第17話 歩む道
俺は何も言えず、親父殿と母様を見ていた。
優しい抱擁を交わす二人の未来が、どうか幸せなものであって欲しい。そう願わずにはいられなかった。
黙って見つめていると、親父殿が顔をあげ、俺とルーナに手を差し伸べた。
「おいで、俺のお姫様たち」
親父殿は素敵だ――そう改めて感じた。
そして、ルーナが唇の端をあげて頷く。
それをみて俺も笑う。
それが合図であったように、俺達は親父殿へと飛び込んだ。
「俺は、セシリアはもちろん、ルーナとセラも愛している。だからこの先悩むようなことがあれば、いつでも俺を頼っていい。俺は必ず、どんな時でも一緒にいるから」
その言葉に思わず目頭が熱くなる。
つんと痛む鼻を抑えて母様を見ると、母様もまた俺をみていた。その手が俺たちに伸ばされ、そっと優しく抱きしめられる。
「……ルーナ、セラ。私は自分の娘に未練をぶつけ、その苦しさから目をそらした愚かな母です。そんな私でも、母のままでいていいのでしょうか」
その声は震えていた。
親父殿は何も言わず、俺達を優しい顔で見つめている。
先に気持ちを伝えたのは、やはりルーナだった。
「お母様は、お母様だわ。こんなにも魅力的なんですもの。だからこそ、たくさんの人がお母様を愛し、憧れていた事は知っています。でもこれからは私たちだけのお母様でいて下さい」
俺は言葉に迷っていたが、「セラ」と、ルーナの肘で促すようにつつかれた。
「お……わ、私は、選ぶ事ができなかった未練がどれ程苦しいものかがわかる気がします。それこそ痛いほどに。だから、今までも、そしてこれからも母様を責める事はしません。もしよければ家族みんなで一緒に、今ここから始めませんか? 私は、これからも母様の娘でいたいから」
母様が頷くより早く、親父殿が俺たちを力いっぱい抱きしめた。母様ごと、へし折られそうな力強さで。
そんな親父殿の目には、滝のような涙が流れていた。しかしそれは悲しそうな様子ではなく、満面の笑みで、とても幸せそうだった。
感極まりすぎて折られる前に、どうにか三人揃ってその腕から逃れたが、母様だけがその腕へと戻り「ヴァルターは力加減を覚えて下さいね」と優しく窘めていた。
この二人が、これならまた穏やかな時間を過ごせたら、俺は幸せだ。
母様を腕に抱き、幸せそうに頬をほころばせている親父殿に、ルーナは突然、意を決したかのように声をかけた。
「お父様、私ずっと考えていたの。決められた未来に向けて生きるのではなく、私は自分が望む未来へ進みたい。だから――」
ルーナはファレルに歩み寄り、その手を握った。
「私はファレル先生が好きです! お母様がお父様を選んだように、私はファレル先生を選びたい。お母様が思い悩まれる姿を見て、この先に待つ出会いや恋というものに思い悩んだ事もありました。けれど、私は今もこれから先も、ファレル先生と未来を描きたい」
今まで、どんなゲームでさえ攻略本やさまざまな情報を大切にしていた
ルーナはファレルの瞳を見つめていた。
対するファレルがどんな反応をするのか不安に思ったその時、彼はルーナに視線を合わせるように膝をついた。
「ルーナ、あなたはまだ七歳です。立場ある家の令嬢が、幼くして婚約者を選ぶ事も確かにあります。ただ、家名としては、残念ながら我が家はウェイン家よりも下なのです」
ルーナは、不安げにファレルの放つ言葉の続きを待っていた。
俺は祈るような気持ちで二人を見つめる。
「それでも、もし、相応しい立場になるよう努力し、ウェイン家にとって恥ずかしくない私になれたら。その時には貴女を迎えに行ってもよろしいですか?」
ルーナはそれに返事をするより先に、ファレルに飛びつくように抱きついた。
そして、何度もなんども頷きながら。
「なら私も約束します! 先生に相応しい私でいられるように、この先ずっと努力し続けます!」
あのルーナが泣いている。そんな姿を見るのは、生まれる前を含めてもこれが初めての事だった。
