『9月25日正午 日本人街遊六通りの喫茶店 PartⅠ』

 狂騒と繁栄の街、インサニオ。第二次世界大戦後、連合軍によってこの場所が分割統治された際は、復興政府から東京二十三区と呼ばれていた。しかし冷戦がこの街を、東京二十三区と呼ばれた場所を狂気インサニオへと変える。

 東西陣営の対立から生まれた膨大な量の金と闇が、この街を上海や香港、ニューヨーク以上の規模と複雑さを持つ、人類史上類を見ない魔都へと変えたのだ。

 だが、それでも人々はこの魔都へとやってくる。或る者はチャンスを手にする為。或る者は刺激的な人生を送る為。また或る者は他に選択肢など無かった為。そしていつしか人も物も金も、この狂気の街を構成するひとつの要素となっていくのだ。

 

 そんな狂気の街の片隅。かつて杉並区と呼ばれ、今は日本人街とも呼ばれる場所の喫茶店で、一組の男女がスツールに座り、テレビに流れる正午のニュースを見ていた。


『今月25日の深夜、警察はロシアから違法に武器や薬物を持ちこんだとして、ロシア系犯罪組織の一員とみられる、三十名を逮捕しました。この犯罪組織は近頃、日本人街ならびにミッドタウンを騒がせていた凶悪な――――』


「はぁ……、まぁた警察に手柄を横取りされちゃったんだけど。アタシと幸平が捕まえたってのにさぁ」

 カウンターに置かれた小さな液晶テレビを見て、六橋美奈は大きな溜め息をつく。この喫茶店は彼女が所属する組織、『豊島とよしま一家』が経営する店のひとつだ。木製の椅子に、コーヒーと煙草の匂いが染みついたテーブル席のソファー。少し表紙とページがよれている上、微妙にチョイスが古い漫画の単行本が置かれた本棚や、天井で回る黒いシーリングファンといい、よく言えばレトロ、悪く言えば古臭い雰囲気の店であった。

 そんな店のカウンターで、美奈は白いカップに注がれたホットコーヒーを、不機嫌そうに唇を少し尖らせてちびちびと飲んでいる。一方、その横でタブレット型端末を使い、何かの帳簿をつけている男が、横目でそのニュースを見た。


「まぁ、しゃあないな。ワイらの大半も、表向きは単なる一般市民や。裏で自警団紛いのことをしとるだけでな。心配せんでも、誰も警察がやったとは思っとらんやろ。……くそったれ、今月もかつかつやな。表の方の収入が少ないのはこの際置いといて、裏の支出が多すぎるわ」

 

 舌打ちをしながら、しかめっ面でタブレットとにらめっこをする男の名は越後泰広えちごやすひろ。白と茶色のスタジャン、着古したジーンズという装いでありながら、豊島一家の裏と表の金庫番を任されている男である。天然パーマの茶髪を右手で掻き、傾いた眼鏡を直しながら、越後はため息をついた。

「もっとも、表のまともな商売の収入は割合で言うと四割がええとこ。残りは全部、裏の方で細々とやってる賭場やら諸々の依頼やら。ウチは堅気の皆さんへのショバ代、所謂いわゆるみかじめ料の徴収と、麻薬全般はご法度やさかい、折角の金庫も押し入れ代わりにできるほど空いとるわ。なんなら、コインロッカーみたいに貸し出すか……」

 美奈がちらと帳簿を覗くと、そこにはインサニオで五大ファミリーコミッションの一角として恐れられる組織とは思えないほど、寂しいお財布事情が記されている。

 

 元々豊島一家は、日本人街周辺に住んでいた者たちが、他の地域で活動するマフィアや、汚職の蔓延る警察や政治家などに頼らなくて済むようにと設立した自警団である。その為、犯罪組織としての色合いは薄く、構成員のほとんどは表で何らかのまともな商売を営みつつ、裏で自警団として暗躍するという形をとっていた。

 といっても、それだけでは組織を運営する資金など集まるはずもない。

 そこで、日本人街住民との話し合いで許可された賭博と、時折住民から依頼される事柄を解決することで支払われる謝礼金、そして他の犯罪組織を潰した際に強奪した金で、どうにか運営できているというのが現状だった。

「ファミレスの会計でドリンクバーの割引券を使うマフィアは、ウチだけでしょうね。八百屋で値切ったり、クリーニング屋のスタンプカードをこまめに集めたりするのも……」

 美奈と越後の二人は、揃って大きなため息をつく。そのため息と同じタイミングで、ため息の一因ともいえる男が店に入ってきた。


「おいおい。ロシアン・マフィアの連中をぶっ飛ばす為の、作戦会議だって言うから来てみりゃあ。随分と、不景気そうなツラしてんじゃねぇか」

 

 適当に切ったと言わんばかりの黒髪と、ダークグレーのジャケットとスラックス。気怠げな調子の声で二人に話しかけてくるのは、仁衛幸平だった。

「不景気そう、じゃなくて不景気。この一家ってマジで貧乏よね……」

「なんだよ、今頃気づいたのか? ウチは万年金欠で、他のマフィア連中と違って好き勝手にも動けねぇし、おまけにボスの乳もちいせぇ。良いところって言えば、この街のクソ野郎どもをぶっ飛ばせるってコトと、姫梨奈の飯が美味いってコトくらいなモンだ」

