第48話 案外怒ると怖かった

「俺はパートナーを選ばない」


 そう宣言したとき、母様は深く傷ついた顔をした。……そして何故かジェラード様は怒りの感情を露わにして俺を見つめている。


 なんだろう、この空気は。

 覚悟を決めた俺が、まるで悪者じゃないか。


 ……そもそも振られた立場の人間が、未練たらしくその相手を選べるのだろうか。

 ジェラード様は目に見えて不機嫌そうにしているけれど、俺と二人きりで辺境に向かう事になっても良かったのか?


 そんな厚顔無恥な我儘なんて言えるはずないじゃないか。



 一人混乱する俺。

 悲しそうに俯く母様。

 何故か怒り気味のジェラード様。


 なんだなんだ、この三つ巴は。


 そんな気まずい空気の中、親父殿が珍しい事を言いだした。


「セラ、ジェラードはお前と同じ漆黒だ。この際便利そうなそいつを連れてきゃいいじゃねえか。陛下の命令だろうがなんだろうが、俺のお姫様が一人で危険な場所に行く必要はない」


「私もヴァルターと同じ意見です。一人辺境の神殿に向かうのは、母として認められません。貴女は昨日成人したばかりなのだから、まだ誰かを頼っても許されるのですよ?」


 親に背中を押されると戸惑うもので、俺は意見を求めてジェラードをみつめた。


「……自分一人で答えを出して、そして勝手に離れていくのか?」


「離れるっていうか、俺は自分の力で大切な人を守りたいんだ」


 ルーナはファレル先生の横で泣きそうな表情をして、無理矢理に笑う。


「あんたの頑固すぎる意志はわかった。私はその意志を尊重してもいい――って言ってあげたいけど、そんな無茶はしないで。あんたを二度と『天寿を全うする』以外の理由で失いたくはないの」



 エランド様の腕に絡みついたままのアリアは、面白そうに薄笑いを浮かべて「へぇ……」と声をあげた。

「あんたさ、ちょっとだけマシになるのが遅かったね。『前』もそうだったら、私のストライクゾーンのぎりぎりアウトに入ってたかもしれないのに」


「アリア、それ、全然入ってないから」


「揚げ足とらないで! 視界の隅くらいには入れてたかもしれないってこと! でもさ、今が女だってこと忘れてるでしょ。……仕方ないから教えてあげる。女は、ここぞという時甘えることを許されるの! 躊躇ってたら、チャンスが逃げるよ?」



 振られたんだからチャンスもなにもない気がするけれど。

 俺は、未だ怒りを隠しきれないジェラード様の裾を掴み、訊いた。


「貴方からみて俺は未熟ですか? 一人でこの役目を果たすのは無理だと思いますか?」


「また、こうなるのか。……そなたまでこの私では力不足というのか? 私はそこまで不甲斐ないか?」


 その言葉に、部屋は静まり返る。

 母様は驚いたように、そして親父殿はただ真っ直ぐにジェラード様を見つめた。


「おい、ジェラード。そうじゃねぇだろ。俺は認めたくないが、セラはただお前を巻き込みたくなかったんじゃないのか? お前のことが、その、あれなんじゃねぇのか!」


 待って親父殿、そこまでぼかされると、むしろ俺が恥ずかしい!


「そうですよ、ジェラード。セラは、娘はあの日の私とは違います! それはこの子に接してきた貴方なら理解できるのではないですか?」


 やめて、なにこの修羅場!


「ま、待って! 母様、親父殿も!」


 俺は咄嗟に両手を挙げて、まさに「お手上げ」の状態で三人の空気に割り込んだ。


「俺は誰も巻き込みたくない。俺が『聖女候補』と言われ、その名をもって出来ることなら、何だってやってくるつもりだ。だから、もし貴方がここで見守っていてくれるなら、俺はそれだけで何倍も頑張れる気がするんだ」


「見守るのがそなたの隣で何が悪い!」


「……はい?」


 無自覚なのか?

 この人は、今自分が何を言ったのか、内容を理解してるんだろうか。

 俺の顔面はリトマス試験紙の酸性反応並みに、じわじわと赤く染まる。


 何故か今度は親父殿が不貞腐れた様子で、

「過去とこれとは別物だ! 俺のお姫様の悲しむ顔は見たくないが、恋だの愛だのはまだ俺だけに向けてりゃいいのによぅ……」

 とむくれている。

 母様は俺の頬を優しく撫で、そして「心に芽生えた感情に素直になりなさい」と微笑んだ。



「ヴァルター様、セシリア。すまないが少々セラをお借りする」


 掴むように腕を引かれ、俺の部屋へと連れて行かれる。

 無言のまま足早に歩く。しかし、その横顔はまだ完全に怒っている。


 部屋に入ると、俺は強制的に椅子へ座らされた。そしてジェラード様は扉に向かうと、手を触れ、短く呪文を唱えた。


 その言葉は俺でも分かる、いわゆる結界だ。


 閉ざされた部屋に二人きり。俺が前世でやっていたゲーム的な想像をすると、これはいわゆる大変な状況である。一体どういうつもりなのかと一人混乱していると、ジェラード様は向かい側の椅子に腰をかけ、卓に身を乗りだすように話しだした。


