第10話 日常の歪み
館に戻った母様は、別段おかしな様子もなく、普段通りの美しい母のままだった。
あの一瞬の歪みは何だったのだろう。
後でこっそりルーナに聞いてみたものの「きっと母様はヒロインなのよ」とよくわからない事を言われ、余計混乱する結果となった。
そんなルーナを連れ立って、俺は館の裏手にきた。
ここは程よく建物や木々に隠されて、滅多に人が来る事がない、俺とルーナ専用の秘密基地みたいなものだ。
そこで俺は、これまでに書きつけたこの世界に関する数々のメモを燃やすことにした。
もちろん燭台だけでなく水差しも持ってきたから、燃えた後の処理まで完璧に考えてある。
「せっかく書いたのに勿体無くない?」
あんなにも沢山あった紙は抵抗なく燃え、次々と灰になっていく。
煙が小さく空へ消えていく様を二人で見つめていた。
「まぁ、燃やしたところで覚えている内容もあるけどさ。ただ、前情報で必要以上に身構えすぎると、見えなくなる事もあるんじゃないかと思って。だからもう面倒なことは考えず、俺らしく生きてみようと思ったんだ」
「ふーん、あんたにしては、いーんじゃない?」
にやりと口の端を上げたルーナが、ぽすぽすと俺の頭を撫でる。
たとえ美少女の姿であっても、相変わらず何か良からぬ事を企んでいそうな表情にみえる。「前」もそれでよく誤解されたが、これは、ルーナが心の底から笑っている顔なのだ。
(ルーナはルーナらしく、俺はおれらしく!――そうやって生きていけたらいいな)
俺は、ようやくこの世界を真正面から見据える覚悟ができた。
そんな気がしていた。
+ + +
それからしばらくは、穏やかな日々だったように思う。
俺はジェラードの館に通いつめることで、闇の魔力というものを漠然とであるが理解しはじめたし、光の塔で母様直々に学びを続けるルーナの姿は、在りし日の母様の再来だと評判をよんでいた。
そんな日を重ねるうち、何故か一人母様だけが自室で塞ぎ込む事が増えた。
それでも親父殿が寄り添い、深い愛情を全面に押し出しては、窓辺でぼんやりと過ごす母様に「俺の聖女は物憂げにしている姿までも美しいな」「どんな巨匠の絵かと思ったら、世界一綺麗な俺の妻か!」など、歯が浮く言葉で話しかけては、僅かに笑顔を引き戻していた。
わけがわからぬ状況に混乱している俺はともかく、ルーナはそんな母様の原因に気付いている節が度々みられたが、何度聞いても「モテた女は面倒くさいものよ」と確信に繋がるヒントさえ教えてくれなかった。
そんなルーナではあるが、今朝、ファレルに対して珍しく子どもらしさを存分に発揮した激しいおねだりを見せた。
まるで親父殿をリスペクトしたかのような押しに負けたファレルが、先ほどルーナと二人、街へと出かけていった。
街での社会勉強という名目でデートをしてくるらしい。
もちろんファレルは子供のルーナを「一人の女性」などと微塵も意識していないだろう。ただ、ルーナが「気合い入れて行ってくる」と狩人のような目で言っていたので、きっと何かしらよからぬ事を仕掛けるのかもしれない。
ファレルは「せっかくならセラも一緒に」と誘ってくれたが、そこで頷いた日にはルーナに何をされるかわからないから、即答で遠慮させてもらい、俺は俺で出かける事にしたのだ。
行き先は俺の魔力の師となったジェラードの館。
館を出る時、親父殿が半泣きで見送ってくれた。父親にとって娘が各々出かけるというのは、そんなにも嫌なものだろうか。
ただ、親父殿の後ろで立つ母様だけは、ぼんやりと目線を彷徨わせながら薄い笑顔を浮かべていて、それだけが気がかりだった。
心配ではあるが、考えてもわからない事は放棄して外を眺める。
今では通い慣れた道を、カポカポと音をたてながら、のんびりと馬車は進む。
本来なら今日は勉強の予定もなく、わざわざ訪ねる理由などない。
でも、たまには目的もなく遊びに行ってみたかったのだ。
目的が勉強ではないというだけで、なんとなく遠足のような、それでいて友達の家に遊びに行くような、そんなワクワク感がある。
まぁ、友達と呼ぶには年齢が離れすぎている気がするが、こっそり心で思うくらいは良しとしよう。
ちなみに俺はもう7歳になり、若くして家庭教師となったファレルは17歳の年を迎えた。18歳になると本格的に家と国のために働くという事だから、会える機会も少なくなるだろう。
だからこそ、ルーナは彼と出かけたかったのかもしれない。
あの男らしい――というか、竹を素手で叩き割るような気質を持って生れたルーナが、好きな相手のために頑張る姿というのはとても新鮮で、可能な限り応援したくなる。
(良いことがあるといいな、ルーナ)
この先、ルーナの攻略対象として出てくる存在は彼だけでは無い。教えられた俺でも覚えているのだから、ルーナも理解しているだろう。それでも今、ルーナはファレルを気に入っている。
誰かに一途になるなら、いいかも知れないな。
そんな事を考えながら、俺は馬車をおりジェラードの館へと歩く。
そういえば以前、彼がよほどの事でない限り怒らない事をいいことに、好奇心のおもむくまま質問攻めにした事があった。
好きな食べ物や、興味のある物事。苦手なものや、果ては好きな女性のタイプまで。
もちろん、最後のそれはうまく濁されてしまって教えてはくれなかったが。
その時、彼が母様より年下なのだと教えてもらった。
母様と初めて出会った時、彼はまだ14歳だったらしい。
14歳といえば日本では中学生。まだ大人ではない……かといって、幼い子どもでもない。大人へと成長しようとする彼は、どんな姿をしていたのだろう。
ちなみにその時の親父殿は23歳。
初々しい恋をした彼が、大人……というより、あの親父殿を相手にしたのか。正直、失恋やむなし、と思うのだが、彼はその傷さえも受け入れすぎている気がする。
ダメだった、はい、次!! ……なんて思えないのが、彼の真面目さと不器用さでもあるのだろう。
それは俺自身にも言えるのだけれど。
気を取り直して、俺は館の扉をノックした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます