『9月26日午前11時頃 日本人街裏遊六、黒色通り PartⅣ』
56式歩槍を片手に、大声で部下への指示を送るセルゲイ。少し離れた位置にある、廃棄された貨車の陰へ隠れる美奈は、双眼鏡を使ってその様子を見ていた。
そしてそこで、ある光景を目の当たりにする。
それは、鎖の付いた首輪と足枷を乱暴に引っ張られ、貨車の中へと詰め込まれる、年端もいかない少年や少女たちであった。
肌の色や瞳、髪の色がバラバラなことから、恐らく人種は関係ないのだろう。薄汚れた布きれ一枚のみを纏い、顔を俯かせているその子たちを目撃した瞬間、美奈は言葉を失った。
「あれって……、まさか」
「どうやら、誘拐未遂で済んでいたのは、表の日本人街だけだったみたいですね。連中が言っていた最後の商品とは、恐らくあの子たちのことです」
美奈が歯ぎしりをして、物陰から飛び出そうとする。そんな彼女を、慌てて肩を掴んだ佐々木が止めた。
「何してるんですか、殺されますよ!」
「アンタ、アレを見て何とも思わないっての⁉ あの子たちは、犬みたいに首輪引かれて、物みたいに詰め込まれてんのよ⁉」
思わず佐々木の胸ぐらへと掴みかかる美奈。しかし、そんな美奈に対して、佐々木は唇を固く結んで首を横に振った。
「敵の数は十人ほど。全員が自動小銃等で武装し、いざとなれば子供たちを盾に使うことも厭わない連中です。それに対してこちらはたった二人。武装はリボルバー一挺のみで、二人共何一つ特殊な経歴のない、元一般人なんです。明らかに、勝算がない」
佐々木の胸ぐらを掴む美奈の手に、より力がこもる。彼の言うことは、至極もっともだ。美奈とて、佐々木が臆病風に吹かれているわけではないことなど、十分に理解している。
だが、それでも。
「僕と六橋さんは、仁衛の兄貴や姫梨奈の
この佐々木の言葉が、美奈を合理的な判断から遠ざける。
否。そもそも彼女の心の中には、佐々木に言われる前から、この言葉がずっと燻り続けていた。
自分の未熟さ。そして、特徴の無さ。日本のそれなりに裕福な家庭で育ち、高校までを日本で平凡に過ごした六橋美奈は、自身が一家の中で浮いている存在だと自覚していた。
幸平や姫梨奈のように、鉄火場慣れしているわけでもなく。
理世や越後のように、特殊な技術や才能を有しているわけでもない。
高校までを平凡に過ごし、その閉じた平凡に嫌気がさして、半ば強引にインサニオへと足を踏み入れた、単なる少女。それが自分の正体だと、美奈は知っていた。だからこそ、彼女は元より少しは得意だった走ることを鍛え、何回も怪我をしながら、パルクールまで習得したのである。
しかし、彼女にとっては、たったそれだけだった。このインサニオでは、あまりに小さすぎる力。こんな力だけでは、この街で主役にはなれない。こんな半端な自分では、ずっと観客席から舞台へと昇ることができないままだ。
美奈が感じていた、幸平たちとのズレ。それは未熟な自分、つまりは未だ舞台に並び立つ主役足りえない自分への苛立ちだと、彼女は気づく。
そしてそれらの思いに、先ほどの佐々木の言葉は火を点けた。例えその言葉が正しかったとしても、六橋美奈は抗わずにはいられなかったのだ。
「――佐々木さん。アタシはね、観客席で指を咥えて、胸糞悪い話を見てるのが、堪らなく嫌いなの。何より、そんな無力な自分が一番情けなくて、嫌いなのよ」
その後に続く言葉を悟った佐々木は、それでも何とか美奈を止めようとする。
「僕たちには、僕たちにしか出来ないことだってあります! しかし、この状況では――」
