『9月25日正午 日本人街遊六通りの喫茶店 PartⅢ』

「さて、その方針を踏まえた上で、初めにすべきことを挙げましょうか。――まず、敵の拠点を突き止めること。マイケルは先遣隊ということで、インサニオに着く前から、シガレフとは別行動だったみたいね。となると美奈の言う通り、まず初めに叩くべき場所を突き止めなければならないわ」

 マイケルの吐いた情報と、警察関係から入手したデータが載っている書類を、幸平たちは改めて確認する。

「しっかし、まさかマイケルの野郎にまでアジトの場所を教えてねぇとはな。完全に使い捨ての駒、鉄砲玉ってことじゃねぇか」

「マイケルさん、あいつは祖国ロシアの恥だ、ってブチ切れてたし。よっぽどソリが合わなかったから、鉄砲玉にされたんじゃない?」

 そう言いながら、幸平と美奈は自分たちがマイケルに吐かせた情報を見ていた。彼が持っていた有益な情報は、たったの三つ。

 

 マイケルたちが持っていた武器はイースタンポート、かつて東京港と呼ばれた場所の武器商人『ダブ』から手に入れたということ。

 

 そして、偽装パスポートはインサニオへ来る前、ロシアで渡された物であり、出所は不明だということ。

 

 最後に、自分たちをくだんの廃工場まで案内したのは、ラテン語訛りの英語を話す男だったということであった。


「探りを入れるんやったら、武器商人と廃工場まで案内したヤツやな。偽装パスポートは、この街にある程度のコネを持っとるなら、簡単に手に入るわな。業者の数も多いし、特定するんは難しいやろ」

「えぇ。だから幸平と姫梨奈には、そのダブという武器商人の元に向かってもらう。警察の前歴者リストから入手したデータを、今から貴方たちの携帯に送るから、確認してちょうだい」

 越後から渡されたタブレットを操作して、理世は幸平たちの携帯へとデータを送る。幸平はそれを見て、ふっと鼻で笑った。

「コンラッド・『ダブ』・スターキー。押収された銃を、汚職警官から流してもらい、銃身バレルなどを取り換えて販売していることから、『ダブ(Dub)』という通称で呼ばれる、ねぇ……。安物の銃ばっかだとは思ったが、そういうことなら納得だな」

「イースタンポートは、五大ファミリー間の協定で一応は中立地帯ということになっているけれど……。姫梨奈は幸平が先走らないように首輪でも付けて、しっかりと監視しておいて」

 理世は自分の細く白い首筋を、右の人差し指でとんとんと軽く叩きながら姫梨奈に言う。冗談なのかそうでないのか、判断に困った姫梨奈は、とりあえず苦笑いを浮かべた。

「はは……、了解」

「俺は犬かよ。いくらに俺でも、自制って言葉くらいは知ってらぁ」

 ふてくされた様な顔で、文句を言う幸平。もっとも、周りの者たちからは、まるで信用ならないという、冷ややかな視線が向けられているのだが。

 

 そして、理世からの指示を受け取った幸平と姫梨奈は、各々の準備を済ませる為、店の奥へと入って行った。次に理世は、残った越後と美奈に指示を送る。

「まぁ、姫梨奈もついているから大丈夫だと思うけれど。――それで、越後と美奈には廃工場の方を探ってもらうことにするわ」

 理世のその言葉に美奈が眉をひそめ、露骨に嫌そうな顔をする。

「えぇ……。そっちの方って、今のところ手がかりがラテン語訛りの男ってだけじゃん。アタシ、張り込みとか聞き込みとか、そういう地味なのは苦手なんだけど」

 そんな美奈に対して、理世は短くため息をついた後、肩をすくめた。

「安心なさい。貴方にその手の地道な仕事を回すほど、私の目は腐ってないわ。恐らくだけれど、それなりに派手な仕事になると思うわよ。越後も、ちょっとこの画面を見てくれる?」

 そう言いながら、理世はタブレットを操作して、ある銀行口座の取引履歴を美奈と越後に見せた。

「なにコレ? Sから隅沢興業へ二万ドルの送金。で、次に隅沢興業からマエスタス・エンプレッサに二万ドル……。ちょっと、こんなものアタシに見せても分かんないわよ?」

 

 美奈は、理世が自分に何をさせたいのか分からない、という様子である。しかし、豊島一家の金庫番、越後泰広は理世の伝えたいことを即座に理解した。

「なるほど……。つまり、このマエスタスっちゅう企業から更に金の流れを追っていけ、と。察するに隅沢興業ってのは、あの廃工場の土地を持っとる、っちゅうことになっとる会社。で、Sはシガレフの頭文字、っちゅうトコですか?」

「流石ね、越後。ちなみに、隅沢興業という看板を出している企業は、何処にも存在しないわ。所謂、ペーパーカンパニーというやつね。私と姫梨奈が調べられたのはそこまでだった。けれど、こういうのに強い貴方なら、その金の流れ、もう少し深い所まで追えるでしょう?」

 越後の身長が180センチ後半であるのに対して、理世の身長は150センチ前半である。三十センチほどの身長差がある越後に対して、理世は自然と上目使いになり、彼を見上げる形となった。しかし、その理世の姿が越後泰広という男の心臓を見事に射抜く。

 

