第13話 在りし日の聖女

 俺も、ジェラードも、きっと同じ顔をしていたに違いない。「何故ここにいるのか」と。しかし母様だけは、何かが違っていた。



「ジェラード、わたくしと共に、闇の塔へ行きましょう。溢れかえる魔力のせいで、神殿の封印が解かれたのです。抑えていた魔物が現れたと聞きました。封印の塔に入るには闇の加護を持つ貴方の力が必要なのです。お姉様は先だって光の塔へと出立されました。ですから私たちも民のために動かねば……さあ!」



 母様がその白い手をジェラードに向かい、つい、と差し伸べた。


 ジェラードが隣でひどく緊張しいてるのが伝わってくる。

 それもそのはずだ、この場面ならば俺にも覚えがる。


 恋愛は祐希ルーナが担当したが、前作「天の乙女」。そのストーリーの大半を進めたのは俺だったのだから。


「――か、母様。闇の封印が解けたのは私たちが生まれる前、陛下と母様が聖女であった頃のお話では?」



 俺は一歩、母へと近づいた。

 しかし、母様はジェラードから目をそらさない。


 俺の声は全く聞こえていない様子だ。



「あの……母様?」


 もう一度、母に近寄る。その眼差しが、ようやく俺を見た――だが。



「あなたは、何です?」


 誰、ではなく「何」かと問うた。

 とても美しい笑顔のまま、とても冷たい声で。



 その言葉を受け、動いたのはジェラードだった。

 俺の前に立ち、背中へと俺を庇う。



「セシリア、そなた……どうしたのだ?」



 どんな顔をしているかはわからない。

 だが彼の、微かに震える指先は、ずっと俺に触れていてくれた。その確かな体温が、どうにか俺のこころを落ち着かせてくれる。



「ジェラード、貴方は私を愛しているのでしょう? ならば側を離れず、共に来て下さい」



 縋るような母様の口からでた「愛」という言葉を受け、ビクリとジェラードが震えた。


 小刻みにその指先が震え続けている。

 怒りか、悲しみか、恐怖か。



 俺は咄嗟にその指を掴んだ。小さな俺では今の二人がどのような表情をしているかわからない。ただ、母様を見つめたまま微動だにしない、そんなジェラードの背中しか見えない。


 とにかく落ち着け、俺がいるから――と。



 その思いが伝わったのか、ジェラードの手が俺の手を掴んだ。


「……セシリア、もう一度言おう。そなた、一体どうしたのだ?」



「ジェラード、貴方こそどうしたのです? せっかく今は二人きり・・・・なのに。今の貴方は……なんだかとても怖い。お願い、不安なのです。どうか私を抱きしめて下さいませ」



 母様が、ジェラードの胸に飛び込んだ――ような、軽い衝撃を感じた。


 彼の身体がより一層強張る。


 繋いでいた俺の手が離れた。



「やめてくれ、セシリア。なぜ、今になってその唇で愛を語る? そなたがあの日選んだのは私ではなく、ヴァルター様ではないか。それなのに、なぜ……なぜ!」



 そう話すジェラードの身体から、黒い霧のようなものがぶわりと溢れはじめた。


 霧は徐々に濃さを増していく。



「離れろ、頼むから離れてくれ、セシリア。今の私にはまだ、そなたを突き放すことが出来ない。これ以上私を愚かにさせないでくれ!」



 出会った時の彼を思い出す。それ以上に伝わる、負の感情。


 これは――まずい。制御できない感情は、闇の魔力を暴走させる。


 それを教えてくれたのは、他でもないジェラードなのに。




「どうしたのです? ジェラード、私はこんなにも貴方を愛しているのに、何故私を拒むのですか?」



母様はジェラードの背にその白く細い腕をまわして、絡みつくように抱きついた。



(やめてくれ、母様! 彼を追い詰めないでくれ! せっかく穏やかに過ごせる時間が増えていたのに)



 彼が母様を拒絶できないその気持ちが、霧となりその濃さを増すほどに空気に重さが帯びる。それに触れると、傷は存在しないのにまるで無数の刃で肌を切りつけられるような激しい痛みを感じる。



 淀む空気に、彼が大事にしていた花たちが無残に舞う。


 こんな時なのに、俺は見ているだけしかできない。


 また、自分の不甲斐なさを悔やむのか?




 そう思った時、俺の横を風が走った――ように感じた。



「おいおい、どうした? ジェラード。穏やかじゃねえな」



 それは一瞬の出来事、だったと思う


 ドンという鈍い音の後、気づけば、親父殿の腕に気を失ったジェラードがいた。


 そして、共に来たであろうルーナとファレルが母様のからだを引き離した。




 あの痛みをものともせず、親父殿が技をかけたのだ。


「セシリア、どうした?」


 親父殿はいつもの笑みを母様にむけた。



「あ……あなた? 私は、なぜ? それにここは……。あの子は誰? セラ? 私とジェラードの子……?」



 俺を見て母様が不安げな顔をした。


 混乱している様子の母様に、ルーナが近づく。



「お母様、ここまで来られて大変だったでしょう。お母様は色々とお疲れのご様子です。だから今は何も考えず、このまま屋敷へ戻りましょう?」



 母様は、ファレルとルーナに支えられながら、おぼつかない様子で馬車へ向かった。



「セラ、今はお母様はこちらに任せてジェラード様の傍に。目が覚めたら説明をお願い」



「セラ、俺のお姫様。すまないがジェラードを頼む」


 親父殿が彼の家の者にジェラードを委ねながら言う。



「お前は俺とセシリアの自慢の娘だ。不安にさせてすまないが、今はセシリアを休ませてやってくれ。それに不安定なこいつも、一人にさせられないから……頼む」



 倒れたジェラードを見て、親父殿が言う。こんな事があったが、ジェラードを嫌ってはいない様子だ。

 何も言うことができない俺の頭を軽く撫で、親父殿はルーナとファレルを追った。




 俺は、何も、出来なかった。

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