しかし、佐々木の言葉は最早、美奈の耳には届かない。美奈の胸にあるのは、幸平が先ほど彼女の頭を撫でながら言った台詞だけ。
故に彼女は焦燥にも似た思いを抱く。出来ることをしなければ、幸平たちと同じ場所に立てない、折角見つけた自分の居場所が無くなるのだと。
「違う。この状況でもまだ、アタシに出来ることはある」
そう言うと、美奈は貨車に向かって走りだした。もう、佐々木に止めることは出来ない。姿勢を低く保ち、美奈は貨車との距離を急速に詰める。幸いなことに、幸平たちの巻き起こす銃声は、もうすぐそこまで近づきつつあり、美奈の足音を幾分か目立たなくしていた。
貨車との距離は、二十メートルほど。
子供たちという商品を積み終え、セルゲイらは先頭の車両へと乗り込み始める。銃声が近づいているためか、彼らの表情には焦りが見えていた。
貨車の反対側から近づく美奈の存在に、未だセルゲイとその部下は気づいていない。
美奈と貨車との距離、残り十メートル。
美奈は、自分の心拍数が上昇していることを悟った。もし気づかれれば、自動小銃の銃口が一斉に美奈の方を向くだろう。それは、彼女の死を意味していた。セミオートの拳銃ならともかく、毎分六百発の速度で発射される弾丸を躱すことなど、まず不可能だ。
残り、五メートル。
貨車の扉は、簡素な南京錠で閉じられている。その程度なら、美奈は自身が所持するピッキングツールを使い、素早くこじ開けられると確信していた。問題は扉を開ける瞬間に、音が鳴ってしまう恐れがあることだ。先ほど、セルゲイの部下が扉を閉めていた際、近づきつつある銃声ほどではないが、大きな音が鳴っていた。
美奈は幸平たちの起こす銃声が、より大きくなってくれることを祈る。
そして、遂に彼女は貨車へと到着し、その南京錠へと素早く手をかけた。彼女の予想通り、ピッキングツールで錠前はいとも簡単に開く。
開く際の音は、最早賭けであった。
しかし、彼女が貨車の扉へ手をかけたその時、銃声がぴたと止んでしまう。恐らく、幸平たちがセルゲイの部下を、全て排除し終えたのだ。
この状態で開ければ、セルゲイらに発覚するのは目に見えていた。かといって、ここで悠長に列車が発進するのを待っていても、同じように見つかってしまうだろう。
刹那の逡巡。美奈は意を決して両腕に力を入れ、扉を開けようとした。もうこうなっては開ける他に道はないと、美奈は考えたのだ。
そしてそこで、一発の銃声が鳴り響いた。美奈は幸平が到着したのかと、咄嗟に銃声の方向を見る。
だがそこにいたのは、リボルバーを構える佐々木であった。彼のコルト・ローマンから発射された357マグナム弾はセルゲイの部下、その内に一人の脇腹へと命中。撃たれた部下は呻き声を上げて倒れ、当然セルゲイらが佐々木の存在に気づいた。
「追いつかれたぞぉ! 列車を出せ、撃ちまくれ!」
佐々木に向かって、56式歩槍が一斉に火を噴く。直後、7・62ミリ弾の雨が佐々木を襲った。何処かを撃たれたのか、佐々木はよろけながら再び物陰へと隠れる。美奈は思わず声を出しそうになるが、唇を噛み締めてその声を殺し、扉を開けて貨車の内部へと侵入した。
列車が動き始める。セルゲイらが56式歩槍の発砲を止めた頃には既に、美奈は貨車の扉を閉め終わっていた。
何とか中へと入り、荒くなった呼吸を整える美奈。そんな彼女のすぐ傍で、攫われた少年少女たちの一人が、美奈へと顔を向ける。
「お姉さん……、あの怖い連中の仲間、じゃないね」
そう言われて、美奈はその女の子の方を見た。