 越後はえも言えぬ可愛さを敬愛し、密かに慕う理世に感じ、締めつけられる胸を抑えてしばしの間、その場にうずくまった。

「ど、どうしたのかしら越後。どこか具合でも……」

「い、いや問題ないです。なんも、問題はないです」

 そんなすれ違いの片思いを吹き飛ばすかのように、美奈が理世に対して再び文句を言う。

「ちょっとぉ、やっぱり地味じゃん。つまりこれって、越後と一緒に色んな銀行とかを回って、金の流れを探っていくだけでしょ?」

 先ほどまでの越後への態度から一変して、まるで出来の悪い生徒を叱る教師の様に、理世は美奈の鼻先辺りを指差した。

「貴方は発言し、行動する前にもう少し考えなさい。行動力だけでは、この街は生きていけないわよ? ……まったく、最近は幸平とばかり行動させていたせいで、あの単細胞的思考回路が感染うつったんじゃないかしら」

 

 豊島一家、いやインサニオ屈指の短気さと喧嘩馬鹿で知られる仁衛幸平。そんな男と一緒にされては、堪ったものではないと思った美奈は、理世に反論しようとする。

 だが、それよりも先に、理世が続けざまにこう言った。

「単なる場末のチンピラが、複数のペーパーカンパニーを経由してまで、金の流れを偽装すると思う? 恐らく、マイケルに廃工場を隠れ場所として提供したそのラテン語訛りの男は、裏で糸を引く連中の息がかかった奴だわ。ここからはあくまで私の推測だけれど、その男はあくまでその勢力と、ロシアン・マフィアの仲介をしただけなんじゃないかしら」

 そう話す理世の顔はいつになく神妙としており、それがいかに危険な調査であるかを物語っている。少なくとも、美奈の目にはそう映った。

「じゃあ、下手するとさっき言ってたみたいに、五大ファミリーのどれかが、出張ってくる可能性もあるってコト?」

「えぇ。この件を探らないことには、裏で糸を引く連中の正体も掴めない。けれど、それは同時に、探り過ぎれば連中を刺激することを意味している。だからこそ、短気で派手に動きすぎる幸平ではなく、慎重で頭の切れる越後と、それを補う形で行動力に富んだ貴方を選んだというわけ。私の考え、理解してくれたかしら?」

 

 ようやく持病ともいえる理世病から立ち直った越後は、美奈にそう話しかける理世を見て、つぐづく人を動かすことに長けた傑物だと考えていた。

 欠点を指摘した上で、その人物の長所も見抜き、それにあった大役を任せ、重用する。人の本質を見抜く目、或いは才能を見抜く才能とでも言えば良いのか。だからこそ、彼女の元には様々な才能を持った者たちが集い、彼らなりの忠誠を尽くすのだろう。

「そうそう! やっぱりアンタ、よく分かってんじゃん! そういうスリル満点の調査を、アタシは求めてたのよ」

 現に、先ほどまで理世に対して文句を言っていた美奈も、すっかりご満悦の様子。

 

 この六橋美奈という少女。

 これだけを見るとただのお調子者で、世間知らずのはねっ返り娘と思うだろう。しかし、彼女の性質が悪い、というか特異なところは、異常なほどのスリルや非日常への、わがままと評されるほどの好奇心。そして、それがあるところには迷わずに向かう行動力にあった。

 元々、六橋美奈は日本人街の出身、ましてやインサニオの出身でもない。彼女は日本の近畿地方で、何不自由ない普通の学生生活を送っていた女子学生だったのだ。

 しかし、そうした日本本土の息が詰まりそうな平和や、うんざりする様な社会に嫌気がさし、この混沌としたインサニオの大学へと入学してきたのである。

 決して、彼女は悪人というわけではない。むしろ、豊島一家と初めて関わった時の様に、彼女は自分の身を挺して他人を助けることがあるくらいだ。しかし、ある時幸平は美奈のことを、一家で一番頭のネジが飛んでいる女だ、と評した。

 それほどまでに、六橋美奈という少女が持っている非日常への期待と、それを楽しむ気概と行動力というのは異常だったのだ。現に、彼女が習得しているパルクールや四ヶ国語、ピッキング技術などのほとんどは、一家で働く為だけに短期間で習得したものである。


(「ほんま、ボスの元には変わり種な人間ばっかり集まるなぁ」)

 

 そう思いながら、自嘲気味に笑みを浮かべる越後をよそに、美奈は既にやる気満々といった具合で、仕事の準備を始めていた。

 彼も準備に取り掛かろうと、越後はテーブル席から腰を上げ、店の奥に向かおうとする。

 そんな時、理世が越後に向けて密かに手招きしていた。何事かと思い、越後は理世の顔が自身の顔と同じ位置になる様、かがんだ。

 その状態の越後の耳元で、理世がこう囁いた。

「……あの子、幸平ほどじゃないけれど、猪みたいなところがあるから、気をつけて」

 きっと理世としては余計な波風が立たぬ様、越後にだけ内密に忠告しておきたかったのだろう。理世は身内に対して大袈裟なほど心配性で、かなり甘い部分があるというのは、一家の誰もが知っていた。

 しかし、理世は耳元で囁く相手を間違えてしまった様である。

 普段の淡々とした喋り方ではなく、友人に忠告する様な愛嬌のある理世の声を耳元で囁かれた越後は、なんとその場で卒倒してしまった。

 

 越後が復活したのは、それから十分ほど後のことである。

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