『9月26日午前11時頃 日本人街裏遊六、黒色通り PartⅡ』


「で……? 豊島一家の皆さまが、オレたち下の住人に、何か用ですかい?」


 つい三十分ほど前まで誘拐犯を探していた幸平と美奈、そして三人の若衆は、如何にも堅気ではないという身なりの連中に、前方と左右を囲まれていた。

 表のインサニオもそうだが、こういった物騒な場所に住む人間ほど、危険を敏感に察知する。殺意や暴力に身近な暮らしを続けているからこそ、その危機の前兆を感覚が知らせ、脊髄で反応して回避できるのだ。

 そして、それらの吹き荒れる暴力の前兆を素早く感じ取った他の住人たちは、蜘蛛の子を散らすかのように、そそくさとその場を後にした。残っているのは地下道の両端に存在する、鉄板や廃材製の露店だけだ。

「恨むんなら、雑な仕事しかできねぇ、テメェらの空っぽな脳みそを恨むんだな。テメェらのツラから車のナンバー、使ったマンホールの場所まで、目撃者がごまんといたぜ。豊島一家を舐めたツケ、ここで払ってもらおうじゃねぇか」

 幸平は指の骨を左右交互に鳴らし、誘拐犯グループの一人を睨み据える。幸平の言う通り、彼ら誘拐犯の仕事は一流にはほど遠い、雑なものだった。

 彼らは数こそ幸平たちの二倍ほど多いものの、目が緊張で泳いでいる者もいれば、西部劇のガンマンよろしくリボルバーをくるくると得意げに手の内で回転させている者までおり、とても場慣れしている連中には見えなかった。


 そして、幸平の言葉を冗談か何かだと思ったのか、誘拐犯のリーダー格と思われる男はそれを鼻で笑う。

「ハッ! 何かと思えば、そこらのガキを攫った件ですかい。いいでしょう、ガキのひとつやふたつ。裏の方じゃ、何も知らねぇガキは高値で売れるんでさぁ。教育しやすいんでねぇ、色々と。……この街じゃあ、よくあることだ。そんなしょうもないことで、今さら目くじら立てないでくだせぇ」

 まるで商品か何かを取り扱う商人のように、得意げな表情で語るリーダー格の男。その言動の全てが、幸平の隣にいる美奈を苛立たせた。

「クズだわ、コイツら」

 美奈はそう呟き、敵意をむき出しにした視線を向ける。一方の幸平は元より話し合う気はないのか、いつ殴りかかろうかと機を窺っているようだった。つまり、この二人は既に戦闘準備が完了していたのだ。

 それに困ったのは若衆の一人、佐々木である。

 彼はここに来る前、越後からこの一件はなるべく穏便に片づけろと釘を刺されていたのだ。目下の問題は、水面下で豊島一家襲撃を考えているシガレフ一派であり、無駄にコトを荒立てるとより面倒になるというのが、越後の考えであった。

 佐々木は咳払いをした後、加熱した場の空気を冷まそうと、持ち前の落ち着いた声色で会話に割って入る。

「重要なのは、我々豊島一家は麻薬と人身売買がだということです。ですから、貴方がたが今すぐこれらから手を――」


 しかし、佐々木に返ってきたのは誘拐犯たちの嘲笑だった。


「ハーハッハ! 聞いたお前ら、だとよぉ! ……上でお山の大将気取ってる豊島如きに、指図される覚えはないんですよ、オレたちは。分かったら、とっととケツをまくってくれませんかねぇ。あぁ、そこの金髪のネェちゃんだけは、帰らなくてもいいですぜぇ?」

 下卑た声と視線が美奈に向けられる。佐々木はこめかみに汗を流して、事態の収拾を完全に諦めた。最早こうなってしまった以上、彼にできることは死体袋の数が少なく済むことだけである。

 美奈はもう我慢の限界だと言わんばかりに口の端をぴくぴくと引きつらせ、幸平は誰から飛び蹴りをかまそうかと標的を定めていた。

「仁衛の兄貴。越後さんから、なるべく穏便にコトを済ませるようにと言われている手前、なるべく死人は――」

「そりゃあ、相手次第だな。とりあえず、一家とウチの家族に舐めたコトをぬかした以上、半殺しは確定だ」

「後に残る傷以外はオッケー、ってコトで良いわよね。でないと、アタシの腹の虫も収まんないわ」

 思い思いの言葉を口にする、美奈と若衆の一人である佐々木。しかし全員に共通しているのは、まずこちらが負けることはないという勝利への確信である。

 それが気に食わなかったのか、地面に痰を吐き捨てて、リーダー格の横にいた男が拳銃を抜いた。恐らく、デッドコピーであろう45口径フォーティファイブを構えたその男は、幸平の頭部に銃口を向ける。

「へっ! この頭数相手に、そこまで啖呵を切れるってのは、尊敬するぜぇ。で、テメェの墓には何て名前を刻めばいいんだぁ?」

 流石に銃口をちらつかせれば、少しは怯えるだろう。そんな生温い考えを、この男が抱いていたのは言うまでもない。

 確かに、男がその銃口を幸平に向けた瞬間、美奈と若衆たちの様子は一変した。

 具体的には、何ということをしてくれたのだと、傍にあった遮蔽物へと身体を向けたのである。


「――仁衛、幸平だ。地獄に行ったらよ、この名前を言ってみな。お友達がたくさんできるぜ」

 