鎖のついた首輪と足枷。右の頬はセルゲイたちに殴られたのか、僅かに腫れていた。目には光が無く、だらりと腕と足を伸ばして貨車の壁にもたれるその姿はまるで、糸の切れた操り人形である。その腕にも、暴行の跡が所々に残っていた。
美奈は拳を強く握り締め、心の中でロシアン・マフィアへの憎悪を燃やす。しかし、その女の子には美奈が出来る精一杯の笑顔を浮かべ、上着のポケットにあった飴玉を差し出した。
「その通り。アタシはあのクソ野郎共を、ぶっ飛ばしにきたの。はい、これ飴玉」
美奈に差し出されたぶどう味の飴玉を、しばらくの間じっと眺めるだけだった女の子。そして彼女の目から、大粒の涙がこぼれ始めた。突然泣き出した女の子に、美奈は戸惑う。
「えっ、ごめん! アタシ、見た目通りのガサツ女だからさ! 何か、悪いコトしちゃった? 飴が嫌いだったとか――」
慌てて謝る美奈に、女の子は首を横に振った。
「ううん、違うの。わたしね、誰かに何かを貰ったこと、無かったの。だから、どうしていいか、分からないの。これ、受け取っていいの?」
僅かに震える手を伸ばしたかと思えば、何かを恐れるようにその手を止める。女の子がそんな動作を何回か繰り返していた。
そう、女の子は無意識に警戒していたのだ。もしかしたら、美奈は自分をからかっていて、飴玉を取った瞬間、殴られるかもしれない。これまでの理不尽な暴力が、誰かに虐げられ続けた経験が、女の子にたった一粒の飴玉すら恐れさせていた。
それを理解した美奈は息を飲み、居ても立ってもいられず、女の子を抱きしめる。そして今度は、美奈が泣き始めてしまった。
「お姉さん、折角のお洋服が、汚れちゃうよ。わたしの服、汚いから」
美奈は構うものかと、より一層強く、女の子を抱きしめる。
「今は、こんな物しかあげられないけど……。アタシとアタシの仲間が、絶対アンタたちに自由をあげるから。こんなボロきれじゃなくて、可愛い服も買ってあげるから」
自分は、馬鹿だ。美奈はそう思った。
佐々木の言葉と、この女の子たちに触れた時、感じた思い。この二つを経て、美奈は自身が何という勘違いをしていたのかと、ようやく気づいた。
幸平たちとのズレ。自分の中途半端さ。そして、幸平たちに認められたいという思い。そんな自身の感情に惑わされ、豊島一家の根底を為す、ある信念と理想を忘れていたのだと。
それは、理不尽と戦うこと。そして、この狂騒の街においても、理不尽を片端からぶっ壊すこと。今目の前で理不尽に晒され、恐怖によって苦しめられる少女が、それを美奈に思い出させた。
「そうだ。アタシは確かに、面白いから一家に入った。退屈で、誰かに決められた人生が嫌だから、このインサニオに来た。けどアタシが、アタシの命を懸けるのは、こんな子たちを苦しめる理不尽をぶっ壊したいから」
美奈はそう呟くと、女の子から手を離して携帯を取り出し、素早く理世へとメールを送る。現状を報告し、なおかつ彼女が考えた、ある作戦を伝えるために。幸いにも、電波は届いていた。恐らく、地下の住人たちがそう工事したのだろう。
そして、そのメールを送り終えると、美奈は女の子に向けてにっこりと笑い、右の親指を立てた。
「この、六橋美奈サマと豊島一家に任せときなさい。ロシアン・マフィアも、アンタたちを怖がらせる理不尽も。全部まとめて、月の裏側まで吹っ飛ばしてやるっての」
美奈の目に迷いはない。幸平たちへのズレや、自身に感じる未熟さなど、何処かへと消え去った。彼女の胸に宿るのは、煌々と燃え盛る信念と決意の炎。その炎を抱き、美奈は理不尽への挑戦を始める。
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