『9月27日午前2時過ぎ 貨物船ヤースヌイ号の停泊する埠頭 PartⅡ』

 幸平と姫梨奈は、呆気に取られている若衆たちを後目に、船内をひた進む。第一層へ到達するまでに、船橋内で何人もの敵と遭遇したが、二人は難なくそれを倒していた。


「――少し、焦りすぎてるよ幸平」

 船橋の掃討を終えて階段を下り、第一層の床を踏んだ時、姫梨奈が幸平の背中を軽く掌で叩く。

「……美奈から、一切の報告がねぇ。アイツは確かにはねっ返りのガサツ女だが、やるって決めたことはやり通すヤツだ」

 幸平の顔は、真剣そのものだった。一見すれば、戦場であるにも関わらず、なんと冷静なことだろうかと思うだろう。しかし姫梨奈の目には、その表情に焦りの色が滲み出ているように映っていた。

「分かってるよ。美奈ちゃんの身に、何かあった可能性が高い。けど、だからといって焦っちゃ、向こうの思うつぼだよ」

 そんな状況だからこそ、姫梨奈は微笑みながら冷静さを保ち、幸平を押さえる役に徹する。彼女はそれこそが、自分の役割であることを把握していた。

「美奈ちゃんなら大丈夫。あの子は幸平より頭も使うし、私や越後が色々と教えてるしね」

「……俺を単細胞の代表みてぇに言うんじゃねぇ」

 そうやって互いに軽口を叩きながらも、幸平と姫梨奈は第一層を進む。船の構造上、階段は第一層から第三層まで続いており、一気に第三層まで降りることは出来た。しかし、美奈や攫われた子供たちも、幸平たちの排除すべき目標であるシガレフも、彼らにはその居場所が分かっていない。

 幸平も姫梨奈も、シガレフは船橋の船長室にいると見当をつけていたが、そこには数名の部下が待機していただけであった。

 そこで二人は美奈の行方も捜すついでに、第一層から順を追って探すことにしたのである。


 第一層にあるのは、何台かの車両。監視カメラで姫梨奈と千沙が追跡した、黒のSUVも当然並んでいた。恐らく搬入口を開けて、船内と外を行き来していたのだろう。

 無論、第一層にもシガレフの部下はいた。しかし、たった二人に船橋までを突破されているとは、予想だにしていなかったのだろう。第一層の奥で待機していた敵の部下たちは、不意打ちを喰らう形となった。遮蔽物となる車両へ部下たちが隠れるより先に、幸平と姫梨奈が一人ずつ撃ち倒す。

 そこから更に幸平がその遮蔽物へと突撃。その幸平に気づき、迎撃しようとした敵は、姫梨奈が排除した。その間に幸平はボンネットの上へと跳び乗り、車両の陰に隠れている二人を射殺。敵が幸平に対して銃口を向けると、幸平は車両の反対側へと飛び降りた。


 幸平と姫梨奈は、たった二人で敵を翻弄している。それは、二人の連携と機動力、また逡巡せず最適な行動を選択し、実行する即応能力の高さがあってこそであった。

 僅かな照明が灯るのみで薄暗い船内に、マズルフラッシュの光がちかちかと明滅する。排莢口から空の薬莢が次々と飛び出し、金属音を鳴らして床に転がった。マズルフラッシュの光と空薬莢の金属音が、殺戮のリズムを奏でる。その度に敵は一人、また一人と斃れて行った。

 そして第一層最後の敵を幸平が撃ち倒し、二人はこれ以上この層に敵はいないか、周囲を見渡す。


「――お見事。まさか、ここまで出来るとは。単なる下っ端のチンピラ相手に、カルテルが懸賞金を懸けるのも納得だ。並のヒットマンじゃあ、返り討ちってワケか」


 その時、幸平たちが下りてきた階段の方から、気持ちの籠っていない拍手と気取った声が聞こえてくきた。幸平と姫梨奈が銃口を向けると、そこに立っていたクリストフ・マティスがおっかなそうに両手を上げる。

