いつか、あなたと手をつないで ~脱落令嬢と貧乏領主の前途多難な結婚生活~

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

1 脱落令嬢と美貌の来訪者


 着飾った紳士淑女がくるりくるりと優雅に踊るのを、フェリエナは壁際でぼんやりと眺めていた。


 ダンスに興じる人々の中には、五つ年上の兄、グスターの姿もある。

 爵位こそ子爵で低いものの、ネーデルラントでも富裕なロズウィック家の次期当主である兄は、すらりとした長身と、端麗な容姿もあいまって、舞踏会ではいつも、女性達の熱い視線を集めている。


 だが、グスターが自分からダンスを申し込むことはほとんどない。最低限のつきあい程度だ。


 兄のダンスの腕前が優れていることはフェリエナもよく知っている。なにせ、フェリエナのダンスの練習相手はいつもグスターだったのだから。


 淑女達から期待に満ちた視線を注がれながらも、グスターがダンスを申し込まぬのは、踊らぬフェリエナに気を遣ってくれているためだと知っている。


 だが、周りの淑女達にしてみれば、フェリエナが嫉妬して、グスターを踊らせぬように仕向けているように見えるのだろう。


 淑女としての教育を受け、自らダンスを申し込むなどというはしたない行いなどできるはずもない彼女達にしてみれば、グスターのかせとなっているフェリエナは、目障りな存在以外の何物でもない。


「よくもまあ、毎度、壁際に立っていて飽きないこと。求婚どころか、ダンスに誘われることすらないというのに……。諦めというものをご存じないのかしら?」

「上手に隠したつもりでも、すでに皆が知っているというのに……。本当に諦めの悪い方ね」

「グスター様がお連れでさえなければ、とうに招かれなくなっているでしょうに……」


 近くから聞こえてくる悪意と嘲笑に満ちた淑女達の囁き声に、フェリエナは唇を噛みしめて無言を貫いた。


 真っ直ぐ伸ばした背筋は、決して丸めない。


 こんな囁きなど、慣れている。

 ネーデルラントの社交界から、「花嫁として不適格」との烙印らくいんを押されて、もう三年になる。


 そもそも、社交界に入る前から、フェリエナの評判は地に落ちているも同然だった。

 令嬢達のさげすみを隠そうともしない囁きが、ふさぐことのできない耳に、嫌でも届く。


「あんな恐ろしい方と一緒にいると考えるだけで、嫌な気持ちになってまいりますわ」

「ほんと恐ろしい。……『修道女殺し』だなんて……」


 唇を噛みしめ、洩らしそうになった声を耐える。

 今さら、この程度のことで傷つくほどやわではない。


 フェリエナは真っ直ぐ前へ視線を向けたまま、表情を崩さぬよう、唇を強く引き結ぶ。


 だが、それでも、絹の手袋に包まれた指先を、握り締めずにはいられない。

 己が、令嬢として失格だと断罪された原因となった両手を。


 ダンスが終わり、人の輪が緩む。


 と、広間の入り口がざわめいた。

 主催の公爵夫妻が現れたのかと、顔を向けたフェリエナの視界に飛び込んできたのは、目が覚めるような美青年だった。


 蝋燭ろうそくの明かりを跳ね返す蜂蜜色の髪。優雅というよりは、凛々りりしいと形容するべき秀麗な面輪おもわ

 紺色の地に、金の刺繍ししゅうが配された礼服を着た美青年の姿に、広間のあちこちから、淑女達の感嘆の吐息が洩れる。


 が、青年は己が人々の注目を集めているなど気づかぬ様子で、頭を巡らせると、グスターを見つけて、足早に近づいた。


「まあ、素敵な御方……」

「グスター様のお知り合いかしら? 今まで拝見したことはありませんけど……」


 令嬢達の視線がちらちらとこちらに寄越よこされるのを感じるが、フェリエナも青年を見た記憶などない。


 あんな美青年、一度見たら忘れるはずがない。


 グスターの隣に立った青年が、何やら会話している。

 長身のグスターにも劣らぬ背の高さ。細身ながら引き締まった身体つきからするに、武芸に秀でているのだろう。一本、芯が通っているかのように、姿勢がいい。


 グスターと会話を終えた青年が、広間を見回す。

 誰かを探しているような視線に、広間のあちこちで淑女達がさざめいた。


 ――青年が、自分にダンスを申し込むのではないかと、夢想して。


 広間中の視線を集め、青年が歩を進める。

 きびきびとした、けれども決して粗野ではない足取り。


 次のダンス相手を求めてやりとりする貴族達の間を通り抜け――。


「可憐なお嬢様。よろしければ、一曲踊っていただけませんか?」


 青年は、フェリエナの目の前で、片膝をついた。


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