『9月25日午後7時 日本人街の古本屋 PartⅢ』

「い、いや! 大丈夫です、問題ないです。それで、考えの方はちゃんとまとまりましたか?」

「えぇ、大方はね。で、姫梨奈と幸平が集めてきた副署長の情報だけれど、いざという時に役立ちそうよ。二人共、ありがとう。それじゃあ次に、私が今まで考えていたこと、そして貴方たちがいない間に調べていたことを、貴方たちにも伝えるわ」

 そう言って、理世は自身のタブレット型端末に、インサニオの地図を表示する。そして、杉並区と世田谷区を跨いで形成されている日本人街の辺りを指差した。

「マイケルの話を聞いた時から、気になってはいたの。シガレフたち、いわば本隊は何処に潜んでいるのか、と。まず初めに疑ったのは、日本人街。私たちの喉元へいきなり食らいつくのなら、ここに潜んでいる必要がある」

 ロシアン・マフィアは、豊島一家の所有する主要な物件を把握している。そして、マイケルを日本人街へ先遣隊として送り込み、本隊をシガレフが指揮する形をとった。ならば、本隊が今も虎視眈々と、一家の隙を狙っていたとしても、不思議ではない。


「けれど、日本人街の色々な人に聞いても、誰一人として怪しげなロシア人を見た者はいなかった。マイケルたちは、すぐ見つかったというのに。それなりの規模を持つ連中が、外に一歩も出ずに何日もの間、潜伏を続けるのは不可能よ。だから、何かしら見つかるかと思っていたのだけれど……」

 理世は幸平たちの調査中、若衆の何人かと共に聞き込みを行っていた。マイケルたちの尻尾を掴んだのが住民からの目撃情報であったため、シガレフも日本人街に潜んでいるのなら、流石に誰かが見ているだろうと踏んだのである。

 しかし、シガレフの情報は何も得ることが出来なかった。

「代わりに得たのは、この件とは一見すると無関係な、誘拐未遂事件の依頼よ」

 聞き込みのため街を歩いていた理世に、とある夫婦が依頼を持ちかけてきたのだという。その夫婦の話では、ここ最近になって日本人街では小学生から中学生を標的にした、誘拐未遂事件が多発。その手口は一貫して、学校関係者を装い、車に乗るよう催促するというものだった。未遂で終わっているのは、その犯人の格好が明らかに教職員のものではなく、子供たちが不審がったからだという。

 保護者たちは警察に早急な事件解決を訴えたが、実害が出ていないため、警察の態度は消極的。それに耐えかねた夫婦が保護者たちを代表して、理世に依頼したのである。


「何もロシアン・マフィアと抗争しようか、って時に誘拐しなくたっていいのに。どうすんのよ、理世。とりあえずは、後回しにしとく?」

「それだと、あの警察と同じよ。確かに私たちは、正義の味方というほど綺麗な存在ではない。でも、この街に蔓延る下衆共と同じ次元に堕ちるほど、汚れたつもりもないわ。例え、他所から見れば同じごみ溜めに群がる蠅だったとしても」

 理世は、そんな美奈の意見をはねのけた。続けて、美奈と幸平に指示を送る。

「幸平と美奈は明日、若衆を何人か連れてその誘拐犯の捜索と確保に当たってちょうだい。それにこういう緊迫した局面も、堅気の人たちには関係のない話よ。これはあくまで、私たち裏側の人間の話なのだから」

 幸平が逡巡せずに頷くなかで、美奈はそれに異を唱えようとした。ロシアン・マフィアがいつ動き出すかもしれないこの局面で、悠長に誘拐犯など探している場合なのかと。しかし理世の紅い瞳に宿る強い意志、理想を裏切らないという強くひたむきな思いが、美奈を頷かせた。

