第37話 負担上昇中

 恋というものは厄介だ。


 そんなことは前世でこれでもかと拗らせた片思いで理解していたはずだった。

 この世界ではまだ15歳だが、前世の経験を足したら41年分の人生を生きているはずなのに、性別が変わってしまったばかりに役に立たないことも多い。


 前世の俺は、片思いこそしていたが、仕事にも勉強に対しても公私混同はしないタイプだった。

 だから今世でもきっとあんな感じに恋をしていくのだろうと思っていた。


 それなのに。



+ + +



 今日の学びは単純なものだ。

 狭い部屋に四つの卓があり、そのそれぞれに、手元を照らす蝋燭とたくさんの細かな魔石が置いてある。

 力をより安定させ、制御しやすくするために、石に見合った適量の魔力を注ぐ練習……といったところか。

 最初にそう指導してくれたゲオルグ様は、今は席を外しているから、この部屋にはアリアと俺だけが残されている。


 しかし、アリアはこういう細かい作業が苦手なようで、さきほどからピシパシと続けて魔石を割っている音だけが響く。


「アリア、石の変化をよく見て注ぐのをやめないと、そこにある全部を割るはめになるぞ?」


「うっさい、話しかけないで」


 そしてまた彼女の掌の中で、石がピシリと鳴る。


「あんたのせいでまた割れたじゃない! なんでこんな地味なことしなきゃならないのよ! もっと大きくてカッコいいことがしたいんだけど」


「小さな事をちゃんと出来るようにならないと、大きな事なんてできるわけないだろ?」


「あんたバカなの? 大は小を兼ねるって言葉もあったでしょ? 私は大きいことだけやるから、あんたはこういうつまらないの全部やってよ」


 言いながら卓に散らばる魔石を押しつけてきた。

 昔から面倒くさがりなところは成長していないらしい。


 魔石に罪はない。俺は注ぐのをやめ、割れた石の修復に力を注いだ。掌で石を包み込み、闇の魔力がすべての亀裂をなぞるようにゆっくりと注いでいくと、溶けた飴のように魔石がかたちを変えていく。

 こうして直せるのを知ったのは全くの偶然ではあったが、やはり捨ててしまうのは勿体ないし使えるなら無駄にしたくはない。


 完全に元通りとはいかないけれど、練習用には支障なく使えるはずだ。


 頬杖をつきながら俺の手元を眺めていたアリアが「へっ!」とふてくされた顔をする。


「あんたって、そういうとこだけ器用よね。それなのに恋愛は全然ダメとかウケる。で、どう? 女になって私の凄さがわかったんじゃない?」


「お前の凄さって言われてもなあ……相手に不自由しなかった人生なのは聞いたけど、俺はそれに憧れたことはないな。素直に生きてるところは羨ましかったけどさ」


「私は愛され女子なの。好きだと思う相手には、いくらでも愛されたいもの」


「一人じゃダメって事?」


「あのね、まずそこがおかしいのよ。なんで最初から一人に決めないといけないの? 確実に結婚して幸せになれる保証があるならいいけど、そんなもの無いんだから、何人でも試しに付き合うべきでしょ。そうじゃなければ誰が一番なんてわからないもの」


 そう鼻息荒く語ってくる彼女は、やはり少しだけ羨ましい。

 前世でも、今でも、全くブレずに彼女の信念のようなものを感じる。しかし、それを貫いた結果が孤独な最期だということを失念しているような気がしなくもない。


 それを伝えたら激怒しそうなので、そこは黙殺することにした。


「保証がないから、相手に頼りきりじゃなく自分も磨くしかないんじゃないかな?」


 その言葉が、アリアの逆鱗に触れたらしい。

 瞬間湯沸かし器みたいに、一瞬で顔が赤くなる。

 般若面が女性の顔を模したもの……とはよくいったもので、こういう顔はしたくないしさせたくもないのに。


「なんなの、あんた! お母さんみたいで五月蠅い! やる気ゼロになった……っていうかむしろマイナス。あんたのせいなんだから、これ全部やっときなさいね」


 結局すべての魔石を押しつけられてしまった。

 当のアリアは不機嫌さを隠すことなく、ドスドスと足音をたてながら部屋を出ていく。


 昔はアリアに体よく使われていたが、ここまで衝突することは無かったように思う。

 彼女は俺にうまく甘えてきたし、俺もそこが悔しいけど可愛いと思っていたのに。


「男と女って、やっぱ違うんだな……」


 俺の言葉はため息とともに部屋に消えた。


 それから俺は何時間この作業を繰り返していたのかわからない。考え事をしながらの単調作業というのは、正直とても捗る。小さな魔石に力を込めるたび、仄かな光を放つのも幻想的で好きだ。


