『9月25日正午 日本人街遊六通りの喫茶店 PartⅡ』

「――はぁ。貴方はどう思う、姫梨奈」

「まぁ、いつも通りの二人で安心したよ」


 少女が姫梨奈と呼んだ女性は、苦笑いを浮かべている。

 豊島姫梨奈とよしま きりな、一家での通称は『幸平の外付け良心装置ブレーキ』。その明朗快活な性格と、気配りの上手さから一家の調整役と慕われ、また幸平に次ぐ腕っぷしの強さを誇る彼女は、少女とはまた違うタイプの美女であった。

 身長は170センチ前半といったところで、肉体のシルエットはまるでアスリートか一流のモデルかのごとく引き締まっている。

 長く綺麗な彫刻的美しさをもつ足は、タイトな黒いスラックスによって更に際立っていた。しかし、スレンダーというわけでもなく、明るいオレンジ色のシャツと黒いベストの胸の部分は、大きく膨らんでいる。まさに女性的な魅力と、アスリート的な所謂鍛えられた肉体美を兼ね備えた身体であった。

 

 駿馬の尾を彷彿とさせる栗毛のポニーテールも合わさり、姫梨奈はその性格と同様に、明るく活発な雰囲気を振りまいている。

「えぇ、そうね。いつも通りすぎてこちらが不安になるほどよ、まったく……」

「まぁまぁ。逆にこの二人が大人しかったら、それはそれで何かあったのかって話になっちゃうし」

 そう言いながら、姫梨奈と理世もカウンター席近くのテーブル席へと座った。姫梨奈が脇に抱えていたフォルダをテーブルに置き、その中から写真やら書類やらを取り出し、その場にさっと広げる。そして理世が一度咳払いをすると、全員がそのテーブル席に集まった。

 理世の隣には越後が、姫梨奈の隣には美奈が座り、幸平はテーブルに右手をついて立っている。


「さて、と。それじゃあ、対ロシアンマフィアの作戦会議を始めましょうか。姫梨奈、まずはあの不快な写真を皆に見せてやって」

「了解、理世っち」

 軽快に返事をした姫梨奈が、テーブルに広げられた写真を一枚指差した。

 その写真に写っているのは、細長く尖った顔つきに、二本の出っ歯が特徴の中年男性である。

「ヴァシリー・マルコヴィッチ・シガレフ、通称はアスィミノク。この写真は一ヶ月ほど前のものよ。幸平たちが捕まえたマイケルという男と共に、今回の一件の下見に訪れた際、空港警察が念のために撮っていたの。こいつはロシア当局どころか、各国諜報機関からもマークされている幹部だもの。当然と言えば当然ね」

「蛸ってより、ネズミ野郎ってツラだけどな」

 幸平の言葉を後目に、理世は話を続ける。

「こいつが蛸と呼ばれる所以は、その執拗さと陰湿さよ。蛸の触手の様に、一度絡めば相手を喰らうまで、二度と放さないらしいわ。主な仕事は不法就労の斡旋から臓器及び人身売買、それから売春の斡旋。その手腕は見事なもので、ロシアン・マフィア内でも屈指の資金力を持っているそうよ。これらは全て警察筋からの情報だけれど、信ぴょう性は高いわ」

 理世の説明を聞き終え、彼女以外の全員はなんとなく理世の顔を見た。するとそこには、眉間に皺をよせ、まるで汚物でも見るかの様にシガレフの写真を睨む理世の姿が。

 

 理世以外の全員は察した。あぁ、一番嫌いそうなタイプだもんなぁ、と。


「私のごく個人的な感情としては、一分一秒でも早く棺桶に入ってほしいタイプよ。けれど、こいつはインサニオ内の組織、それも極めて影響力の高い組織と裏で繋がっている可能性が高い」

 この街の裏側を取り仕切る犯罪組織で構成された五大ファミリーは、この街が都市国家として独立する前から、外部勢力の排除を結託して行ってきた。これ以上の新規参入は、それぞれの商売ビジネスの障害にしかならないと考えたためである。

 ただでさえ、この旧東京二十三区の中に、およそ一千万人もの人間が暮らしているのだ。そこから発生する事件や事故、策略や衝突の数など、想像すらできないほど膨大だろう。その上、更に新規勢力の参入などされてはたまったものではないというのが、最近まで五大ファミリー全体の総意であった。

 

 しかし、理世は基本的に五大ファミリーなどというものを基本的に信用していない。事実、彼女の先代が豊島一家を率いていた頃には、同じく五大ファミリーであるはずの麻薬密売組織『フランコ・カルテル』との大規模な抗争が勃発していた。その抗争で豊島一家は、幸平の両親をはじめ、多くの者を失っている。そしてそれだけでは収まらず、二つの組織間では事ある毎に大小様々な規模で衝突が起きていたのだ。

 

