の手を握り返した。さっきまで感じていた幸福的な温かさが、乱暴に上書きされていく。

 心地よい物語の結末は、どうやらズタズタに破られていたようだ。だから、俺は、その物語を捨てるんだ。


 


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