 卓の上にあるすべての魔石たちに光がともる頃、静かに扉が開いた。

 たくさんの本を片手に抱えながら入ってきたのは、考え続けていたジェラード様、その人だった。


「そなた、一人か?」


 彼は俺のもとまで歩み寄ると、卓に本を置き、手元をのぞき込んできた。小さな石一つひとつを丁寧に眺めると、そのまま俺の頭にポンと軽く手を置いた。


 何気ないそんな動作ひとつで、こんなにも胸が跳ねる。


「よくやった、うまく力が込められているな。しかし、この量……そなたにこれを押しつけたアリアはどこへいったのだ?」


「アリアはこういう細かな作業は苦手なんです。きっと華やかで大きな作業なら喜んでやると思いますよ」


 そう自分で言っておきながら、派手に魔力を注いで建物を爆発させるアリアの姿が脳裏をよぎったのはここだけの秘密だ。


 ふとみると、ジェラード様がいくつかの魔石を手にとっている。

 先ほど俺が修復した魔石たちだった。


「あ、それ……」


 思わず手を伸ばすと、それを持つ彼の指先に触れてしまった。

 俺と彼が石から手を離したのは、きっと同時だったのだろう。


 硬く小さな音をたてて、石が床に落ちた。


「も、申し訳ありません!」


 そしてまた、ジェラード様が拾うために屈んだのと俺が座ったまま身を屈めたタイミングが重なる。


 俺の顔のそばにジェラード様の整った顔が並ぶ。

 動揺した俺は、そのまま勢いよく椅子から転がり落ちた。


 無様にもほどがある!


 落ち着かせようと思うのに、心臓は盛大な音をたてるうえに、顔面が紅潮していくのを止められない。


 拾った石を卓に置いたジェラード様は、眉間に皺を寄せ、俺の額に手をあてた。


「な、なにを?」


「……熱は、ないのだな? とするとまだ本調子ではないということか。無理はしなくて良い、今日はもう帰って休むといい」


 そう言って本を持ち上げようとするジェラード様よりはやく、俺がその半分を持つ。

 これほどまでに無様な姿を晒したのだ、手伝いくらいさせて欲しいし挽回する機会が欲しい、そう思った。


「これをどこに運べばいいですか? せめてこれくらいはさせて下さい」


 俺の意図を理解してくれただなんて都合良く思わないけれど、彼は好きにさせてくれるみたいだ。

 本は彼の室に運ぶと言ったので、俺たちは並んで階段をあがる。

 静かに響く靴音を聞きながら、隣を歩くジェラード様の横顔をそっと見上げた。綺麗な横顔と、さらりと流れる漆黒の髪。いつもは片側にゆったりと編み込まれているのに、今日は肩のあたりで緩やかに結ばれている。そのせいか歩くたびにさらさらと揺れ、新鮮に感じる。


 触れてみたい。


 そんな欲求が急に湧きあがる。

 陽菜に一方的に好意を寄せていたいた時には無かった感情で、俺は戸惑った。

 恋とは、見ているだけでも幸せなものではなかったのか、と。


 その時、ジェラード様の唇がわずかに開いた。

「――そう見るな、さすがに少し気になるではないか」と。


 見ていた本人に気づかれていたこと、そして俺の中の下心。どちらに反応してしまったのか。俺は比喩ではなく、物理的に跳ねてしまった。

 そこがまだ階段のさなかであったと気づいたのは、身体が斜めに傾いた時だった。



「セシリア!」



 ジェラード様が俺に手を伸ばしかけ、そのまま驚愕している。


 わかる。学校の先生に対して「お母さん」って言っちゃった時みたいに気まずいもんな。

 咄嗟に母様の名前が出てしまったのは、好きなら仕方ないことだ。きっと……。


 そんなことを冷静に分析しながら、俺は「俺」の最期を思い出していた。


 なんだか走馬燈に似ている。


 落ちる速度をやたらと長く感じていると、ジェラード様がこちらに掌を向けて何かを放ったのが視界に入る。

 俺が学んだもの以外に、闇の魔力にはどんな使い道があるんだろう。

 落ちる以外の選択肢がないせいか、そんな暢気なことを考えて衝撃を覚悟した――その時、何故か全身にちくりとした痛みが走った。


「セラ、大丈夫か?」


 黒い縄のようなものが、ジェラード様の掌から伸びていた。

 それらが俺を落下の衝撃から救ってくれたようだ。

 しかし、この状態でそんな事を思うのはなんだが、まるで網を投げた漁師のようだと思った。


 もちろん真剣な表情だし、助けられた身としてはカッコいい思う。

 しかし、いまだ身体にはチクチクとした痛みを感じる。よく見ると、黒い縄だと思ったものは、細かな棘がある黒い茨だった。


「……地味にいっぱい刺さってます」 


 うっかり本音がでてしまったのは仕方ないと思う。

 せめて蔦なら良かったのに。


「刺さる、とは……? す、すまない! 大丈夫か?」


 手元を見て気づいてくれたのだろう、ジェラード様が焦ったように走り寄ると俺を片手で支えながら茨を消してくれた。


 茨が出てしまったのは、きっと彼も動揺したからだろう。俺は細かい傷が残る肌を素早く隠した。

 これ以上彼を悩ませたくはないから。


 何事もなかったように落とした本を拾うと、俺はジェラード様に礼を言う。

 そして気遣う彼に微笑んだ。



 失恋することが確定している恋は初めてじゃない。

 俺は覚悟を決めた。

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