第38話 記念日
俺は覚悟を決めた。
自分の母親を一途に恋い慕い続ける相手に対して「恋とは何か」を尋ねるという愚を犯した。そしてそれ以上に、俺自身が彼に恋慕の情を抱いていることを自覚してしまったのだから。
しかし、よく言われる言葉に「初恋は叶わない」というものがある。
それが真実だったのは前世の結果をみても明らかだ。
そうでなくても叶う要素が見あたらない。
今の俺より15歳も年上で、咄嗟に俺のことを「セシリア」と呼ぶような相手だ。俺に勝ち目なんてあるはずない。
だけど、動かずにこのままの状況を受け入れてしまえば、前世と同じ事の繰り返しになる。
どうなるか、その結果は痛いほど「知って」いる。
だからこそ、もう後悔を繰り返さないと決めた。
+ + +
俺は長い階段の先にある、彼の室へと本を運び入れた。
整理された卓の上に幾つかの本を積んでいると、室内がふわりと紅茶の香りで包まれる。
いつの間に入れてくれたのか、ジェラード様が俺にカップを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
促されるままソファに腰をかけ、あたたかな紅茶に口をつけると、ダージリンのような香りが口いっぱいに広がる。身体はひりひりと痛むが、おかげで心は落ち着いたように感じた。
以前ここに座ったのは、親父殿とアリアの三人で挨拶に訪れた時だっただろうか――そんな懐かしい気持ちを感じていた時、向かい側に腰を下ろしたジェラード様の口が開いた。
「先ほどはすまない。身体は大丈夫なのか?」
あれだけ棘が刺さったのに、即「大丈夫です」とか言えたら俺は無敵だと思う。……なんて返したら、きっと冗談と受け止めてもらえない。それどころか罪悪感で自分を責めてしまいそうだから、俺は笑ってごまかした。
「全然問題ないですよ。俺、こうみえて丈夫なので」
「熱をだして休んでいたものが……丈夫、か」
まさかの皮肉だ! この状況で皮肉を返してくるなんて、性格が斜め45度くらいに傾いているに違いない。
「これから強くなるんですよ、きっと。なんせあの親父殿の子供なので」
「セラ、そなたは女なのだから、ヴァルター様を見習うのはやめたほうがいい」
「そうですか? 性格はともかく、あの筋肉は憧れですよ?」
「あの性格も筋肉も、女性が見習うものではない」
そう言って呆れたように笑う。
こうして細くなる目が、俺は好きだ。
普段表情の変化が乏しいのに、この目から伝わる感情は鮮やかだと思う。
時折こうして沈黙が流れるが、それは決して居心地の悪くなるようなものではない。同じ時間を静かに共有しているような、穏やかさを感じるからだ。
そのせいか、俺の口から、するりと気持ちがこぼれてしまった。
「俺、この時間が好きです」と。
彼は「そうか」とまた目を細めてくれた。それだけで止めておけば良かったのかもしれない。けれど、この時の俺は勝手に覚悟を決めていて、勢いがついていた。
多分、我が儘で、欲張りになっていたのだと思う。
「俺、あなたが好きです。師としても、一人の男性としても」
言えた。
そう思った。人生で初めてとなる告白をやりとげた気持ちになっていた。
「母様を思い続けるその気持ちごと、俺はあなたが好――」
顔を上げた時、俺は俺を殴り飛ばしたくなった。
目の前の彼が、とても傷ついた表情をしていたからだ。そして、そんな顔をさせてしまったのは、ほかでもない「俺」だったから。
眉間に刻まれた深い皺と、どこか光を失ってしまったかのような瞳。そして、色を失った顔色。
俺は「やらかした」のだと気づいた。
「あ、あの……申し訳ありません! 気持ちは本心だからそこは謝れないけど、押しつけた感情であなたを傷つけたかったわけじゃないから」
我ながらなにを言っているのかわからなかった。
だけど、告白の内容だけは謝りたくない。
それからしばらく、長くて重い沈黙が続いたように思う。
彼が持ったままのカップを卓に置き、深い呼吸を吐き出すと、俺の目をまっすぐに見つめてきた。
その表情から感じたのはひとつの決意。明るい内容ではないことが容易にわかるが、俺はその目を見つめ返した。
「すまない。私はそなたを愛することはできない」
――知ってるから大丈夫、そう笑ってあげられたら良かったのに、俺の心は勝手に傷ついてしまった。
失恋を覚悟したうえでの告白だったはずなのに。
「……いえ、俺こそ申し訳ありませんでした。伝えたのは俺の我が儘で、この気持ちを押しつけて苦しめたいとは思っていないので大丈夫です」
精一杯の強がりで、ニッと笑ってみせた。
でも、そう笑って答えるまえに不自然な間が空いてしまったから、折れそうな強がりも、綺麗事なのも気づかれてしまっていたのかもしれない。
申し訳なさそうな表情のジェラード様に、俺はまたどうにか無理矢理に笑ってみせた。
「よし! この場限りでさっきの言葉は忘れて下さい。無かったことにしてもらって構わないです。では!」
言い終わると席を立ち、振り返らず部屋を飛び出した。
彼が「セラ!」と俺の名を呼んでくれたけれど、立ち止まってじっくり振られる勇気なんて持ち合わせていない。
完全な言い逃げだ。
でも、彼は俺の言葉を受け止めて、ちゃんと心からの言葉を返してくれた。
それがたとえ俺を振る言葉であっても、子供扱いではなく、弟子としてでもない。一人の「セラ」として考えてくれたのだ。
辛いけれど、前世では片思いのまま動けなかった情けない俺が、こうして前進できたことが嬉しいんだ。
嬉しい。
そう思わないといけないのに、勝手にあふれ出る涙を止めることができなかった。
+ + +
その日、俺は最低なことを重ねた。
仕事も勉強さえも放棄して、そのまま帰ってきてしまったのだ。
塔の石段を風のように駆け下りていく姿を、誰にも見られなくて本当に良かった。そんな姿を見られていたら、年頃の女としても、聖女候補の「セラ」としても評価が下がってしまう。
それにまた「はしたない」と師である彼に窘められてしまうだろうから。
俺は気づけばルーナの部屋にいた。
どうやら足が勝手にここへ向かっていたらしい。
涙が溢れ続ける情けない俺の姿をみたルーナは、一瞬驚いたような顔をしたが、即座に部屋へと招き入れてくれた。
椅子をすすめられ、顔にハンカチを押し当てられる。
「よく頑張った」
なにがあった、ともどうした? とも訊かれなかった。
でも、俺を理解してくれたんだと感じた。
「頑張ったね……」
その言葉をもう一度繰り返すと、ルーナは俺の隣に立ち、座ったままの俺の頭を抱きしめてくれた。
力を込めすぎているのか、頭痛がするくらいに締め付けられる。
なのにあたたかくて、優しくて。
どこかでわあわあと喧しい音がする――そう思ったが、それはどうやら俺が声をあげて泣いている声だった。
家族が泣くと、誰かが必ずこうして頭を抱え込むように抱きしめていたのを思い出す。
こんな時なのに、俺は心のどこかで幸せな既視感を感じていた。ようやく動けた、そんな気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます