第34話 恋は難題

 俺は目の前に立つジェラード様に尋ねた。


「恋とはどういうものですか」、と。

 そう訊いた途端、ジェラード様は表情を曇らせた。彼はその場で黙り込む。そして苦し気に吐き出した。

「動くことも許されぬ、鎖のようなもの」と。


 俺が恋をしていた時、彼のように苦々しい表情をしていたのだろうか。

 あいつの横で笑う陽菜の姿は可愛くて、羨ましくて。隣にいられる存在が俺ではないことが悔しくて痛い……けれど好きだった。

 気まぐれに俺にちょっかいをかけてくる陽菜。それがただただ嬉しくて、ほかの誰かを好きになることもできなかった。


 あぁ、そうか。他の誰かを想うこともできないくらいに縛られた恋――それが、鎖か。


 胸が激しく痛む。

 いっそ泣きたいのに、男の俺が邪魔をして、涙を流すことさえできない。


 ――苦しい。


 そう思い胸を押えた時、現実こにらの俺も目が覚めた。


 部屋は暗く、まだ日が昇るような時間でさえなかったようだ。ベッドに身体を預けながら、いま見たもの夢であったことを安堵した。


 しかし「恋は痛みにすぎない」そう現実のジェラード様は言った。


 その言葉の意味を考えすぎたせいか、昨夜に続いて今夜もうまく眠ることができない……。

 アリアが俺を「気持ち悪い」と嫌悪する言葉。そしてジェラード様の苦しそうな表情。考えれば考えるほど、思考が出口のない迷路に嵌まり込んでいく感覚がする。


 そして、そのまま眠れなかったからなのか、俺は翌朝にはバッチリ熱をだしてしまった。



+ + +



 柔らかいベッドで横になっているはずなのに、布団が重く感じる。

 身体が押され続けているようで息苦しい。


 いっそ眠ってしまえたらこんな感覚から解放されるかもしれないのに、高すぎる熱が俺を現実へと引き戻す。


「セラー? だいじょぶ?」

 そう言いながら顔を覗かせたのはルーナだ。

「だ、大丈夫。ルーナにうつってもこまるから、来なくてもいいよ」


 それには答えず、躊躇いなく入ってきたルーナは唇の端を上げたまま、ベッドの横に置かれた卓の上にある水桶に浸した布を絞る。

「今はセラのほうが魔力が高いから、私じゃ完全には癒してあげられないんだよね……ごめん」

「気にしなくても、こんなのただの風邪だろ?」


 魔力の干渉は強いほうに引っ張られてしまうらしく、闇の加護が増した今となっては、俺に光の加護を用いて治療できるのは陛下だけ、ということになる。

 俺の師であるジェラード様が光の加護をもっていたなら、こういう時ありがたいのに。

 そんなことを言っても仕方のないことだし、それこそ適材適所だ。せめて大きな怪我には気を付けないといけないな……。


 そんなことを考えていたら、ルーナが俺の額に布をのせながらじっと見つめてきた。


「ねえ、何かあった? 昔からあんたが熱出すのって、風邪っていうより、精神的にしんどい時だったでしょ。言ってみ?」


 さすが双子の姉。

 俺じゃないのに、俺以上に俺のことを理解している気がする。


 俺は、アリアに言われた言葉を気にしていること。そしてジェラード様への失言を話した。

 全てを語り終わるまで、ルーナは頷くだけで決して口を挟まなかった。


「なるほどね……。アリアは言い方が悪いよね。でも、私も少しだけ同じことを思ったよ。あ、間違っても同じなのは『気持ち悪い』ってとこじゃなく、そろそろ『女としてのセラ』も受け入れてみないのかなって」


 ルーナは話を続けた。


「あんたのことだから『前世の俺を否定出来ない』とか思ってるんだろうけど、今やってることは『セラを否定してる』んじゃないかなって。そうじゃなく今のあんたを、そのまま受け入れてあげればいのになって。心の変化も、身体の成長も」


 唇の端を上げ、ニイッと笑う。

 飾らない本心をくれるルーナの存在は有り難い。


「俺ごと、か。いきなり今日から変えるのは難しいけど、俺なりに頑張ってみるよ」


 ルーナは笑顔のまま頷いた。

 したし一変して表情を曇らせる。


「だけど、問題はジェラード様よね。あんたさ……今私たちがいる状況を考えたことある?」


 訊かれた俺は首を横にふる。


「私たちのお母様が前作のヒロインであるセシリアで、お父様はその時の攻略対象の一人であったってことは、つまりここは『ヴァルターとの恋愛ルート』の延長線上なわけでしょ? ってことは、そのシナリオでヴァルターの恋敵として登場するジェラード様はお母様に失恋するはず。……つまり今は登場人物全員が、その未来を生きてる世界ってことなのよ」