 そう言いながら、我が物顔で美奈と越後が座るカウンター席の近くにあるソファーへと横になる幸平。そんな幸平を美奈は呆れ顔で眺めるが、越後は眉間に皺を寄せ、今にも頭の血管がはち切れそうな般若の形相で幸平を睨んでいた。

 しかし、幸平はそんな越後などまるで眼中にないようで、寝転がりながら自分が食べた昼食の愚痴を言い始める。

「それはそうと、美奈。テメェが通ってる大学近くの中華屋、ありゃあダメだな。腹いっぱい食うのに一万円もかかるし、姫梨奈の作った飯よりマズい」

 すぐ近くでこめかみにくっきりと青筋を浮かべている越後の横で、よくもここまで呑気に話ができるものだと、美奈は幸平の図太さにある意味で感心していた。


「……おう、幸平。そんなどうでもええ話より、何かワイに謝ることがあるんやないか?」

 そして遂に越後が最早我慢の限界だと言わんばかりに、ぷるぷると小刻みに震える手で眼鏡を外す。この二人が顔を合わせた時の恒例行事がまた始まったかと、美奈は苦笑いを浮かべる。美奈は豊島一家に入ってまだ一年にも満たない新参者だが、そんな彼女ですらこの二人が火と水、水と油、つまりは犬猿の仲であることは知っていた。

「あぁ? ――もしかして、さっきボスの乳がまな板みてぇだって言ったことか?」

「ちゃうわ、ボケェ! ……いや、まぁ違わなくはないか。ええか、まず人の身体的特徴を笑うのは人として最低の行為やし、ボスはあの慎ましやかな胸も含めて魅力的なんや。あの西洋人形の様な完成された小さな美を――」

「越後、話が逸れてるって」

 

 越後の話が思いきり脇道に逸れていた為、美奈は修正してやる。越後泰広という男は、普段こそ一家でも屈指の切れ者であり、数字や機械にも強い優秀な人物だ。

 しかし、如何せん彼が敬愛し、密かに慕う豊島一家の三代目家長を務める少女が馬鹿にされると、歯止めが利かなくなるという欠点もあった。

「……せやな。ええか、幸平。ボスの事もそうやが、ワイが言いたいのは、お前が要らん買い物をし過ぎるっちゅうことや。今月もアーウェン37と、それ専用の殺傷弾なんぞ買いよって。37ミリのグレネードランチャーやぞ? 家でも解体するんか、おのれは」

 越後が金庫番として、幸平の銃火器蒐集癖に悩まされている、というのは一家では周知の事実である。幸平はことある毎に拳銃から短機関銃サブマシンガン、果ては擲弾発射器グレネードランチャーに至るまで、自身の琴線に触れた銃火器を勝手に購入する悪癖があった。そのせいで一家の武器保管庫には、使う予定のない軽機関銃ライトマシンガンや対物ライフルなどが、ごろごろと転がっている。

 

 まるで、気に入ったアニメのグッズを買い漁るだけ買い漁った後、買ったことに満足して部屋に放置している、アニメオタクのようだ。

「あぁん? もしかしたら、使う機会があるかもしれねぇだろ。アレさえありゃあ、敵は周りのものごと木端微塵に吹っ飛ぶぜ? 敵は全滅、こっちは無傷。万々歳じゃねぇか」

「……このド阿呆が! その弾薬を買う金とメンテナンス費、でもって吹っ飛ばした諸々の修理費やらはどっから出すんや! お前は脳みそにまで、火薬と銃弾が詰まっとんのか⁉」

「んだと、コノヤロー? テメェこそ、算盤弾いて金勘定ばっかりしやがって」

 こうなった越後と幸平を止められるのは、豊島一家の中でも二人の女性だけということを美奈は知っていた。美奈は精々この二人の馬鹿騒ぎに巻き込まれない様、コーヒーをちびちび飲みながら、ニュースを眺めることにする。


(「どうせ、もうすぐ作戦会議だし。姫梨奈さんと理世も、その内来るでしょ」)

 

 美奈が呆れながら心の中でそう呟いた瞬間、店の扉が開いて店内に身長差のある二人の女性が入ってきた。

 小さいの方の女性、というより少女は、新雪の様に白い長髪をたなびかせている。丸縁のサングラスを外した淡い赤色の瞳からは才気と情熱の籠った、鋭い視線を越後と幸平に向けていた。それらに、小さな体躯と白磁の様な白い肌、そして黒を基調としたカジュアルロリータの服も合わさり、少女はまるで職人が手掛けた西洋人形の様な、上品さと神秘性を持ち合わせていたのだった。

 

 この少女こそ、豊島一家の三代目家長である、豊島理世とよしま りよ。その小さな身体からは、想像もできないほどの知略と胆力、そして洞察力を持ち、インサニオ屈指の切れ者として、他のマフィアや警察からも警戒される傑物であった。


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