『9月26日午前11時頃 日本人街、華宮千沙の店 PartⅡ』
「まぁ、そんなコトだろうな、とは思ったッスよ。惚れちゃった者の弱み、ってやつッスねぇ。姫梨奈以外の人間からは、どれだけ大金を積まれてもやらないんスよ? お金なんて、いざとなったらどうとでもなるッスから」
「ありがとう。今追ってるロシアン・マフィアの件が、どうしても行き詰っちゃって。千沙ちゃんじゃなきゃ、無理なんだ」
千沙が隠されていた階段を下りて行く。
ようやく服を着終えた姫梨奈も、その後に続いた。剥き出しのコンクリートに覆われた階段を下り、姫梨奈と千沙は秘密の地下室へと辿り着く。
そこにあったのは、まるで昆虫の複眼のごとく壁一面に敷き詰められたモニターだった。そして、そのモニターの一つ一つが、別の映像を映している。コンクリートが打ちっぱなしの床には、配線が複雑に張り巡らされており、姫梨奈はそれを踏まないよう、足元に気をつけながら歩いていた。
「で? 姫梨奈は何を知りたいんスか?」
モニター前に置かれたデスクチェアへと座る千沙に、姫梨奈は自身の携帯を取り出して、セルゲイの画像を見せる。
「この筋肉男を追って、ロシアン・マフィアの連中が隠れてる場所を突き止めてほしいんだけど……。出来る?」
「この華宮千沙を、見くびらないでほしいッスね。ワタシの目は、この街の至る所に、張り巡らされているんスよ?」
キーボードの前で指を大きく広げたかと思うと、次の瞬間に千沙は凄まじい速さでキーボードを叩きはじめた。
「最後に目撃されたのは、イースタンポートの夢の島で武器商人をやってる、ダブって人のお店。時刻は今から十一日ほど前で、黒のSUVに載ってたね」
「夢の島……、武器商人……、十一日ほど前……」
千沙はまるで自分の脳へと刷り込むように、何回も同じ言葉を呟く。高速でキーボードを叩きながら、両目は常にモニターを注視していた。モニターの映像は刻々と変化している。
夢の島。皮肉を込めてそう呼ばれているごみの埋め立て地と、その横にある埠頭。その各所に置かれているであろう、監視カメラの映像が、次々とモニターに映し出される。
千沙は今、夢の島周辺にある監視カメラのサーバーをハッキングし、その映像を盗み見ているのだった。夢の島周辺の監視カメラは、東京共和国政府から周辺の警備を委託された警備会社のものである。
千沙は、いとも容易くそのサーバーに侵入していた。
そして、彼女はついに黒いSUVに乗り込もうとする、セルゲイとその取り巻きたちの姿をモニター越しに捉える。指をぱちんと小気味良く鳴らして、千沙はそれを喜んだ。
「――ビンゴッ! 見つけた、見つけたッスよぉ……。でもって、一度見つければこっちのものッス」
にやりと笑って、千沙は更にキーボードを叩く指の速度を速めていく。モニターは目まぐるしく切り替わり、ダブの店へと向かうセルゲイらの足取りを掴んでいった。
監視カメラの映像を巻き戻していき、その箇所の監視カメラに映らなくなれば、また次の監視カメラを見つける。これを何回も繰り返し、黒いSUVがバックで走行しているかのような錯覚に、姫梨奈が襲われそうになった時。夢の島から橋を渡ってすぐにある埠頭で、セルゲイたちの車が停車した。そして、巻き戻されていく映像の中で、セルゲイたちはタラップが架けられた、大型貨物船へと入っていく。
埠頭に停泊しているその貨物船は、甲板上にコンテナをまったくと言っていいほど積んでいない。代わりに、その甲板には何人もの背広やジャージを着た男たちが、スリングのついた自動小銃や短機関銃を肩から掛け、見張りを行っている。
これ自体は、イースタンポートでよくある風景だ。この港に停泊する船の半分ほどは、何かしら非合法な積荷を載せている。
軍用の銃火器や違法薬物、紛争地帯で採掘された貴金属などは日常茶飯事。窃盗団によって持ち込まれた高級車から、売り飛ばされた奴隷など、まるで違法品の見本市である。
