21 どれほどの幸運か、知っている


「お久しぶりです、フェリエナ様。婚礼以来ですね」


 七月の爽やかな朝の陽射しを全身に浴びて、エディスがひらりと馬から下りる。


「エディス様、ようこそおいでくださいました」


 アドルとともに城の玄関でエディスを迎えたフェリエナはドレスをつまみ、丁寧に頭を下げる。

 エディスが「はーっ」と大仰おおぎょうに吐息した。


「どうなさいましたか?」

 馬を駆って隣領からヴェルブルク領まで来て、疲れたのだろうか。


 小首を傾げると、エディスが悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて、並んで立つアドルとフェリエナを見やる。


「いえ、やはりめとるなら可愛らしくて気立てのいい奥方に限ると思いましてね。アドルの奴は本当に果報者だ」


 エディスのお世辞を、あいまいに微笑んで受け流す。エディスはアドルとフェリエナが本当の夫婦でないなど、夢にも思っていないだろう。


「エディス。ふざけてフェリエナを困らせるな。少し休んだら、早速行くんだろう?」

 アドルがそっけなく友人を促す。


「しばらく御厄介になります」

 フェリエナの手を取り、身をかがめて甲にくちづけを落としたエディスが、アドルに唇を尖らせる。


「嫉妬深い夫は嫌われるぞ。お前のことだ。自分がどれほどの幸運に恵まれているか、わかってないだろう?」


 からかうようなエディスの言葉に、アドルがフェリエナに視線を向ける。


 炎を連想させる熱を持った視線に、思わず息を飲む。

 が、すぐにアドルは、ふい、とそっぽを向いた。


「……ちゃんと知っているさ」


 告げる声は、内容とは裏腹に、せんじ薬のように苦い。


 フェリエナがアドルを見て倒れた日以来、二人の間には埋めたくても埋められぬ溝が横たわっている気がする。


 アドルがフェリエナを見る眼差しに、ふとした拍子に、怒りのような熱のような、仄暗ほのぐらい感情が見え隠れしている気がして……。

 その眼差しにぶつかるたびに、胸が痛む。


 持参金のためだけに娶った嫁など、価値がないのだと言外に告げられているようで。


 フェリエナの被害妄想だろうと思う。普段のアドルは変わらず優しい。

 けれど……。あの夜、アドルが呟いたグレーテという名が、どうしても頭から離れない。


 ギズや城の誰かに聞いてみようかと、何度迷ったことだろう。だが、聞いてどうなるというのか。

 嫉妬に狂ったみにくい姿など、アドルにだけは見せたくない。


「奥方様は、狩りには行かれないのですか?」

 エディスに問われ、フェリエナはあわてて視線を上げる。


 エディスが今日来たのは、ヴェルブルク領の家臣団で行われる狩りに参加するためだ。


 領主と家臣達が行う狩りは、訓練でもあり、肉の貴重な供給源でもある。

 王や有力な諸侯が開催する狩猟会ともなると、着飾った貴婦人達が観覧し、それは華やかなにぎわいになる。


 前日、アドルからエディスも加わって狩りを行うと聞いた時には、誘いの一つもなかったので、行楽としての狩りではなく、肉と毛皮を得るための実務的な狩りだと思っていたのだが。


「お誘いいただきありがとうございます。ですが、わたくしは馬に乗れませんので、お邪魔になってしまうかと……」


「そんなこと、気にする必要はありませんよ。馬ならアドルが乗せてくれます。馬丁に引かせてもかまいませんし」


 エディスがにこやかに笑ってアドルを振り向くと、アドルがぎこちなく頷く。

「わたしでよければ、いくらでもお乗せしましょう」


「アドルの許可さえ下りれば、俺だってお乗せしたいところですがね」

 エディスのからかいに、アドルの眉間にしわが寄る。


「許可を出すわけがないだろう。というより」

 アドルの群青の瞳に、気遣わしげな光が宿る。


「そもそも、狩りを見るのを好まれないのでは?」


「ええ。そうなのです」

 助け船が出たことにほっとして、大きく頷く。


「エディス様のお誘いは嬉しいのですが、獲物が狩られるのを見るのは、その……」


 たとえ動物とはいえ、獲物が矢で射られ、悲痛な鳴き声を上げて死んでいく様は、好んで見たいものではない。


「なるほど。お優しいフェリエナ様らしいお答えですね。これは失礼いたしました」


「いいえ……。わたくしは、狩りが無事に終わるのを祈りながら、城で待っておりますわ」

 微笑んで告げると、エディスが「かしこまりました」とおどけた仕草で一礼する。


「フェリエナ様のご期待に応えるためにも、はりきって、たっぷり獲物を狩って参りましょう」

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