『9月27日午前1時過ぎ イースタンポート、某所の貸倉庫前 PartⅠ』

 幸平の耳に着けたインカムから、越後と理世の声が聞こえる。

『美奈が貨車から連絡してきたことが事実なら、連中は裏遊六で、親の無い子供たちを誘拐。それを商品として貨物船に輸送していることになる。まったく、随分と舐めた真似をしてくれるわね』

『このまんま連中を放っとけば、いつかは表の方にも被害が出る。かといって、連中をしばこうにも、貨物船はほぼ要塞。突っ込んでいけば、こっちが死ぬ。ホルヘの残した言葉にはこういう意味もあった、ちゅうこっちゃ……』


 理世たちは今、非常に厳しい立場にあった。

 姫梨奈が千沙から得た情報によりシガレフ一派の拠点である貨物船と、そこが要塞のように固く守られていることが判明。

 こんな状態の貨物船を力攻めするのは、無茶が過ぎる。そう考えていた理世と越後は、周到に準備を整えてから、シガレフ一派と対決するという方針を固めていた。

 だが、幸平と佐々木からの報告、そして美奈が貨車から送ってきたメールによって、その方針は変えざるを得ないことが分かる。

 人身売買、その商品とすべく、シガレフ一派が日本人街を騒がせる誘拐に関わっていた。そして、今は裏遊六通りの孤児たちが狙われており、やがて表の誘拐未遂も、未遂ではなくなる可能性があること。これらが分かった以上、理世たちはロシアン・マフィアを早急に叩かねばならなくなった。

 自分たちの縄張りで、好き勝手に暴れる連中を許してしまっては、五大ファミリーの豊島一家として、面子が立たないのである。また、恐らくシガレフたちは、理世たちが攻勢に出ない限り、イースタンポートに我が物顔で居座ることだろう。


 つまり理世たちは、危険であると知りながら、要塞と化した貨物船にむざむざ誘い込まれなければならないのだ。

「しっかし、シガレフのヤロー。流石は蛸って呼ばれるだけあるな。蛸の触手に絡まれたみてぇだ。思うように動きがとれねぇ」

 だが、豊島一家の総力を以て、貨物船を叩くのも下策である。カルテルにその隙を突かれるかもしれず、そもそもイースタンポートで派手な動きをすれば、他のファミリーと衝突する可能性が出てくるのだ。

 では、他の五大ファミリーにも呼びかけるのはどうか。

 残念ながら、これも下策。この場合、そもそも単独で外部勢力すら潰せないと自ら公表していることになり、面子は丸潰れ。おまけにシガレフ一派は貨物船を拠点としており、いざとなれば外洋へと逃げ出すことが可能である。


「とにかく、私たちでやるしかないってことか。となると、やっぱり奇襲で一気にカタをつける、ってのが良いかな。幸い、貨物船の中には美奈ちゃんもいるし」

「だろうな。連中をわざわざ、長生きさせてやる義理はねぇ。とっとと挽き肉にして、イースタンポートの魚の餌にした方が、まだ幾分か有意義だぜ」

 今、斬り込み隊である幸平と姫梨奈がいるのは、貨物船から僅か一キロほど離れた場所にある貸倉庫の前。そこまで黒いバンに乗ってきた幸平は楽しそうに口笛を吹きつつ、バンの荷台から大型のガンケースを取り出した。

 幸平の身長、その半分はあろうかというガンケースの暗証番号を打ち込み、その鍵を開ける。そこに入っていたのは、彼が購入してからずっと使いたかった、新しい玩具であった。

 その玩具を見て、満面の笑みを浮かべる幸平。しかし、運転席でハンドルを握る姫梨奈は、反対に心配そうな顔をしていた。

「良い、幸平? 私が止めてって言ったら、その物騒な玩具は即座に仕舞うこと。そのケースにある弾を全部使ったら、美奈ちゃんも攫われた子たちも、貨物船もろとも海の藻屑だよ?」

 幸平は姫梨奈に適当な返事をしながら、玩具に一発ずつ弾を装填している。日頃、何をするにも気怠げな彼とは別人であった。まるで、遠足の準備をする小学生のようである。

「分かってるさ。つうか、最後に届いた美奈のメールじゃあ、美奈はガキ共と一緒に、一番下の船蔵へぶち込まれてんだろ? だったら、多少暴れまわっても大丈夫だって。なぁ、越後?」

 幸平は彼らを支援するため、別の地点に向かう越後へと、返ってくる答えなど分かりきっているにも関わらず話を振る。単純に幸平は、越後をからかっていた。

『……お前は、ワイの胃を蜂の巣にする気か。姫梨奈も言うとるように馬鹿騒ぎはあくまで、連中をあらかた片づける程度にしとれよ。猿みたいに暴れまわりよったら、お前の後頭部に八ミリほどの鉛玉を撃ち込んだるからな』

「テメェこそ、折角俺が買ったその銃を壊すなよ? 弾倉の一個でも失くしやがったら、テメェの天パを丸刈りにすんぞ」


 最早恒例行事のように、いがみ合う二人。彼ら二人にとってはこれが天気の挨拶程度のものであることを、一家の大半は知っていた。理世は無線越しに、姫梨奈は肩をすくめながら、大きなため息をつく。

「もう何というか……。美奈ちゃんが敵に単独潜入してる上、ここ一番の大勝負前だって言うのに。相変わらずだねぇ、二人共」

『美奈といい、この二人といい、まったく頼もしいかぎりだわ。特に、美奈。彼女には後で私から、説教のフルコースをお見舞いしてあげましょうか』

 静かに怒る理世の声を聞き、三人は自分じゃなくて良かったと、思うのであった。

 やがて、幸平は玩具の準備を終え、バンの後部座席へと乗る。運転席に座る姫梨奈もそれに合わせて、エンジンをかけた。

「――それじゃあ、そろそろ私たちは貨物船に向かうよ。越後も理世っちも、十分に気をつけてね」

『越後はともかく、私が前線に立つのは、貴方たちがあらかた敵を片づけてくれた後よ。姫梨奈こそ、隣の暴れん坊に振り回されないよう気をつけてちょうだい』

 理世は今、二人ほどの若衆を連れ、とある人物への根回しに向かっている。この戦いにおける彼女の役割は、恐らく何かしらの攻撃に出るであろう、カルテルへの牽制であった。もっとも理世の頭の中では既に、カルテルが如何なる行動に出てくるのか、大体の予想はついているのだが。

「俺への心配は無しか?」

 そんな理世に、幸平はわざとらしく聞いた。

『よく言うわ。この状況を誰よりも楽しんでいる癖に。――ここから先は、貴方の独壇場よ。存分に、楽しんできなさい』

「あぁ、任せとけ。俺は、これしか能がねぇからよ」


 幸平たちはインカムを一旦外し、姫梨奈が車を発進させる。この場所に来る前、幸平たちは理世から各々の役割と、これからすべきことを伝えられていた。

 幸平と姫梨奈、そしてもう一台のバンで貨物船に向かっている四人の若衆たちは、斬り込み隊として正面から攻撃を加える。

 だが、いくら幸平や姫梨奈といえども、流石に何十人ものロシアン・マフィアと正面きって戦えるわけではない。幸平の持つ玩具を使ったとしても、何らかの支援が必要なのは明らかだった。

 そこで越後と、右腕を負傷しているものの、参加したいと志願した佐々木が、狙撃銃を用いて支援を行う。越後が狙撃手、佐々木が観測手となり、船橋にいる敵狙撃手の排除等が主な役目だった。

 また、船内に単独潜入している美奈も、攻撃開始の混乱に乗じて行動を起こす手筈となっている。彼女曰く、持っている幾つかの道具を使って、ロシアン・マフィアを内部から攪乱する、とのことであった。

 そして甲板及び船橋をあらかた制圧すると、次に幸平たちは船内の制圧へと移る。この際、越後は狙撃銃を佐々木に預け、幸平たちの元へとバイクで合流。佐々木はその場に隠れて、パーティー会場かもつせんに招かれざる客が来ないか見張る。

 ここで、幸平と姫梨奈はシガレフの排除、四人の若衆は越後の到着を待って、美奈及び攫われた子たちの救出へと向かうのが、理世の立てた作戦であった。

 不安要素は、敵の情報屋であるクリストフ・マティスと、一家の首を虎視眈々と狙うカルテルの存在。特に理世が警戒しているのはカルテルであり、この機に乗じて、必ず自分たちを仕留めようとしてくるだろうと踏んでいた。

 しかし、そんな理世でも分からないのが、どうやってカルテルは一家を攻撃してくるか、である。

 現在、麻薬抗争を終えて停戦中のカルテルと一家。この停戦の仲介役は、インサニオで最も資金力を持つと言われるマフィア、バルタザーレ・ファミリーである。その停戦協定を破るということは即ち、バルタザーレの顔に泥を塗るということだ。

 流石にカルテルも、そんなことをすればタダでは済まないことは把握している。そして戦場となるのがイースタン・ポートである以上、尚のこと派手には動けない。

 この状況で、どういうカードを切ってくるのか。一家の誰も、その答えだけが分からずにいた。

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