 美奈はこの豊島一家という組織が持つ、青臭いともとれる情熱と、綺麗事だと笑われるかもしれない理想に強く惹かれたのだ。


 であれば、それを否定することなどできようはずもない。


 自分は何を言っているのだと、美奈は少しだけ拳に力を籠め、己の言葉を恥じた。

「さて、話をシガレフの隠れ場所に戻すけれど……。さっき、姫梨奈がシガレフの本隊はどうにかして武器を本国から持ち込んだ、と言っていたわね?」

「そうだね。少なくともダブは、ロシア人の大男からそう聞いたんだってさ」

 その言葉を受け、理世はタブレットの地図を再びインサニオ全体に戻し、幾つかの場所を指差す。

 彼女が指差したのは、三つ。インサニオ国際空港、イースタンポート、そしてインサニオと日本本土の国境であった。

「連中が独力でロシアから武器を運ぶとなると、ルートは限られるわ。ひとつは空路でインサニオまで持ち込み、そこから潜伏先に運ぶルート。けれど、これはまずあり得ないわね。この街に強い影響力を持たない連中が空港の税関を通過して、その上陸路で隠れ場所まで運ぶなんて芸当は出来ないわ」


 インサニオには諸勢力の力によって裏打ちされた、幾つもの不文律が存在している。暴力だけではない、権力や財力、人脈などといったありとあらゆる力。それを上回る力を持った者だけが、定められた不文律を歪め、我が儘に振る舞うことができるのだ。


 つまり、この街でそこまでの力を持っていないロシアン・マフィアの連中が空港の税関を抜け、堂々と街中に武器を持ち運ぶなどという我が儘を通せるわけがないと、理世は考えたのである。

「そして、国境を突破するのもあり得ないわ。手間と発覚のリスクが高すぎる」

 日本本土から、国境を越えて武器を持ち込む場合、まず日本の関東地方にまでロシアから武器を運んでこなければならない。択捉やウラジオストクなどから、わざわざ東日本を横断するように武器を運ぶなど、まずあり得ないだろうと理世は考えていた。


 となれば、残る方法はひとつ。


「だから私は海路だと考えている。これなら連中の独力でも可能で、なおかつカルテルの助力を得られていたなら、ますます容易になるもの。連中は民間の貨物船に偽装している可能性が極めて高いわ」

 海路を使った、武器と人員の輸送。ロシアから大型の貨物船などに偽装して、武器と人員をイースタンポートまで運ぶ。確かにこの方法ならば、仮に豊島一家が潜伏場所を突き止めたとしても、中立地帯であるイースタンポートでは思うように行動出来ない。五大ファミリーを筆頭に、様々な組織が利用するイースタンポートにおいて、無闇やたらと嗅ぎまわっては命が幾つあっても足りないだろう。互いに過度な干渉は避けているからこそ、イースタンポートは一応の中立地帯として機能しているのだ。

「海路やとほぼイースタンポートで確定、っちゅうワケか。他の小さい港湾や隠し港は、五大ファミリーの息がかかっとるのが大半やし。何より、結構な数の人員や武器なんかを潜ませるほど大きい船っちゅうなら、そんな小規模の港には泊まれんやろうしな」

「そうなると、しっかり見当をつけてから探る必要が出てくるね。あの場所で、無闇に探し物はしたくないし。けど、今のところ分かってる情報って、あの筋肉もりもり男だけだよね。――うーん、仕方ない。ここはひとつ、私の友達に当たってみるよ」


 姫梨奈はそう言って、携帯を取り出すと、その友人とやらにメールを送った。内容は、明日会えるかというものであり、その友人からは即座と言っていいほど早く、了解したという旨の返信が返ってくる。

「お前の友人っちゅうと――、なるほど千沙か。確かに、相手の顔が分かってるなら、千沙に頼めば一発や。けどええんか、アイツが情報屋の時に要求する報酬は――」

「まぁ、別に高額をふっかけられるワケでもないし、私も楽しいから問題ないよ。そういうワケで理世っち。私は明日、千沙ちゃんと会って情報を得てくるけど、良いかな?」

「えぇ、お願い。――でも、貴方の友人を悪しざまに言うつもりはないけれど、彼女も困ったものね。ハッカーとしても、情報屋としても一流なのだから、もう少し真面目に報酬を決めても良いでしょうに」

