第23話 フライングはやり直し


 あの日から、アリアはやたらと俺の部屋に来るようになった。


 これという確かな用事もなく、ただひたすらに愚痴を吐く姿をみていると、彼女と出会った高校時代に戻ったような気持ちになる。

 相変わらずの姿に懐かしさも覚えるが、こう連日こられると少々疲れもするわけで。


「聞いてるの、セラ?」


 彼女はいつの間にか「様」を付けて呼ばなくなった。意のままにならぬルーナはともかく、俺と彼女は日本での記憶を持つ同士と認められたのか。アリアの真意はわからないけれど、どうやら俺は無害と判断されたらしい。それどころか、二人きりのときなどは彼女の下僕のような扱いだ。


「聞いています。ただ……たまには愚痴以外のお話をするのはいかがでしょう?」


 毎日愚痴ばかり聞かされると、胃のあたりがキュッとして痛くなる。

 そう提案すると、彼女は「生意気だ」と言わんばかりにふんと鼻を鳴らし、目を細めた。


「あなたは黙って聞いていればいいの。私がストレスを発散できる場所がなくなっちゃう!」


 ……こちらのストレスにはお構いなしだというのに。


 そしてまた彼女の口から耳を覆いたくなるような文句が飛び出し始めた時、親父殿から召集がかかった。


 俺はこれ幸いと部屋を出る。

 話したりないのか、不満げな表情でアリアも続いた。



+ + +



 俺たちが部屋に入ると、そこには母様とルーナ、そしてファレルがいた。だが、呼び出したはずの肝心な親父殿の姿はない。

 ルーナは俺を見て笑顔になりかけたものの、俺の背後にいたアリアの姿が視界に入ったようで、即座に眉間に皺を寄せる。その様子に気づいたファレルは、微笑みながらルーナの背中を宥めるように撫でた。


 母様だけが一人おろおろと、どこか困惑した様子だ。


「母様、どうかされましたか?」


 そう訊くと、母様は「困ったことになりそうです……」と小さく呟いた。


 その時、廊下から足音が聞こえてきた。わざと踏みならしているような、どこか苛立った音をさせているのは親父殿だろうか。もう一つ聞こえるのは……誰だろう。


 扉が開くと、そこには不機嫌さを隠そうともしない親父殿ともう一人ファレルと年の近そうな見知らぬ男が立っていた。その男は、背は親父殿よりわずかに低いが、武人のような良い体格をしている。そして髪と瞳は空のような青で、彼もまた整った顔立ちだ――つまり。


「攻略、対象?」


 その呟きを拾ってくれたであろうルーナと目があう。そして、ルーナもまた、母様のように戸惑った表情で小さく頷いた。

 ルーナが何かを言いかけるよりも早く、親父殿が口を開いた。


「お前たちの婚約に、物言いがついた。……陛下から」


 ……何を言われたのか理解できなかった。

 親父殿は俺たちに甘い。その親父殿が苦しそうな表情で俺たちに告げた。

 凍り付いたような表情の母様と、顔色を失い唇を震わせながらファレルに支えられるルーナ。支える彼も紙のような顔色だ。

 ここにジェラードがいてくれたらと思うが、彼は今闇の塔の管理者として陛下から直々に賜った仕事をしているはずだから、陛下から同じ言葉を聞かされているかもしれない。


「何故、ですか」


 かろうじてその言葉を絞り出す。

 親父殿は俯いたままで、表情を読み取ることさえできなかった。


「……婚約は白紙に戻せとのお達しだ。理由は『全ての始まりは、聖女候補が16となる歳でなければならない』と。それ以外は認められない――そう言われた」


 白紙。

 婚約者ではなくなる……しかし。


「白紙という事は、16歳になったらもう一度婚約することは可能なのですよね?」


 俯いていた親父殿が顔を上げる。

 ルーナとファレルに目をやると、わずかに顔色が戻ったようだ。

 母様は親父殿を見つめ、祈るように胸に手を当てながら言葉を待っている。


「……16歳になったら、と言われた以上、その条件を満たせば許されるとは思う」


「なら、たった三年待てばいい。ただそれだけじゃないか。ルーナやファレルは、たかが三年で気持ちが変わるのか? 俺は決めたんだ、アイツと生きるって。白紙に戻っても、今までの時間がリセットされるわけじゃないだろう?」


「そう……ね。たかが三年! 続編を待ってた不確かな時間に比べたら、年齢は重ねれば確実だもの」


 後ろでアリアが「続編?」と呟いたが、それは場の空気にかき消される。


 ルーナは隣のファレルを見つめ、懇願するように手をとった。

「たかが三年です。その間私は再び努力を重ねます。あなたにふさわしい私でいられるように。だから、時が来たらもう一度私を選んでください」


 ファレルは穏やかな笑みを浮かべ、繋がれた手を離さぬままルーナの前に跪くと、ゆっくりとその指先を唇にあてた。

 真っ赤になったルーナの瞳からは、涙があふれる。


 こんな時なのに、正直見ている俺のほうが心臓が口から飛び出しそうだ。

 ファレルのイケメンっぷりに、俺の語彙力も久しぶりにやばい。


 イケメン、最強!


「私の未来には貴女しかいません。ルーナに変わらぬ気持ちを約束します」


 静かに続くその光景に感動しすぎて、思わず目頭が熱くなりかけた。

 しかし、視界の隅でアリアが一人表情を歪める姿をみて、背中には嫌な汗が流れる。


「アリア――」


 そう声をかけようと動くよりもはやく、親父殿の背後に立つ男が声を上げた。


「ルーナ様、セラ様、そしてアリア様。私はあなた方聖女候補の未来の婚約者として女王陛下から選ばれたうちの一人――エランドだ」


 俺たち三人が視線をエランドに移したのはほぼ同時だった。

 その声音は、驚くほどアイツに似ていた。


 俺とルーナの幼馴染で、かけがえのない親友。そして陽菜アリアの恋人だった――藤堂和也とうどうかずなりに。

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