『9月26日午前11時頃 日本人街裏遊六、黒色通り PartⅢ』

 何のことか分からない佐々木と、数瞬遅れて気づいた美奈。彼らは幸平の声が耳に届いた瞬間、頭で考えるよりも先に、脊髄反射で行動に移した。美奈も佐々木たちも、先ほどまで隠れていた露店の陰へと再び飛び込む。幸平もまた、地下道脇にあるコンクリートの壁へと隠れた。


 地下道の奥に、幾つかの光が点滅する。それと同時に、箱一杯の爆竹を連続で点火させたような音。そして、向けられた殺意が弾丸の雨となって襲い掛かった。


 コンクリートの壁が削られ、露店の天幕が千切れ飛びそうな勢いで蜂の巣になる。先ほどまで幸平が尋問していた男は、その雨をもろに喰らい、物言わぬ肉塊になってしまった。

「クソ……、どう考えても拳銃じゃねぇな。銃声からするとAKか?」

 自身の隣を掠めていく鉛玉の弾幕を凌ぎながら、幸平は冷静に敵の装備を推測する。

 そして、幸平がP226の残弾数を確認し、念のため弾倉マガジンを交換した時、ぴたっと銃声が止んだ。

「ダメだなぁ。誰一人仕留められてない。敵に、相当勘の良いヤツがいるみたいだ」

 野太い声が、地下道に響き渡る。その声は地下道の奥から聞こえてきた。複数の足音と共に薄暗い奥から姿を見せたのは、世界で最も有名な自動小銃、AKを構えるシガレフの用心棒であるセルゲイとその部下数人だった。

 弾倉を素早く交換し、セルゲイとその部下たちは再び幸平たちが隠れている方向へと、銃口を向ける。


 その様子を陰から覗いた幸平が、思わず舌打ちをした。

「何の手立ても無しに、AK構えてる相手へ突っ込むのは自殺行為だぜ。――美奈、どうにかしろってんだ!」

 幸平たちとセルゲイとの距離は、およそ十五メートル。拳銃で狙うには、やや距離が開きすぎている。そして何より、セルゲイたちは自動小銃を構えていた。

 AK47。もっともセルゲイたちが構えているのは、そのクローンモデルである、中国製の五六式歩槍と呼ばれるものだ。堅牢な設計と整備が簡単であるというのが特徴で、精度においては特筆すべきものがない銃。しかし、それでも7・62ミリのライフル弾を使用し、毎分六百発の弾丸を連射可能な自動小銃であることに変わりはない。拳銃一挺で、太刀打ちできるものではないことは明白だ。

「急かさないでよ!」

 返事をすると同時に、理世は少し大きめのボディバッグから、円筒状の何かを取り出す。それは、越後からもしもの時に、と預けられたものの一つ。スモークグレネードだった。

「六橋さん、随分と準備良いですね……」

「あの突撃馬鹿に半年も付き合ってたら、嫌でもこうなるっての。佐々木さんたちは、煙幕を張ったらできるだけ幸平の援護をして。多分あの馬鹿、今回も突っ込むっぽいから」


 幸平と美奈は互いの顔を見て、タイミングを合わせる。


 次の瞬間、まず幸平が壁から左半身だけを出して、セルゲイらに拳銃を四発ほど放った。その四発の内、二発がセルゲイの脇にいた部下の左肩と右腕に当たり、セルゲイらが幸平に向けて発砲する。

