将に銭湯で戦闘の稽古をせんとす。
《導》はたぶん攻撃の特殊能力的な位置づけですよね。《方》は何ですか?基礎体力(能力)的なものですか?
作者からの返信
ありがとうございます。
《導》はより具体的な事象を起こせるもの、《方》は曖昧にしかできない、と設定しています。
なので念動は攻撃も可能ですが具体的に炎や稲妻補起こせる訳ではないので《方》で、それを進めていき、例えば分子運動の加速や摩擦によって炎や稲妻にすれば《導》になる、としてます。
障壁の《方》も、《導》になれば具体的な壁を出現させ、感知の《方》は、進めれば予知になります。
治癒も、傷を塞ぐ、切断されたものをくっつけるならば《方》ですが、存在しなくなった部位や臓器を生やす、死者を生き返らせるとなれば《導》…という風に設定しています。
この辺の説明、作中に入れると長くなるので、ちょっと文章に落とし込む、物語に組み込む勉強が必要ですね…。
あ、これは『的中』な予感……。←色んな意味で
「当たればとんでもないことになる」、深みを匂わせる一言ですね。易しくはないが単純ではある、という認識もまたツボを衝かれそうな予感。
これからも頑張って下さい!
作者からの返信
ありがとうございます。
安土は常に正解を引ける女なので、矢矯は的場姉弟にとって最適の教師になれるのです。
そして兎角、百識は「攻撃力」や「防御力」に言及するのですが、矢矯が重要視するのは「命中率」と「回避率」なのです。