 肩をすくめる理世に、姫梨奈は苦笑いを浮かべる。そんな時、ついさきほどまで横になっていた幸平がおもむろに立ち上がり、冷蔵庫を開けて中身を物色しながら笑った。

「良いじゃねぇか。俺たちだって、大して金にもならねぇってのに面白えから、この稼業をやってんだ。千沙のヤツも、面白えからやってんだろうぜ」

「あっ、それ分かる。日本人街が好きってのもあるけど、やっぱり面白いから続けてるって感じ。何が面白いのかって、具体的に言うのは難しいけど」

 幸平の言葉に、美奈がうんうんと頷く。


「理想だの夢だの、そんな曖昧なモンだけに手前テメェの命を賭けられるヤツは、頭のネジが外れた英雄ばけもんだけだ。面白えから、楽しいから、何事も続けられるのさ」

 そう言って幸平は冷蔵庫から取り出した林檎を、皮も剥かずに丸かじりし始めた。一応、この二階には小さいながら台所もあり、皮を剥く包丁くらいはあるのだが、幸平はそれすらも億劫なようである。

「かといって貴方みたいに命知らずの喧嘩好きも、それはそれで困りものなのだけれど。それに、貴方だって信念や理想があるから、豊島一家に入ったんでしょう?」

 幸平はそんな理世の問いかけに、幸平は林檎をもう一口齧ってから、薄笑いを浮かべた。

 そして、理世の目をまっすぐに見つめてこう答える。

「俺の信念や理想なんざ、ボスのモンに比べりゃ大したことじゃねぇさ。俺が豊島一家にいるのは、まず姫梨奈の飯が美味いから。でもって、豊島理世って女の見せる理想ゆめが、この街のどの連中よりも一等面白え夢だったからだよ」


 気取り屋の幸平らしい言葉に理世は一瞬面食らうが、満足そうに口角を上げて笑みを零す。横でそのやりとりを見ている姫梨奈は、理世がこの笑い方をするのは、心底嬉しい時だと知っていた。

「私の見せる理想より、姫梨奈の作るご飯、ねぇ。貴方らしい、気取っている癖に何処か正直な答えね。貴方なりの、最高の賛辞だと受け取っておくわ」

「流石に夢だけじゃ、腹は膨れねぇからな。俺にとってまず大事なのは姫梨奈の飯を食うこと。それから寝て起きて、気持ちのいい喧嘩を気の済むまですることさ。ボスについて行けば、これは大体叶うからな。面倒な駆け引きやら、うだうだと考えるのは性に合わねぇし。どのクソ野郎に噛みつきゃあいいのかは、ボスが決めてくれ。俺の仕事は、そいつの喉笛を噛みちぎることさ」

 幸平はそのまま、冷蔵庫の近くに胡坐を掻いている。どうやら林檎ひとつでは物足りないようだ。越後は歯に衣着せぬ幸平の物言いに、わなわなと肩を震わせているが、姫梨奈がそれをどうにか落ち着かせていた。


 脇道に逸れていた話を戻すため、理世がこほんと咳払いをする。

「――さて、余計なおしゃべりはここまで。とにかく、千沙への依頼は姫梨奈に任せるわ。それで、千沙への依頼が成功すれば、シガレフ共の居場所は分かったも同然よ。そこで、越後にはこれから言う物の準備をお願いしたいの。大丈夫かしら?」

 二つ返事で越後はそれを了承した。理世はタブレットを使い、ロシアン・マフィアとの決戦の際、必要となる物をリストアップしていく。

 越後もそれを確認し、一家の潤沢とはいえない予算でそれをどうやって調達するか、検討し始めた。


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