第27話 それぞれの想い ※二つの視点があります
目の前には薬品棚から取り出してきた希少な薬草が並ぶ。
すり潰したもの、沸騰した湯を用いて煮だしたものなど、魔力を注ぎながら幾つかに分けて硝子瓶に混ぜ合わせる。
陛下の命とはいえ、これほど望まぬ調合は初めてだ。
いっそ失敗してしまえばいい。責められたら職を辞して一人館に戻ればいい……。
そう思うのに、少しずつ薬は完成へと近づいて行った。
何と言って、私は彼女にこれを与えるのだろう。
こんなものを渡されて、セラはどう思うのだろうか。
その時、軽いノックの音がして、重い音をたてながら扉が開く。
振り向かずともわかる。今、この室に足を運ぶものなど一人しか思い浮かばない。
――セラ、だ。
私の婚約者となったばかりの、大切な人。
喜んで招き入れることもできず、振り向くこともできないままでいると、遠慮がちな足音が背後まで近づいてきた。
「……ジェラード。女王陛下から何か聞いたか?」
その声には「知らないでいて欲しい」とでもいうような期待が読み取れる……が「婚約は白紙に戻す、だろう?」という言葉が口から出た。
声は震えていなかっただろうか。冷たいと感じたのだろうか、セラが息を飲んだのがわかる。
「でもさ、たった三年だろう? 三年なんてあっという間だよ。そうだろう?」
それを聞いて、思わず身体が震えた。今の私のままで待てる三年ならば、きっと喜んで待つことが出来ただろう。
だが、この薬ができてしまったら……。そう思うのだが、薬液の反応から、じわりじわりと完成へと近づいているのがわかった。
何も言葉を返せずにいると、セラは一人会話を続ける。
「さ、三年は長いかな? お前にとっての三年は、俺の三年とは違うのかな。もちろん、け、結婚適齢期とかあるから、待っていて欲しいとか無理は言えないけどさ」
――待てるならば、いくらでも待ちたい。
「そういえば、ルーナとファレルは、三年後にもう一度婚約するって約束してたよ。それで、もしお前が良ければ俺達も――」
――もう、これ以上期待をしないでくれ!
「セラ!」
甘く、蠱惑的に響くそれを止めたくて、思いのほか大きな声となってしまった。
「……ジェラード? 陛下はお前になんて伝えたんだ」
泣きそうな声、だった。
涙など、一滴さえ流させたくないというのに。
「先ほども言ったはずだ。婚約を白紙にする、と」
それだけならば、こんなにも苦しまずに済んだものを……。
「――積み重ねた関係ごと、白紙に戻せと」
その時、混ぜていた薬液が暗い光を放つ。
「出来た」
――出来てしまった。
セラに、何を告げれば良いのだろう。
私はゆっくりと振り向いた……顔は、上げられなかったが。
今後触れる事が出来ないのならば、いっそ。私は出来上がったばかりの薬液を指先につけると、そのままセラの唇に触れ、そこを濡らした。
驚いたような表情のセラに「味はどうか?」と訊けば、彼女は躊躇いもせず舐め上げる。
「……甘い。かなりうまい」
相変わらず女らしさの欠片もない言葉に、思わず顔を上げ、苦笑してしまう。
笑ったつもりだったが、思いが喉に詰まる。
「セラ、そういう時は『うまい』ではなく『美味しい』と言うように。言葉遣いには気をつけるようにあれ程言ったではないか」
あぁ、違う。こんな事が言いたいわけではないのに。
私もまた、指先に滴る雫を舐めとる。
セラは真っ赤な顔で、私の仕草を見つめていた。
彼女の唇に触れた指先、それだけでなく。なるほど「確かに甘い、な」と呟きが溢れた。
甘さは記憶。
二人で積み重ねてきた、かけがえのないもの。
――途端、気持ちが抑えられず、欲望のおもむくままにセラを引き寄せ抱きしめた。
まだ僅かに幼さの残るその体は、私の腕に簡単におさまる。思いの丈をぶつける、思いやる余裕も無い抱擁は、さぞ痛いだろう。
しかしセラは、そっと私の背に手をまわしてきた。
愛しい。そう思うのに……。
私は彼女だけに聞こえるように、その耳に唇で触れる。
「女王の命には背けない――すまない」
腕の中のセラは、眠ってしまったのか。私に全ての体重を預けてきた。
婚約者と呼べるほど長い時間を重ねてきたわけではないし、年齢も離れていた。しかし、私が私でいられる、そんな存在であった。
彼女を抱きかかえ、そばにあった長椅子に寝かせる。
私もまた強い目眩に襲われるが、どうにかヴァルター様に渡す酒に薬液を注いだ。
陛下は、何と言ってこれを彼らに委ねるのだろう。
眠る彼女の隣に深く腰をかけた途端、意識に霞がかかる。視界の隅で、陛下直属の側仕えのものがセラを抱き上げ、酒とともにどこかに運んでいくのがみえた。
連れて行かないでくれ。
出来るならば私も、もう一度……。
+ + +
「こんなモノ飲ませられるか!」
ヴァルターが、目の前に置かれた酒瓶を睨みつけている。
それもまた、私たちの大切な娘の幸せを思うやり場のない憤りから……でしょうか。
「お姉様……陛下は何かお考えがあるのでしょうか」
双子の姉妹として育ってきたはずのルシエラ――陛下の心がわからない。
民を慈しみ、礎として国を愛する存在のはずなのに。
「考えがあろうがなかろうが、身を切るほどの痛みで婚約を許したんだぞ? それを記憶ごと白紙に戻せ、だと?」
ヴァルターの瞳は涙で滲んでいます。
そして私も、娘たちの悲しむ顔を思うと涙が溢れます。
「陛下にこれを手渡されたとき、『ジェラードとセラは済んだ』と言われました。後はルーナとファレル、そしてヴァルターも。婚約を知る者は皆飲むように、と……」
そして集められた全員に、僅かなお酒が注がれた小さなグラスを手渡しました。「食前酒」と説明したせいか、皆は躊躇いなく飲み干したようです。
ただ、ヴァルターだけは、一人、いつまでもグラスを見つめたまま飲めずにいました。
私が彼の背中を抱きしめるように、愛しい者の頬に口づけるように、密かに彼の耳元で一言囁くと、驚いたように目を見開き、そして大きく頷いて飲み下しました。
皆が卓に伏して寝息をたてはじめた頃、陛下の側仕えの者たちが、私の前に置いたままにしていたグラスを掴み、差し出してきました。
私は躊躇いがちにそれを受け取り、まずは眠る彼らを寝室に運ぶよう指示しました。
心の中でヴァルターに伝えた言葉を繰り返します。「私が、私のまま娘たちを見守ります」と。お姉様に逆らう事になっても、私は、私の家族を守ります。
そして、複数の者たちに見守られながら、グラスに注がれた「同じ色の液体」を飲み下しました。
あとは、彼らが眠った姿を真似て、私も全身の力を抜きながら床に崩れ落ちたのです。
「私は、私のまま、娘たちとその想い人を守ります」
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