冥王にとり憑かれた俺は、婚約者と幸せになれない

遠藤だいず

プロローグ

0-1 無垢な十四歳

「ざくろ、結婚しよう」

「えっ……?」

 初霜が降りた、早乙女さおとめ家の玄関口。

 十六歳のプロポーズに、十四歳の少女が小首をかしげる。目元を覆う前髪が揺れ、不思議そうな顔をちらりと覗かせる。

 病的なまでに白い肌と、肉付きのない骨張った輪郭りんかく。所々に目立つ紫と赤。

 傍らに立つのはざくろの母親、早乙女さおとめ香織かおりねずみいろのスウェットにどてら姿で煙草を吹かしている。ハゲた眉毛に、爆発した金髪。娘が受けるプロポーズに、大きな欠伸あくび

 頼んだのは立ち合いだけ、儀礼的な恰好を求めてはいない。それでも立ち振る舞いに期待しなかったかと言えば、ウソになる。

「驚かせて、悪い。でも前々からざくろと一緒になりたかった。もちろん。香織さんからも許可はもらってる」

 ざくろはゆっくりと、背後に控える母親の顔色を窺う。香織は細い目で「今日から剣一けんいちの家に住みな」と言った。

「わたしが、剣ちゃんと?」

「ああ、イヤか?」

「イヤじゃ、ないけど」

 俺は卑怯だ。

 イヤかと聞かれてイヤと言えるざくろじゃない。そう言える環境で生かされてこなかった。でも、いまはそれを利用する。

 ざくろは前髪で顔を隠し、指先をいじりながら舌唇を噛む。

「絶対にお前のこと、幸せにする」

 ベタだけど、本心からの言葉。こめかみがきゅっと詰まり、息が上がる。いまだけは言霊ことだまという存在を信じて。

 だが言霊ことだまが実在したとして、俺に味方をする義理はない。なぜなら会話とは本来、キャッチボール。投げる側と、受け取る側の相互コミュニケーション――にもかかわらず、俺がしているのは言霊の全力投球。しかもデッドボール狙い。

 自分の球速を自慢したいだけのガキンチョだ。……でも、構わない。たとえ茶番でも、ウソがないことだけは証明したいから。

「俺、がんばってお前に笑ってもらえるよう、がんばる。だから、一緒に暮らそうぜ?」

 すっかり縮こまってしまっているざくろは、小さい頭を振り絞り、たっぷり考えて、小さな声で「……うん」と口にした。

「じゃ、あとは好きにやりな。剣一、契約は守っておくれよ?」

 無粋な声に奥歯を噛み、視線だけで応える。香織は鼻でわらい、家の中に戻っていく。娘へかける言葉の一つさえない。

 戸の閉まる音と共に、ざくろから硬さが消え、背筋も伸びる。

「剣ちゃん。ほんとう、なの?」

「ああ、ざくろにウソなんて言わない。……ほら、寒いから早くぞ?」

 片手を差し出す。緊張がゆるんだのか、涙声で「うん」と言い、俺の手を握り返す。

 差し出された片手は冷たく、枝のように細い。……まずは肉をつけさせよう。もちろん食べるためじゃない。実際の意味でもなく、比喩的な意味でもなく。

 荷物を早乙女家から俺の住むアパートへ運ぶ。アパートは早乙女家の隣で、徒歩一分未満。荷物の移動は一時間もかからなかった。運ぶものは廊下に散らかった衣服だけ。そもそも早乙女家にざくろの部屋はない。

 荷物の移動中、ざくろは状況の変化について来れないのか、部屋の隅でぼーっと体育座りをしていた。


 初めて会ったのは七歳の頃、俺と母様かあさまがアパートに引っ越してきてからの付き合い。

 あからさま虐待に見兼ねた母様が、ざくろに声をかけたことで交流が生まれた。

 幼馴染と言えば幼馴染だが……友達という言い方もしっくり来ない。遊んだことも少ないし、母様が言い出さなければ俺から遊びに誘うこともなかった。

 当然、ざくろとは付き合ったりもないし、好きと告げたこともない。ライクとラブの境目もわからないだろうし、この例えも理解できないだろう。

 ざくろは学校に通ったこともないのだから。


 荷物を運び終えた俺が居間にどかっと腰を下ろす。そこでようやくざくろは俺の方にちらと視線を寄越した。

「どうした。はじっこにいないで、こっちに来いよ」

「うん」

 借りてきた猫のようにおとなしいざくろが、膝を摺り寄せておずおずと隣に座る。

「どうした?」

「なんか、緊張する」

「なんで」

「だって、結婚するってことは、わたしお母さんになるんでしょ?」

「ざっくりだな」

 小動物の頭に、片手を乗せる。

「別になにも変わらない。俺たちまだ結婚できる歳でもないしな」

 お互い二年後には、そんな歳になる。それまでは香織から引き離すための、間に合わせ。

「わたし、なにをすればいい」

「なにもしなくていい、今日は一日中だらけてよう」

「……たたかない?」

「叩くわけないだろ、ほらテレビでも見ようぜ」

 リモコンを手に取り、適当な番組を移す。

 平日の昼間だから大して面白い番組はない。昼ドラを見せるのもあれなので、ニュースを流しっぱなしにする。

 ざくろはそんな退屈なニュースを食い入るように見つめていた。外界と交流のない人にとってテレビの情報量は膨大だ。俺はざくろの肩に毛布を掛け、早めの夕食を用意をするため台所に行く。

 棚からパスタの束を二本取り出し、螺旋状に鍋へ刺していく。

「手伝う」

「わっ、ビックリしたな」

 いつの間にか横に立っている。手にはなにやら黄色の棒みたいなものを持って。

「なんだそれ。どこから持ってきた?」

「誕生日プレゼント。八歳のとき剣ちゃんにもらった」

「マジか」

 全然覚えてない。

 ざくろが握っていたのは――フライ返し。

 黄色のパステルカラーで、とても可愛い。お値段税込にして百八円。……の値札が付いたまま。

「これ、使おう?」

「ありがとな、でもいまは使わない」

 火にかけられているのはお湯に入ったパスタ。それを見たざくろは無表情でひとつ頷き、居間に戻っていく。

 数分後、二人前のパスタを用意してリビングに戻ると、ざくろはどこにでもある交通事故のニュースで泣いていた。

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