 ゲームはエンディングで終わるけれど、そのままヒロインが婚姻し、さらに年齢を重ねて子を持つ母親になった世界。

 重ねた時間のぶんだけ、失った恋に縛られていたら……。


「あんたに言った言動から察するに、多分ジェラード様はまだ少なからずお母様を想っているんじゃないかしら? なのにその娘に恋の意味を訊かれるだなんて、さぞ複雑でしょうね」


 ゲームの恋愛イベントであったでしょう? ――といわれても、俺はストーリーを進める担当だったから、そういうイベントごとには一切触れてこなかった。


 そう訴えると、ルーナはジェラード様の失恋ルートを詳しく説明してくれた。曰く、二人は婚約していた。にも関わらず、親父殿がなかば略奪するかのように母様の心ごと奪っていった、と。俺たちの居る世界は「続編」で、今作での彼は、心を病んだ闇の攻略キャラとして登場する予定だと事前情報にあったらしい。


 ということは、なんの気なしに恋について質問してしまった俺は、迂闊にも彼の地雷を踏みぬいた可能性が高いのだ……と。


「うわあ……どうしたらいいんだろう」


 俺は顔まで布団に潜り込み、頭を抱える。

 布団の向こうで、ルーナは「言っちゃったものは取り消せないんだから、やらかしたことに頭抱えてる暇があったら、この先どうするかを考えたら?」と言いながら、俺を落ち着かせるように布団の上からぽんぽんと軽く叩いた。


「あら、ルーナもセラの様子を見にきていたのですか?」

 扉のほうから聞こえた声は、母様のものだ。

 もそもそと顔を出すと、部屋にふわりと微かにいい香りが漂っている。

 ふんふんと匂いを嗅いでいた俺をみて、母様はくすりと微笑む。


「ミルク粥です。少しだけでも食べられるといいのですが……」


 そう言うと、持っていたトレイを卓に置いた。

 銀色のクローシュに似た蓋を開けると、香りがいっそう鼻腔をくすぐる。


「美味しそう……」


 身体を起こし、白く柔らかな粥を一口すくってみると、コンソメとスパイスの香りが食欲を刺激する。

 口に運ぶと、牛乳とチーズの味がまろやかで、胃にも優しい。


 熱のせいか多くを食べることはできなかったが、それでも十分満たされた気がする。

 差し出された薬を飲むと、俺はまた身体を横に戻した。


「あ」

 と、思いついたようにルーナが手をポンと打った。

「母様に訊いてみたらいいんじゃないかしら。ジェラード様のこと!」


 婚約していた本人に質問する内容じゃないだろう――そう思ったが、ルーナはどこか『名案』とばかりにドヤっとした顔をしている。


 母様は椅子に腰を掛け、俺の額に冷たく濡れた布を乗せてくれる。

 そして、

「ジェラードがどうかしたのですか?」

 と首をかしげている。


  ……気まずい。そう思うのは俺だけなのだろうか。

 言葉を選びすぎて沈黙していると、任せろ! とばかりにルーナが俺に向かってウインクを飛ばした。嫌な予感しかしなかったから、止めようと思ったが、制止する前に先ほど俺が話した内容のすべてを、母様に包み隠さず話してしまった。


 もちろん、ゲーム云々は言わなかったが。


 それを聞いた母様は、俺の頭を撫でながら悲しそうに微笑んだ。


「ジェラードの心は、きっとあの時のままなのですね。……彼との婚約を解消したわたくしが言ってよい言葉ではないのでしょうが、私は今、家族に囲まれて幸せなのです。いつか彼が、私との想い出を過去だと受け入れられたその時には、きっと彼の痛みを癒す存在があらわれます。……それはセラ、あなたかもしれませんね」

 ふふ、と小さく笑う。

 母様の真意はわからないけれど、俺にはきっと難しい。


「恋の傷を癒すのは、新しい恋だっていうもんね!」

 そう言いながら、ルーナは母様と笑いあっている。

 女同士だと、こういう感情を分かり合えるものなのだろうか。


 俺にはまだ、難しくてわからない。

 薬が効いてきたせいか、俺はそのまま眠ってしまったようだった。

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