そしてそれ以上の涙が、俺の目から溢れる。
素直な気持ちを伝えられるのは、「今」そのときが大切なのだと、ルーナの行動から教えられた気がした。
俺も「今」動きたい。
痛くて苦しい夢は、もう見たくないから。
俺は隣に立つジェラードを見上げ、彼の服を引っ張った。何かを察したかのように、彼もまた膝をついて俺に目線を合わせてくれる。
「お、俺も、選べるならジェラードがいい。お前は不器用だし、言葉も少ないし、考え過ぎて涙を流した姿も見たけど……それでも俺はお前がいい。これからは一人にならないで欲しい。苦しい時はいつでも俺を呼べ! もちろん、用事がなくても、気軽に呼んでくれて構わないから」
初めての告白は勢いばかりで、可愛らしさのかけらもない言葉しか出てこない。それでも、これが今俺ができる精一杯だ。
「ダメか?」と、そう首をかしげる前に、ジェラードの両手が俺の頬を包んだ。俺の瞳を真っすぐに見つめ、微笑む。そして彼の顔が近づいてきて、その唇が俺の額に触れた。
「そうだな――せめて私を『お前』と呼ぶところをどうにかするというのなら、そなたのそばで時間を積み重ねるのも興味深い」
そう言いながら俺を抱き寄せ、笑った。
まさかこの俺が、こんな事をされて頬を染める日が来るなんて。正直なところ嫌ではない。むしろ嬉しくて口元がゆるんでしまうのは、全てはこの無駄に整った顔が原因に違いない! そう思うのだが、彼もまた目じりが下がっているのだから、きっとこれは仕方がない現象だ。
気持ちが伝えられる事がこんなにも幸せなのだと、やっと気付けた。
こんなにも嬉しくて幸せで、あたたかくて、胸がいっぱいで。
俺もルーナも、ようやくここで自分らしく生きていく事と向き合えた――そんな気がした。
その時、「んんっ!」と不自然な大きさで咳き込む親父殿が、場に流れる空気に盛大な切り込みをいれた。
母様は「あらあら」と困惑したように親父殿を目をやり、改めて俺達に向かい合う。
「ルーナ、セラ。二人が信じて選んだ相手を大切になさい。私が見せてしまった愚かさを忘れずに、あなた達の未来が幸せであるように――」
その言葉に食い気味で、親父殿が叫んだ。
「ダメだ! だめだっ!! 俺は認めない。そもそも貴様らに娘はやらん! セシリアも、お姫様たちも、俺の大切な宝物だ」と。
ファレルとジェラードを見るその目が完全に据わっていた。
まだ何か言おうとしていたが、その背中を母様が抱きしめた。
「ねぇ、ヴァルター。貴方には私がいます。愚かな私の愛が二度と貴方から迷わないよう、見つめていて下さいますか?」
親父殿は思いがけない母様のその言葉をうけ、驚いたように目を見開いた。即破顔して力いっぱいに頷きながら、もう一度母様を抱きしめた。
そしてその腕の中の母様は、俺達に目配せをすると、指でそっと扉を指し「お行きなさい」と唇を動かした。
俺達は顔を見合わせると、静かにそっと扉を出た。
+ + +
塔を離れた俺達は、四人で馬車に乗っていた。
屋敷に戻るその中に親父殿が居ないことはわかっているのに、俺とルーナはどうしてもその存在を確認してしまう。
そんな様子を見ていたファレルとジェラードは、俺達の行動の理由をどこか納得したように、顔を見合わせて笑った。
俺とルーナが願うこの選択は、物語の道筋とは違うものになるかもしれない。
だけど、それで構わない。
ここはゲームの中ではないし、シナリオなんて用意されていないから。
だからこそ、ひとつひとつ、ちゃんと向かい合って生きていきたい。
目の前のルーナとファレルは、手を繋ぎ幸せそうだ。
それを見て、なんとなく俺もジェラードを見つめた。ジェラードの目がゆるやかに弧を描き、何も聞かず俺の手を取った。
この先なんてわからない。
今はこれで十分だ。
やっと、動けた。
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