第25話 いつもの日常

 夢を見た。


 内容は覚えていないけれど、とても幸せな夢だった。

 目覚めた時、それが夢であった事を理解して、涙を流すほどに。


+ + +


 朝食に呼ばれて向かった部屋には、既に全員が揃っていた。そして先に来ていたルーナは青い顔をして頭を押さえている。


「あだだだだだ……」


 見た目は美少女なのに、中身は残念なほどに前世のままだ。とはいえ普段は俺の前以外では猫を被っていたはずなのだが、それどころじゃない状態らしい。


 その向かいに座るファレル先生は、数年前に僅かな期間ではあるが、幼い俺達の家庭教師をしてくれた方だ。今は宰相に仕えていて多忙な日々を過ごしているのだと教えてくれた。


「大丈夫ですか、ルーナ。昨日は「お酒」を飲み過ぎてしまったようですね。だから貴女にはまだ早いと言ったのに」

 ファレルの言はまさに保護者か先生のようだ。


 夕べは親父殿が、数年ぶりとなるファレル先生と、初めてお会いする神職のエランド様を連れてきた。

 近い将来闇の加護を持つ俺とアリアの師となるジェラード様から、挨拶代わりに珍しい「酒」を貰ったのだと言って誘ったらしい。


 エランド様はそれを一口含んだ途端眉間に皺を寄せ「苦すぎる」と言ったが、一方で親父殿は美味いと言う。そしてファレルは「凄く甘めです」と幸せそうに飲み干した。

 まさに三者三様の感想を言うものだから、ルーナが好奇心に負けてひと舐めし「甘くて幸せ」などと言い出したから、結局それは一体どんなものなのかと軽く混乱した。

 その場にいたアリアも興味本位で飲んでしまったらしく「何これ? 不味い」と顔をしかめる結果となった。


 その翌日である今日のルーナは、どうやら二日酔いのような状態らしい。

 アリアとエランド様も揃って蒼白なところをみると、どうやらかなり強い酒だったのだろうか。


「おかしいわ……。お酒は友達だったはずなのに」


 俺にだけ聞こえるように言うものだから、俺は軽く吹き出した。


「子供にはまだ早いって事じゃないか?ほら、水でも飲んで――」


 動く前に、母様がルーナにグラスを渡す。


「ルーナ、これを飲んで少しは楽になると良いのだけれど……。セラ、あなたはどうですか?気分の悪さはありませんか」


 そう微笑む母様の表情は、どこか悲しそうにも見えた。


「私はお酒を飲んでいませんから大丈夫です」


 笑ってみせたが、母様の表情は優れないままだ。

 気づかぬうちに飲んだのかと己を反芻するが、彼らが飲んでる姿は見たものの、俺は一口も飲んでいない。


 飲んでいないのに、蕩けるほどの甘さが口に広がる。

 それは、きっと甘いのだろうと思った瞬間、何故か溢れそうに涙が盛り上がる。

 母様は、俺を柔らかく抱き寄せた。


「セラ、きっと……きっと大丈夫です。あなたは優しい娘だから」


 母様が何を「大丈夫」といったのか解らなかったが、包まれた優しさのせいか、こらえきれず涙が零れた。


 食事の時間は終始穏やかなものだったように思う。


 ルーナの向かいにはファレル先生。アリアの向かいに座るのはエランド様。親父殿の向かいは母様。俺の向かいにある椅子は、一つだけ空席で。

 何か欠けてしまったような物悲しさだけが胸に残る。

 ルーナとアリアはエランド様が明るく語る話に夢中なようで、楽しそうな笑い声が部屋に響く。



 でも俺は、明け方に見たの夢のせいなのか、気持ちがなかなか浮上しなかった。



+ + +



 部屋で一人休んでいたら、ルーナとアリアが訪ねてきた。


 最近二人は俺の部屋を集会場のように使う。嫌ではないが、今日は休みたかったのに。

 そう言ったところでこの二人に勝てるわけもないので、テーブルにお茶とお菓子を広げてお茶会などを嗜んでみることにした。


「エランド様って素敵じゃない! 顔も身長も……神官って立場も」


 紅茶を飲み干したアリアが、堰を切ったかのように熱弁しはじめる。

 修学旅行の夜に行われる恒例行事ではないが、いわゆる恋バナだ。


「アリアと好みが合うのはイヤだけど、すっごくわかる! 自然に喋ってるんだろうけど、すっごく甘いの! 王道に弱い私としては、楽しくなっちゃうんだよね」


 確かに、初めて会ったとは思えないくらい、彼はその場に馴染むのがうまかった。

 人たらし、とでもいうのか、人の心に近づくのが巧いのだと思う。


「でも、将来の安定を考えたら、ファレル様一択かな!」

 ルーナが打算に満ちた笑顔でそういうと、アリアは「なら私はエランド様一択!」と笑いあう。


 ルーナは、ふと真顔に戻ると、首を傾げながら俺をみた。


「ねえ、私、今の会話に覚えがある気がする」

「俺も、そう思った」


 ――既視感、とでもいうのだろうか。


 アリアは一人きょとんとしているから、俺とルーナだけの感覚らしい。会話に置いて行かれたことが不愉快なのか、アリアは前世の話をはじめた。


「ね、あんたたち、せっかく『聖女候補』とかいう特別な存在になれるのだから、これからどうしたいか話しましょうよ? ちなみに私は前世より幸せならそれでいいかな」


「あんたの前世って碌でもなさそうよね」


 ルーナが珍しく辛辣だ。


「うっさいわね! あんたらの幼馴染が悪いのよ。 高校生で一人の相手に一途に……なんて無理難題すぎるでしょ。ちょっと他の相手と色々試しただけなのに『別れる』とか。思えばあれがきっかけで出会う男のレベルがどんどん下がった気がするわ」


「色々ってなんだよ……。それは誰でも嫌がるだろ。俺でも勘弁してほしい」


「そんなんだから、あんたは二十歳超えても画面の中にしか恋人がいなかったんでしょ?」


 アリアは相変わらず俺に厳しい。

 前世で片思いしてた相手は、せめて清らかに補正させておいて欲しかった。


 ……いつからアリアは俺を俺だと知っていたんだろう。

 ルーナのこともそうだ。

 いつ、俺たちの距離はこんなに近づいたのか――。


 その思考がまとまる前に、二人はまた話し出す。


「ねえ、アリアはさ、一応人生全うしたんでしょ? 前世の記憶でいま役に立つこととかないの? 物語とかにありがちじゃない、転生者が前世の力で世界を救う! とか」


訊かれたアリアは肩をすくめる。

「恋人が途絶えた事のない人生だったから、恋愛関係には自信あるけど、普通に生きて死んだ私に何が出来ると思うの? しかもね、最期は独りぼっちよ? 美貌も衰えたら終わりだって、その時気づいたわ」


「最期で気づくとか……遅っ! しかもあんた美貌なんてなかったじゃない、ぽちゃ狸が何言ってんの?」

「彼氏いない歴享年のあんたに言われたくないわ!」


 二人の残念な言い合いはまだまだ続きそうだ。

 俺はカップに注がれたまま、少し温くなった紅茶をこくりと飲む。


「前世の記憶が長いと優れてるってわけでもないのね! ならまだ生まれながらに公爵令嬢の私には敵わないわね!」

 ルーナが席を立ち、勝ち誇ったように笑う。


 やはり二人の仲はすこぶる悪い。


 アリアは俺の好きだった人だ。

 確か可愛かった気がするのだけれど。


 人生をやり切ると、女性はこんなにも逞しくなるものなんだな……と現実逃避した。

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