そんな船に丸腰で乗る間抜けはいないし、港湾局も鼻薬を効かされてこれらを黙認していた。この街では如何なる公的組織とて、五大ファミリーに表立って逆らえない。以前、或る局長が無謀にもカルテルのペーパーカンパニーが所有する民間船の入港を拒否した際は、その数時間後に局長室が偶然にもガス管の事故で吹き飛んだ。
しかし、千沙が発見した映像には、セルゲイたちがその自称民間船に乗り込むまでの様子が、しっかりと記録されていた。映像が改ざんされた形跡もない。千沙と姫梨奈は、この貨物船がロシアン・マフィアの拠点であると確信する。
そこで、千沙が映像を一時停止させた。
「これが、ネット上で『覗き見の女王(ピーピング・クィーン)』の異名をもつ、華宮千沙という女の実力ッス。あの喧嘩馬鹿に比べると地味ッスけど……。惚れ直してくれても、良いんスよ?」
したり顔で、横にいる姫梨奈の方を向く千沙。そんな千沙に、姫梨奈が思いきり抱きつく。
「さ――っすが、千沙ちゃん! うんうん、惚れ直す、惚れ直す」
普段から笑いなれていないのか、微妙にぎこちない笑い方をしながら、千沙はモニターの方へと顔を戻した。どうやら、したり顔で言った時には平然としていたものの、徐々に自分の気取った台詞が恥ずかしくなってきているようだ。
「へ、へへ……。それは良かったッス。うん、良かったッス……」
へへ、と左手で紅潮した頬を掻きながら、千沙は貨物船の先頭部分へと映像をズームさせる。そこには、ヤースヌイという船名が記されていた。
「ヤースヌイ、ロシア語で晴れって意味ッスね。残念ながら、警備会社の監視カメラで追えるのは、ここが限界ッス。とりあえずは、姫梨奈のスマホに、この船の画像を送っておくッスよ」
姫梨奈は依然千沙に背中から抱きついたまま、自身のメールフォルダに、千沙のパソコンからメールが届いていることを確認する。
「うひゃあ、もの凄い数……。船橋には狙撃手までいるッスね。装甲車で乗り込むか、いっそ対艦ミサイルでも撃ち込んだ方が早いんじゃないッスか?」
画像には、甲板を見張る重武装のロシアン・マフィアが、至る所に写っていた。彼らはまるで民兵のように、AKやMP5サブマシンガンを携帯している。千沙の言う通り、船橋にはサーチライトが取り付けられており、ロシア製のセミオート狙撃銃を携えている狙撃手もいた。
「そのどちらとも、お金さえ出せば買えるのが、この街の凄い所だよね。ウチにはそんなお金ないけど。――とにかく、助かったよ。本当はもうちょっと、千沙ちゃんといちゃいちゃしたいんだけど、理世っちが首を長くして待ってるからね」
姫梨奈はそう言って、千沙の首元に回していた両腕を放す。
その際に姫梨奈は、千沙の頬へ優しくキスをして、地下室を出る階段へと足早に歩いて行った。
「今日は本当にありがとね、千沙ちゃん。私にまた会いたくなったら、いつでも連絡してくれていいから」
そしてその階段に足をかけた時、姫梨奈は千沙へとウィンクを送る。
「ただ――。その時は、色々と元気にしておいてね?」
千沙はそのウィンクを受けて、しばらく口をぽかんと開け、呆けていた。
いつも一家で見せている明朗快活で、母親的存在としての豊島姫梨奈の顔。そんな彼女とはまた違った妖艶、或いは小悪魔的な雰囲気を漂わせる姫梨奈に、千沙の方が惚れ直してしまったのだった。
「あの姫梨奈を知っているのは、ワタシだけ。ふふふ……、悪い気はしないッスね」
自身が座るデスクチェアをくるくると回転させ、千沙はにへらと笑みを浮かべている。
勝手に恋敵として認定している幸平への、僅かな優越感を浸っている千沙。彼女はしばらくの間、そうして姫梨奈の余韻におぼれていたのだった。
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