第24話 リセット


 聖女候補と呼ばれた俺たち三人の視線がその男に集まった。


 その男の声は、俺とルーナにとっては幼馴染、そしてアリアこと陽菜にとっては自ら振った元恋人に酷似している。姿は全く異なるが、目を閉じてしまえばそこに藤堂あいつ_がいるかのようだ。


「すまない、忘れていたな。こいつはエランド、一応神官だ」


 親父殿が隣に立つエランドを紹介した。

 エランドは周りを見渡し、軽く一礼する。


「さて、と。堅苦しいのはここまでだ。俺の未来の婚約者は誰になるのかな? こっちのお嬢ちゃんはともかく、この双子は色々と幼すぎて悩むところだな」


 そう言いながらバチンバチンとウインクを飛ばしてくるエランドの姿をみて、ゾワリと鳥肌がたつ。アイツはこんなに軽くなかった。軽い男が嫌いな俺としては、同じ声なのに印象は最悪だ。

 しかし、褒められ嬉しかったのか、アリアだけは頬を上気させて上目遣いでエランドを見つめている。

 ……ってファレルが好きなんじゃなかったのかよ!


 ちなみに娘を溺愛する我が親父殿は、エランドが発した『幼すぎて』という一言に憤怒の表情だが、そこはきっと母様が押さえてくれるだろう。


 色々と突っ込みたい気持ちを押さえて、俺は一人部屋を出た。母様とルーナだけに聞こえるように「ジェラードのところに行ってくる」と囁いて。


 婚約が白紙になったと知ったら、あいつはどう思うだろう。

 俺は自分が思っていた以上にあいつが好きみたいだ。


 そんないかにもな恋愛思考が浮かんでしまい、思わず廊下でしゃがみこみ赤面する。

 俺の突飛な行動で側仕えの者たちに余計な心配をかけたが、理由は言えるはずもなかった。



+ + +


 俺の将来の就職先、とでもいうべき闇の塔は、光の塔に比べるとかなり地味な造りをしている。扱う力のせいなのか、どこも光量が抑えられて薄暗い。

しかし、程よい静けさもあるから、うっかりすると睡魔に襲われるのだけが問題だ。


 いつものようにジェラードの室へ向かう。

 女王の命でこの塔の管理を任されているからか、彼に仕えるものも増えたのだとか。

 隠者と呼ばれていた頃に比べて忙しそうだが、あいつが一人にならないならそれでいいと思える。


 軽くノックをしてみたが、返事はない。

 扉をそっと開けると、ジェラードはこちらに背を向けている。

 手元を眺めると、数多くの小瓶や液体の入った器がみえる。どうやら何かを調合していたようだ。


「……ジェラード。女王陛下から何か聞いたか?」


 聞いていないのなら、まだ知らせたくなかった。

 しかし、振り返らず「婚約は白紙に戻す、だろう?」と何事もない口調で言う。


「でもさ、たった三年だろう? 三年なんてあっという間だよ。そうだろう?」


 重そうな長衣の上からでもはっきりとわかるくらい、ジェラードの肩がビクリと震えた。

 しかし、彼はふたたび無言でカチャリカチャリと作業を続ける。


「さ、三年は長いかな? お前にとっての三年は、俺の三年とは違うのかな。もちろん、け、結婚適齢期とかあるから、待っていて欲しいとか無理は言えないけどさ」


 どうにか沈黙を避けたくて言葉を吐けばはくほど、虚しくから回っている気がする。


「そういえば、ルーナとファレルは、三年後にもう一度婚約するって約束してたよ。それで、もしお前が良ければ俺達も――」

「セラ!」


 食い気味に、ジェラードが大きな声を出した。

 その声から感じるものは強い拒絶。


「……ジェラード? 陛下はお前になんて伝えたんだ」


「先ほども言ったはずだ。婚約を白紙にする、と」


 同じ内容のはずなのに、なぜ。

 混乱していると彼は言葉を続けた。


「――積み重ねた関係ごと、白紙に戻せと」


 決してこちらに見せようとしない表情の下で、彼は何を言っているのか。

 関係なんて白紙に戻せるはずもないのに。


 調合を続けていた彼の手が止まり「出来た」と呟く。俺と向かい合って話すよりも大切な事なのだろうか。そう思うと胸が締め付けられるように苦しく、悲しい。


 ジェラードはゆっくりと振り向いた。

 俯いているせいで、やはり表情は読み取れない。


 彼は出来上がったばかりの薬液を指先につけ、そのまま俺の唇をなぞる。


「味はどうか?」


 そう訊かれたからか、唇を濡らしたそれを思わず舐め上げてしまった。


 舌先に感じる蜜のような甘み。そして、鼻をくすぐる春の花のような優しい香り。


「……甘い。かなりうまい」


 その途端、ジェラードは顔をあげ、整った顔がくしゃりと歪む。

 笑顔を作るのに失敗したみたいに、ただただ悲しそうで。


「セラ、そういう時は『うまい』ではなく『美味しい』と言うように。言葉遣いには気をつけるようにあれ程言ったではないか」


 まだ液体の残る指を、ぺろりと舐める。

 さっき俺の唇に触れたのだから、これはいわゆる関節キスというやつではないだろうか。

 一人ドキドキしていると、彼もまた「確かに甘い、な」と呟いた。


 途端、ジェラードの手が俺を引き寄せ、痛いほどに強く抱きしめられる。

 その痛みよりも、久しぶりにその腕に包まれて彼の鼓動を聞けたことで、自分で使う闇の加護より遥かに気持ちが落ち着く。


 落ち着きすぎたのか、次第に瞼が重みを増す。

 大好きな相手の心音は心地いい。


 眠りかける俺の耳朶に、柔らかいものが触れた。


「女王の命には背けない――すまない」


 何故謝るのか。

 そう訊き返す前に、俺は意識を手放した。

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