 このインサニオで手に入れるのが困難なものは、大金と信用できる友人だけ。

 

 このジョークとも格言ともとれる言葉が示す様に、狂騒の街インサニオで信用できる人間など、ダイヤモンドよりも稀だと理世は考えていた。まして、他のマフィア連中など、言わずもがなである。

「それはつまり、五大ファミリーの中で外部勢力と結託して、ワイらを蹴落とそうってヤツがおる。……ちゅうことですか?」

 そんな理世の考えを読み取ったのか、越後が理世の言わんとしていたことを代弁した。

「シガレフの部下だったマイケルは、それなりの数の部下と装備を日本人街に運び込み、私たちの主要な賭場や事務所の場所を把握していた。おまけに、実行直前まで襲撃を悟らせない様に隠蔽し、彼らはインサニオ国籍の偽装パスポートまで所持……。こんなこと、この街にコネのないロシアン・マフィア単独では不可能よ」

「だから手引きしてる何者か、それもこの街の裏側に相当の影響力を持っている奴がいる、ってことにワケかぁ」

 姫梨奈がそう呟きながら、神妙な面持ちで顎に指を当て、書類や写真を見つめている。


「けど、今そんなこと気にしたって、しょうがなくない? 今はとにかく、その蛸野郎の居場所を突き止めて、洗いざらい吐かせるのが先でしょ」

「美奈の言う通りだぜ。あれこれ考えるのもめんどくせぇしな。ばっと行って、露助共も裏で糸引いてるクソ野郎も、まとめて殴り倒せば済む話だ。マフィアなんてモンは、舐められたら終わり。報復カエシは、早くてえげつない方が良い」

 一方の実行部隊側、もとい口より先に手が出る側の二人は、既にやる気満々といった具合であった。理世の指示さえあれば、すぐさまテーブルを離れて、暴れまわってやるとでも言いたげな表情をしている。


「せっかちなやっちゃな……。この一件ヤマは、そないに簡単な話やないんやぞ? それに相手もただのチンピラやのうて、それなりに場数を踏んできた連中や。ここはまず準備と調査をやな」

「そんな悠長こと言ってっから、危うく露助共に先手を打たれそうになったんじゃねぇか。何事も先手必勝、見つけたら即ぶん殴るのが大事だぜ」

「実際、連中に動かれたら被害が出るワケだし。だったら、多少性急でもこっちから仕掛けた方が良くない?」

「まぁまぁ。美奈ちゃんや幸平の言いたいこともよぉく分かるけど、考え無しに突っ込んだら危ないって。せめて情報だけでも探ってから――――」

 

 根っからの武闘派である幸平と美奈の意見と、比較的穏健派な越後と姫梨奈の意見は、なかなか噛みあわない。もっとも、これらは最早恒例といってもいいもので、理世は毎回この二派の意見を聞いた上で、最良と思える判断を下す。そう、彼女はこの一家の参謀役であると同時に、中立の意思決定機関ボスでもあるのだ。

 

 理世は今回も二派の意見を黙って聞き続けている。彼女は両手で鼻と口を覆って、目を瞑っていた。これは彼女が考え事をする際、よく行う癖である。こうすることで彼女の脳は余分な情報を遮断し、判断材料となる情報とまっすぐに向き合うことができるのだ。

 今、視覚を意図的に遮断した理世は、耳から聞こえる幸平たちの意見と、これまで得た情報を元に何をすべきなのか、そして何を見据えて具体的にどう動くのかという考えをまとめ始めた。断片的な情報を繋ぎ合わせ、その裏に潜む様々な者たちの意図を推測する。同時に、それを踏まえた上でどう動くことが理世たち、豊島一家の理想にとって望ましいかを思考していった。

 

 そして遂に彼女の思考は、今回の件への対処を決定する。


「……貴方たちの意見、よく分かった。その両方を聞いた上で、これからの方針と、行動の指示を出すわ」

 ゆっくりと眼を開いた理世が言葉を発する。つい先ほどまで議論を続けていた幸平や美奈、越後や姫梨奈も、黙って理世の声に耳を傾けていた。

「今回の一件、私たちはあくまで外部勢力のロシアン・マフィアを追い出す、という目的で行動する。今はまだ、五大ファミリーのどれかとコトを構えるべきではないわ。けれど同時に、情報の収集は怠らないこと。誰が私たちを罠にはめようとしたのか、知っておく必要はあるわ」

 そう言いながら、理世は隣に座る越後へ向けて右手を差し出す。その意図を把握した越後は、手にしていたタブレットで素早くこの街の地図を開き、理世に渡した。理世は先ほどまでのはきはきとした弁を忘れさせるほど、穏やかな笑顔を越後に一瞬だけ見せて、また豊島一家三代目家長の顔に戻る。

 

 ちなみにその笑顔を喰らって悶える越後を見ていないのは、笑顔を向けた理世ほんにんだけであった。


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