「そう気張りなさんな。オレは単なる情報屋で、別に君らの邪魔をしにきたワケじゃない。単純に、豊島一家の最高戦力二人がどの程度のものなのかを探りにきただけさ」

 突然何処からか白いハンカチを取り出し、白旗の代わりにそれを右手でひらひらと振るマティス。しかし、そんな言葉など無視して幸平と姫梨奈は銃口を向けている。

「それではい、そうですかって銃口下げると思うか? ボスから聞いた通りの、キザなヤローだ」

「キザでかっこつけたがりに関しては、幸平も同じだから。――ただ、このまま素通りするってワケにはいかないね」

 未だ警戒を怠らない幸平と姫梨奈の二人。しかし、マティスも不敵な笑みを浮かべたまま、ハンカチを振っていた。

「おいおい。豊島一家は、無抵抗な人間を撃ち殺すのか? 今、第三層で子供と君らのお仲間をいたぶってる、シガレフ共と大差ないな」

 挑発するような彼の言葉に、幸平がぴくりと眉を動かす。


 そして、次の瞬間にはマティスの足元へ向けて、銃弾を一発撃ちこんだ。

「一歩でも、そこを動くな。動けば、テメェを殺す。姫梨奈、俺が目を外したら次はお前が見張ってくれ」

 幸平の指示に、姫梨奈が頷く。

「そいつは、おっかないな。流石、豊島一家で一番活きの良い猟犬だ。いや、その目と品のなさは野犬ってところか」

「売られた喧嘩は倍にして返すのが俺の信条だが、今回は急いでんだ。次にその気取ったツラを見た時、三倍にして返してやるから安心しな」

 幸平は銃口を下げ、階段に向かって駆けだした。指示通り、姫梨奈が彼に代わって、マティスを見張る。そして、幸平が階段まで到着したことを確認すると、彼女もゆっくりと動き始めた。もちろんだが、銃口は依然としてマティスに向けている。

「――綺麗で、おまけに強い女性だ。外見もそうだが、この街に相応しくないほど、綺麗な瞳をしてる。惜しむらくは、惚れる男を間違えてるってことか」

 そんな姫梨奈に、マティスが話しかけた。その言葉を鼻で笑った後、彼女は言い返す。

「アナタも、顔は随分とかっこいいね。……ただ、その目と心は抜け殻みたい。ずっと昔の女を引きずってる、って感じだね。そういう後ろ向きな男の人は、私の好みじゃないかな」

 二人共笑顔を浮かべているが、その視線は火花をとばしているかのようだ。姫梨奈はマティスとの距離を詰め始める。

 姫梨奈がスリングのついたMP7を手放し、三歩ほど進んだ。

 そして、どちらが先に仕掛けるわけでもなく、ほぼ同じタイミングで蹴り技を放った。


 いや、僅かに姫梨奈の方が仕掛けたタイミングは速い。マティスの脇腹に向かって、右中段の横蹴りを放つ。しかし、それをまるで予知していたかのように、マティスも右中段の横蹴りで返し、互いの靴底が破裂音のような音を出して衝突した。

 そこから姫梨奈は素早く右足を引き、今度は上段と中段の足刀を放つ。軸足を僅かに曲げ、同時に放たれたのではと錯覚するほどの速い蹴り。だがマティスは上体を僅かに後ろへ反らし、紙一重のところでそれを回避した。

 最後に、二人は同時に銃を構える。姫梨奈はMP7を、マティスは腰の位置にあるホルスターから抜いた拳銃を構えていた。

 もっとも、マティスは姫梨奈の顔から、その銃口を僅かに逸らしているが。

「この銃口の向きといい、さっきまでの蹴り技といい。随分と余裕だね」

「まさか、君はかなり強い。さっきのは単なる偶然。オレと君の身体の相性がばっちり、ってことさ。この銃口に関しては、オレのモットーでね。良い女に銃は向けない」

 余裕綽々という表情で、マティスはそのまま拳銃を仕舞う。まるで、いつでも殺せるが敢えて殺さないのだ、と言わんばかりであった。

 マティスは生粋の女好きということもあってか、姫梨奈に向けて本心から笑みを向けている。先ほどのことなど、彼にとっては猫がじゃれついてきたようなものであった。


 姫梨奈の方は苦笑いを浮かべ、そのあまりのキザさとナルシスト具合に辟易している。

「君のような女性に出会えて、向こうの野犬がどれほどの強さかも分かった。今日はもう満足だ。下でお仲間のお嬢さんが待ってるぜ。前にも言ったように、君らの邪魔はしない」

「それについては感謝するけど、出来ればアナタとはもう会いたくないかな」

 姫梨奈はそう言って、幸平と共に第三層へと、階段を下りていった。

 マティスは手を振りそれを見送ると、懐から煙草を取り出す。そして楽しそうに笑いながら、咥えた煙草に火を点けた。

「さて、と。今日は本当に楽しめた。後は、観客席からこの騒動の顛末を眺めるとしますか。あのイかれ野郎共も、そろそろ来る頃だろうしな」

 紫煙をたなびかせながら、マティスは貨物船を後にする。

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