『9月26日午前11時頃 日本人街、華宮千沙の店 PartⅠ』
その店は午前中の太陽から降り注ぐ陽気な日差しを、窓のブラインドを閉めることで完全にシャットアウトしていた。それはアニメ関連の雑誌や、店主の独断と偏見で揃えられた漫画やアニメのDVDなどの、大事な商品に陽の光が当たらないようにするという意味もある。しかし一番大きな理由は店主である華宮千沙、本名セリーヌ・フォン・ルムズハイムが日光を忌み嫌う、まるで吸血鬼(ヴァンパイア)のような人間だからだ。
そんな店の奥、薄暗い部屋から嬌声が漏れ出す。
六畳ほどの空間に、女性の低い喘ぎ声が響く。その部屋では二人の女性が、生まれたままの姿でまぐわっていた。唇を重ね、互いに肉体の隅々までを愛撫していく。一方の女性は余裕のある表情を浮かべ、もう一方の女性は押し寄せる快感の波を必死に堪えていた。
しかし、それも遂に限界を迎える。ひと際大きな嬌声を上げると共に、その女性は絶頂へと至った。恍惚とした表情を浮かべ、女性は敷かれている布団へと力なく横たわる。
そんな女性の背中を、ゆっくりと優しく撫でるのは、豊島姫梨奈であった。
「――相変わらず、姫梨奈は色々と底が見えないッスね……」
時計の長針が幾つか動いた後、頬を赤らめていそいそと服を着る女性が呟く。女性の名前は華宮千沙。アニメや漫画という趣味を通じて姫梨奈と知り合い、今では少しだけ一線を越えた関係になっていた。
元々は綺麗なブロンズの、ウェーブがかかった長髪をわざわざ黒く染めて三つ編みにし、黒縁の地味な眼鏡をかけている。胸は姫梨奈より少し控えめで、身長も姫梨奈より小さい。それらに伏し目がちな目も合わさり、内向的な雰囲気を醸し出していた。
「いやぁ、千沙ちゃんの身体は柔らかくて、おまけに反応も可愛いからさ。つい、やりすぎちゃって……」
一足先にシャワーを借りた姫梨奈は、下着姿のままペットボトルに入った水を飲んでいる。
「千沙ちゃん、もっと自分に自信を持てばいいのに。可愛いし、話も面白いし、色々と反応も良いし。きっと男女問わず、色んな人から引っ張りだこになると思うんだけどなぁ」
「別にいいッス。ワタシには姫梨奈もいるし、うっとおしいくらい溺愛してくる姉様もいるッスから。ワタシは、今のままで十分満足してるッス。それにワタシは日陰が好きだから、自ら望んで日陰者になってるんスよ」
それから少し間を空けて、千沙が姫梨奈に聞こえぬよう、ぼそっと呟く。
「……あの喧嘩馬鹿に姫梨奈をとられるのは、癪ッスけど」
そう呟く彼女は、先ほどまでの満ち足りた顔を俯かせ、僅かに曇らせていた。
水を飲み終え、一息ついた姫梨奈は、そんな彼女の様子に気づいた。そして、千沙の後ろからゆっくりと腕を回して、彼女を抱きしめる。
「そんな顔、千沙ちゃんには似合わないよ。もっと笑ってくれなくちゃ、私まで悲しくなるもん」
千沙とはまるで異なる、姫梨奈の鍛えられた腕。しなやかでありながら、確かに鍛えられているその腕と身体は、まさに美と力の均衡がとれた芸術品のようであった。その腕に自身の頬を当てつつ、千沙は言う。
「結局は、似た者同士が惹かれ合う、ってことッスかね」
「え? 誰と誰が?」
首を傾げる姫梨奈。千沙はその隙に姫梨奈の腕からするりと抜けて、ゆっくりと立ち上がる。
「かっこつけで、天然ジゴロなところが、姫梨奈は誰かさんにそっくりだってことッスよ。これ以上、ワタシのような悲しい被害者が出る前に、早いとこくっつくことをお勧めするッス」
そう言いながら、千沙は部屋の隣にある台所へと赴き、そこにある冷蔵庫を開けて、缶コーラを取り出した。プルタブを上げ、景気の良い音を鳴らして、千沙はコーラを飲み始める。
「嫌だなぁ、そんな。お似合いの夫婦だなんて……。千沙ちゃんはおだてるのが上手いなぁ」
「誰もそこまでは言ってないッスよ……。というか、前から気になってたんスけど。その未来の旦那サマは、ワタシたちのこういう関係は知ってるんスか?」
そんな千沙の問いに、姫梨奈はきょとんとした顔で、しれっと答えた。
「うん、当然。私が幸平に隠し事をしない主義なのは、前に話したでしょ?」
あまりに平然と答えられたので、千沙も拍子抜けしてしまう。
「――で、未来の旦那サマは何と?」
自分の女を寝取られたと、怒りに打ち震えてこの店にカチコミをかけてくるのではないか。そんな恐怖に内心で震える千沙。
「俺はお前が笑っていられるなら、別にどうでもいい。お前の人生やら趣味やらを束縛する権利は俺にねぇよ、ってさ。何というか幸平は、放任主義なところがあるから」
しかし、姫梨奈から返ってきたのは、単なる惚気話であった。ずっこけてずれた眼鏡を直しながら、千沙はまた一口コーラを飲む。
「なんとまぁ、お互いベタ惚れッスね……。聞いてるこっちが、むず痒くなってきそうッスよ」
「いやぁ、お恥ずかしい。――それで、千沙ちゃん。裏のお仕事の件なんだけど……。いつものアレをやってほしいなぁって、思ったり思わなかったり……」
申し訳なさそうに両手を合わせ、拝むように千沙の方に頭を下げている姫梨奈。一度ため息をついて、千沙は近くの本棚へ近づく。
そして、赤い背表紙の本を取り出すと、その奥に隠されていたスイッチを押した。すると、本棚が大きな音を立てて動きだし、扉のように二人の手前に開いたかと思うと、本棚の後ろにある隠しの下り階段が現れたのである。
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