 そして美奈たちの予想通り、幸平の目や声色、そして纏う空気が、明らかに変わった。

 目つきはより鋭く、しかし目から光が消え失せ、迷いなく標的と定めた相手を捕捉していた。声はより低くなり幸平の周りに漂う空気、その温度が一気に低下したような錯覚すら美奈は覚える。

 常日頃から街の荒くれたちを相手に、挨拶代わりの喧嘩を始める幸平だが、その時の彼はまるで遊んでいるかのように嬉々とした表情を浮かべていた。だが、今の彼からはまったくそういった感情が見られない。

 美奈は咄嗟に、近くの露店の陰へと飛び込みながら思った。何度見ても、こうなってしまった瞬間の幸平は恐ろしい、と。いつも彼女が話しかける、ただ飯喰らいの昼行燈で気取り屋の仁衛幸平とは、まるで別人だからだ。

「……、まさか――!」


銃口そいつをこっちへ向ける前に、気づくべきだったな」


 次の瞬間、幸平が前に走り出す。そして、いつホルスターから抜いたのか、彼は愛銃であるシグP226を右手に構え、自身に銃口を向けていた男の眉間に一発、喉に一発の九ミリパラベラム弾を撃ち込んだ。そこから横に銃口を動かし、今度はその隣にいる男の右胸に一発、ぽかんと開けていた口の中へ一発を命中させる。

 恐るべきは、銃口を向けられてなお全く動揺しない胆力と、胸に当たったことが分かるや否や、標的の口へと銃口を合わせる冷静さと技術であった。

 確実に、二発以内で仕留める。まるで、決められた作業を淡々と行う機械のように、幸平は次々と居並ぶ標的を射殺していった。向けられた銃口をある時は蹴りで逸らし、ある時は瞬時に身を屈めて躱す。そして、拳銃が確実に当たる距離まで詰め寄り、標的の命を徴収していった。豊島一家を侮った代償とでも言わんばかりに。

 佐々木もまた、357マグナム弾を使用する六連発リボルバーを慌ててホルスターから抜き、手近な遮蔽物から身を乗り出して幸平を援護する。

 しかし、三発も撃たない内に、幸平が周りにいた標的を全員斃してしまっていた。美奈は恐る恐る露店の陰から顔を出し、幸平の方を向く。一度大きく息を吐き、呼吸を整えている幸平の背中を、美奈はジッと見つめた。

 少し猫背になっているその背中は、美奈がよく知っている人物の背中である。しかし、今の美奈はそう断言できなかった。


 標的の死体と、それが流した血だまりの中で佇む幸平。インサニオにやって来て、美奈は死が撒き散らされたそんな光景を何度も見てきたはずだった。

 だが、それでも慣れない。特に、ついさっきまで軽口を叩きあっていた人物が、まるで縁日で催される射的の的を撃つように人を、命を撃ち倒していく光景は、美奈の心臓の鼓動を否が応にも早めさせた。

 何かが、腹の奥からこみ上げてくるのを、どうにかして美奈は引っ込める。それがただの吐しゃ物だったのか。それとも、幸平たちに対して、命を奪うことへの罪悪感はないのか、と問い詰めようとする安っぽい正義感だったかは、美奈には分からなかった。

 ただ、美奈に言えることはひとつ。

「――よし。全員、無事みたいだな。さてと、佐々木が肩を撃ち抜いたヤツが一人いたはずだ。ソイツから、情報を引き出すか」

「アンタ、佐々木さんがいなけりゃ、皆殺しにしてたでしょ」

 今はとにかく誘拐犯から、情報を聞き出すことが先決だ。銃弾と鮮血が飛び交う修羅の巷で、正義だの悪だのを悩むなど、阿呆のすることである。悩むことは、鉄火場を離れた後でもできる。美奈はそう自身に言い聞かせることで、彼女と幸平との間にある、ズレのような何かから目を背けたかったのかもしれない。


 右肩をマグナム弾で撃ち抜かれ、悶え苦しむ誘拐犯の一人。その胸ぐらを掴んで、幸平は拳銃の銃口を誘拐犯の下顎に突きつける。

「おい、コノヤロー。テメェが知ってること、洗いざらい吐きやがれ。でねぇと、肩どころか脳みそまでぐちゃぐちゃになるぜ」

 幸平がそう言うと、誘拐犯は引きつった笑みを浮かべた。まるで一手遅れている幸平たちを、嘲笑うように。

「へ、へへ……。馬鹿が、今日は……、商品の最終出荷日だ。これだけ、馬鹿騒ぎを起こせば、奥にいる連中も気づくぜ……。へへ、テメェらは、皆殺しだぁ……!」

 商品の最終納入日、そして奥にいる連中。

 その言葉を、美奈と佐々木たちが疑問に思った瞬間、幸平が大声を上げた。彼が自分たちに向けられようとしていた殺意に一番早く、本能で反応したのだ。


「――隠れろ!」

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