第31話 中途半端
何故だか俺は、少々浮かれすぎていたのかもしれない。
部屋に戻った時、俺の手にはしっかりと手鏡が握られていたのだ。
管理を任されたものを塔から持ち出すことなど、あってはならないのに。
「めっちゃ狸じゃん!」
「あんたモサい!
さすがに今から塔にいるジェラード様の元に向かったところで「立場ある令嬢が深夜に男の室を訪れるのは……」とか叱られるに違いない。なら明日の朝一番に……どうやって謝ればいいんだろう。
「あんた顎の下に肉の段があるよね! 信楽焼の狸かっつーの」
「女は適度に柔らかいほうが触り心地いいって喜ばれるの! ってかあんた顔面ボロボロじゃん。そういえばオタクだったよね、アニメ見ながらハイカロリーなものでも食べてたんじゃないの? 女子力ひっく!」
ジェラード様は、きっと隠さず謝罪すれば公正な判断をして下さるだろう。
「「あんたに言われたくない!」」
ルーナとアリアの声が重なった。
「あのなあ、真面目な考え事してる時くらい静かにしてもらえないかな?」
俺が持ち帰ってしまった鏡の対処で頭を抱えている間中、こいつらは呑気に遊んでいた。
……人の気持ちも知らないで。
俺の眼が据わっていたからか、アリアがお得意の空気を読んで会話をずらしてきた。
「ねえ、そういえば今日、なんでジェラード様から逃げたの?」
予想していなかった質問に、思わず言葉が詰まる。
「やっぱりあれは逃げたことになるのかな。鏡を見せないといけないって思ったら、頭の中が急に真っ白になって……気づいたら走ってた」
理由なんてわからない。
俺の顔を覗き込んだルーナが、ニヤニヤと悪戯っぽい微笑みをした。
「おっ、もしかして『恋』ってやつですか? 女になって初めての感覚ですかー。まさかこの私が先を越されるなんて」
反論するのも面倒なので、無視を続けた。茶化されているのがわかるのに、頬が勝手に紅潮していくのを止められない。
「ほっほー、なるほどなー」
顔を覗き込むのはやめろというのに。
俺は立ち上がり、離れた窓辺においてある椅子に避難した。
背後で「いやあ、恋っていいものですねー」などと言葉を続けるルーナを、存在ごと無視することに。
――しかし。
「え、でも男同士でしょ? 気持ち悪い」
とアリアがそう言い捨てた。
隠す気のない嫌悪感に満ちた言葉が、胸に刺さった。
俺は振り返りアリアを見る。しかし何も言葉に出来ずにいたが、それより早くルーナが椅子から立ち上がり両腕を組む。そしてアリアを睨みつけた。
「あんた相変わらず性格悪いよね。 確かに前世は男だったけど、今はセラなんだから何も問題ないじゃない。少なくとも前世も今もどっちのあんたも、容姿じゃセラにぼろ負けなんだからね!」
身内びいきのフォローは有り難いが、今「性格が悪い」と言われた前世のアリアは、一応俺の想い人だったんだけれど……。とはいえ、今この状況でそんな発言をしようものなら、ルーナに激怒されるに違いない。
俺は、窓に映る
15歳になったからか、気づけば容姿に性別を感じさせるようになったと思う。服の上からでもわかる程度には、女性らしい丸みも出てきた。乙女ゲームのヒロインらしく、いわゆる美少女と呼ばれる類いだろう。しかし、これが画面の中のキャラクターであれば、大喜びで「俺の嫁」とか言えたかもしれないが、残念ながら中身は俺なのだ。前世の性別を引きずって、女にも男にもなれない……。
「確かに身体は女かもしれないけど、結局どっちつかずじゃん? 口では『俺』とか言ってるけど姿は女なのに、女らしくする気もないんでしょ? そうやって中途半端に生きてるから余計に気持ち悪いんだよ」
『中途半端に生きてるから、どこにも属せる場所が無いんだよ』
刹那、陽菜に言われた言葉が胸に浮かんだ。
――どこにも居場所がない。
俺は、26年の人生を忘れる事もできず、15年目のセラを完全に受け入れる事もせず……。
「そう、だよな。中身がこんなだから、恋は難しいんじゃないかな」
その時、母様がお茶と焼き菓子を手に、部屋に入ってきた。ふわりと紅茶の香りが漂う。
どうやら話し声が聞こえていたようで「私わたくしも一言だけいいかしら……」そう前置きする。
母様が俺達の前にカップを差し出しながら順番に紅茶を注いでいく。
そして。
「セラ、たとえ中身がお父様あのひと似だとしても、今、あなたの気持ちが誰かに向いているというのなら、それはとても素敵なことよ」と微笑んだ。
「アリア、貴女のその隠さない素直さは魅力かもしれません。けれど、その言葉で誰かを気づ付けたとしたら、それは素直さではなく失言ですよ。貴女は17歳なのだから、そろそろ相手の気持ちも考えなくてはね」
母様は、アリアの頬を軽く撫でた。
その微笑みは、柔らかく美しい。
「ルーナも、アリアと共に磨きあいなさい。二人は良きライバルのようだから、きっとお互いを高めていけるでしょう」
そう告げると、母様は部屋を後にした。
「ジェラードは、少々不器用ですが、優しい方ですよ」
と意味深な言葉を付け加えながら。
母様の退室を見届け、真っ先に反応したのはアリアだった。
「あんたジェラード様が好きなの? よりにもよってあんな陰気で喋らない相手に恋とか……趣味悪いね」
アリアが呆れたように彼を貶める発言をした瞬間、俺の胸に抑えようの無い熱が湧き上がる気がした。
「お、お前がジェラード様の人となりを知らないならそれで全然構わないけど、悪く言うのは違うと思う! ジェラード様は職務に真面目な方だし、教え方も丁寧だぞ! それに、笑顔は猫っぽくて可愛いし」
感情的になるのは苦手だ。そのせいか、俺は今自分が何を言っているのか理解できなかった。
ただ、尊敬する師を悪く言われた事が許せなかったのだろう、とは思う。
アリアは言い返される事に気分を害したのか、面倒臭そうな表情で席を立つと「全然わかんないし、わかりたくもない。私、犬派だから」と出ていった。
ふーふーと肩で息をする俺を見ていたルーナは「なんだ、やっぱり恋してるのね」と唇の端を上げて笑う。
そうじゃない。尊敬はしているが、恋じゃない。
きっと気のせいだ。
深呼吸しながら、俺は必死になって自分自身にそう言い聞かせていたが、それを見守るルーナの目はとても優しかった。
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