 幸平は慌てて壁の陰へと戻り、弾幕を凌いだ。

 その隙に、遮蔽物から美奈が身を乗り出し、幸平とセルゲイらに向けてスモークグレネードを投擲する。

 軽い金属音を立てて地面に転がったそれは、猛烈な勢いで煙を噴出させた。たちまち地下道の一部に、煙の壁が出来上がる。

 そして、それに反応してセルゲイらは銃撃を止めた。

 幸平の顔に、まるで狼が牙を剥くような笑みが浮かび上がる。否、それは笑みというにはあまりに凶暴であった。

「ビンゴ! 日本に居た頃はそれなりにスポーツ万能だった、六橋美奈サマを舐めるんじゃないわよ!」

「ちょっと、六橋さん! 仁衛の兄貴が、本気で突っ込もうとしているんですが⁉」

 姿勢を低く保ちながら、射出された弾丸のごとく、迷いなく煙の壁へと入っていく幸平。一方の美奈たちもそれに続いて突撃する。ここに留まっていたところで、AKに遠巻きから撃たれ続けるだけだと幸平は瞬時に判断し、美奈もまたその意図を汲み取ったのだ。

 そして、セルゲイらの喉笛を食い千切らんとする勢いで切り込んだ幸平が、彼らの前に姿を現した。煙の壁を突き破り、突如として現れた幸平に、セルゲイ以外の部下全員が動揺する。


 その隙を見逃す幸平ではない。


 幸平は目の前にいた標的に飛びかかり、左腕を相手の首に当てて、そのまま力づくで押し倒す。そして、その標的の頭部に一発の銃弾を撃ちこんだ。

 脳漿が飛び散り、標的の動きが止まったことを確認すると、幸平は顔と銃口を右に向ける。幸平は次の標的たちへと銃撃を加え始めた。

「狼狽えるなぁ! 敵は一人だ、同士討ちにだけ気をつけろぉ!」

 セルゲイの指示で我に返った部下たちが、幸平に向けてAKを構える。だが、そこに煙の中から美奈と佐々木たちが後続として加わり、状況は更に混沌とした様相を呈し始めた。

 セルゲイは舌打ちし、二人ほどの部下を引き連れると、警戒しつつ地下道の奥へと後退を始める。

 遮蔽物に隠れ、様子を窺っていた美奈がいち早くそれに気づいた。自分一人では流石に危険か。一瞬だけそう逡巡した美奈であったが、背中を向けて逃げようとするセルゲイを見て、矢も楯もたまらず遮蔽物から飛び出した。

「アンタだけ、すごすご引き下がれると思ってんの⁉」

 幸平たちとセルゲイの部下らの乱戦に巻き込まれぬよう、姿勢を低くして、美奈は次々と前方の遮蔽物へと移動していく。中腰とは思えぬほどの俊敏な動きであった。軒を連ねる露店や、かつて行われていた鉄道工事の置き土産であろう重機の物陰を利用し、セルゲイと一定の距離を保つ美奈。


その時、隣にいる誰かが彼女の肩を叩いた。美奈は思わず肩をびくっと動かし、その誰かの手を掴む。


「僕です、佐々木です! ――仁衛の兄貴が、一人で突っ込むのは危険だと」

 小声で彼女に忠告をしてきたのは、佐々木であった。美奈は安堵のため息を漏らし、張りつめていた緊張の糸を、少し緩める。

「で、幸平が佐々木さんを寄越した、ってワケ……。まぁ、アタシは銃も持ってないし、妥当っちゃ妥当ね」

 二人はそのまま、セルゲイの後を追った。そして幸平たちの銃声が少し遠くなるまで地下道を奥に進んだ頃、セルゲイとその取り巻きが足を止める。美奈と佐々木もそれに応じて、手近な物陰へと姿を隠した。

 そこはドーム状に広がった空間であり、その中心を通って敷かれた線路には、停車している一台の貨物列車。列車には、三台の貨車が連結されている。

 セルゲイは、その貨物列車で待機していた、部下五名と話をしている。いずれの人物も、短機関銃や自動小銃で武装していた。

「チッ、日本人イェポーシカめ。豊島一家の連中は、すぐそこまで来ているぞ。最終の商品は、ほぼ積み終えている。残りもとっとと積んで、この陰気臭い地下からズラかるんだぁ!」

 最終の商品。またも出てきたその言葉に、美奈は思わず眉をひそめる。何やら悪い予感を察したのか、美奈は先ほどから嫌な胸騒ぎがしていた。

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