「セラ、そなたは一体なんなのだ! 私に何を求めている? 突然好きだと好意をを告げてきたと思えば謝罪をし、私を避ける。そうかと思えば昨夜のように甘えてきて、それに対する私の答えは要らぬという。考える時間もなく、さらには口づけなど……。そして、そなたもまた、こういう時に私を選ばない!」


 これがいわゆる「激おこ」か。などと現実逃避をしたくなるくらい、珍しく感情をぶつけてくる彼に対して、俺は何をすればいいかわからない。

 台詞の選択肢も存在しないから、結局無言になる。


「そなたの想いとはなんだ。私の心に入り込んで気持ちを乱し、勝手に離れていこうとする……。私はそんなに必要ないか、私は役立たずとでも言いたいのか!」


「あの、俺は、貴方を捨てた母様とは立場が違ってですね、むしろ俺が貴方に捨てられた方で……」


「それでもっ! それでも私を選ばぬことに変わりはないではないか」


 ……これは、多分ジェラード様の逆鱗に触れてしまったのだと思う。

 母様が親父殿を選んだ姿と、俺がジェラード様を選ばなかった事が、彼の心の傷に重なって激怒した――ということだろうか。


 俺は立ち上がり彼のそばにひざまづく。


「なら俺が『他の誰でもなく貴方がいい』そう告げたなら貴方を選ぶことが許されますか? 貴方は今、俺への感情ではなく――母様との過去を重ねて心を乱しているように思えます。俺はそんな貴方の心に消えぬ傷を付けた女性の息子です。そして貴方も未だ、母様を慕っている」


 俺は彼の手に触れた。

 その手が、びくりと大きく震えた。


「このまま俺が貴方をパートナーに選んだとして、二人で行動を共にしているうちに、こらえきれず貴方を抱きしめても許されますか? 昨日のように貴方の唇を奪うかもしれませんよ? 俺はこのまま自分勝手に貴方の心を求めて、その見返りを期待しても良いんですか」


「……まるで男の衝動だな、それは。だが、己の感情のままにして許されるものではないだろう」


 彼は悩んで言葉を吐き出す。

 やはり――とは思ったが、その真面目すぎる返答に、俺は思わず吹きだした。


「ですよね。さすがに押しつけられないです! いつか俺が、貴方の中で、母様より魅力溢れる存在になれたら、その時にもう一度告白しますね」


「告白というのは、そう幾度も繰り返すものではないだろう――」


 一息に吐き出したせいか、眉間に皺を寄せ聞き返してくる彼を制して、俺は両膝立ちをする。彼の膝の間に入るようなかたちになるが、気にせず片手で彼の頬に触れる。

 戸惑った様子をみせたが、触れさせたままにしてくれるジェラード様に訊いた。



「貴方から見て、俺は聖女候補として役目を果たせると思いますか?」


「私が教えたのだから、当然だ」


「なら、一人でも大丈夫ですよね! だから、安心して待っていてください」


「――そなたは頑固過ぎるところが玉にきずだな」


 そう苦笑するジェラード様の手が俺の手に重なる。俺は思わず顔を近づけ、彼の唇に息がかかりそうなほど近づいた。


 その時、封印を施していたはずの扉が激しい轟音とともに吹き飛んだ。


 驚いた俺は、ジェラード様との近すぎる距離を忘れ、扉を振り返った。

 そこには炎を纏う拳を握りしめ、肩で息をしている親父殿がいた。


「ジェラード……貴様、俺の娘に手を出すとはいい度胸だ」


「手を出した覚えはない。そういうヴァルター様こそ、かつて私の婚約者を奪い去ったではないか」


 これには親父殿が唸る。


「……それはそれ、これはこれだ!!」


 あわや一触即発かと思ったそのとき、母様が部屋へするりと滑り込んだ。


「ジェラード、あの時の私の選択を許して欲しいとはいいません。ですが、セラと私のことは別として考えてもらえないでしょうか……」


「許すもなにも、あの時の私にはセシリアを守れるものが無かった、ただそれだけだ。結果として、ヴァルター様と幸せならば、それでいい」


 二人を包む空気がとても優しく、俺の胸がズキリと痛んだ――が。


「ジェラード、それが分かるなら俺のセシリアから離れろ。んで、俺の娘の部屋に封印までかけて二人きりになったんだ、何をしたかわかってるなら、その責任をとってもらわないとな……」


 一気に空気を壊した親父殿が、指をボキボキと鳴らしながらジェラード様に近づき、今にも殴りかかってしまいそうだ。

 俺は親父殿の前に立ちはだかると、ジェラード様を背にかばう。


「違います、責任を取るとしたら俺です! 俺が一方的に手を出しました!」


 その言葉で、親父殿は激怒したらしい。

 その後の事をまるで覚えていないのは、二人の間に入った緊張からか、あっさり意識を手放してしまったからだった。


 後日、傷だらけで不貞腐れた顔の親父殿に「手を出したなんて言うから誤解しすぎたじゃねえか」と叱られた。

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天と地の乙女~次の人生は、強制的に聖女一択!?~ 谷口 由紀 @yuki-taniguchi

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