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>身体を酷使するのは下品、もしくは頭が悪いって考える百識が多いのも事実です
前に玉椿さんが返信で仰っていましたね。
一般的にそう思われているなら、なおさら身体を使いまくって打ち負かしたら観る側も新鮮だし爽快でしょうね。
>しかも弓削は、面識があるとは言えない矢矯であるのに、どこか毛嫌いしている封【風】がある事くらいは神名も知っている。
作者からの返信
ありがとうございます。
百識は社会の生産には何も寄与できないという設定にも基づいています。身体を使った仕事は、多かれ少なかれ「モノを作る」という事に繋がると思っているのです。土木にせよ機械設備にせよ、また伝統工芸にせよ、労働や仕事ってそういう事なのだ、と思うのです。
炎を起こす、稲妻を落とすなんて、そういうのには全く関わりがないので、この様という百識が多い、と。舞台で求められているのは、より酷い、悲惨な死ですから、そういう力が向いているという事にしています。
思考の隙、固定観念は付け入る余地の源となりますね。
もちろん定石は大切ですが、それは定石外の動きまでも織り込んで(ある程度とはいえ)初めて意味を成すものと心得ます。不意打ちに弱いのは誰しも同じこと、ならば不意を衝く訓練を積むのもまた強さへの道でありましょう。
これからも頑張って下さい!
作者からの返信
ありがとうございます。
将棋の格言に「負けて強くなれ」というものがありますが、この手の舞台に於いては、負け=死ですから、鍛えられるという事がなく、自分が勝てた事を成功経験して持ってしまうというものがあると思っています。
接近戦は下品と蔑まれるけれど、それこそ矢矯レベルになると勝機になる事など、実はザラにあるという風に…。