第9話 未来のフラグ ②

 最初に見せた姿とは違う、どこか落ち着いた様子であらわれたジェラードを見て、ホッと胸を撫で下ろした。


(誰であっても、つらそうな顔は見たくない)


「……っ、大丈夫か?」


 足早に近づいてきた彼は、何故か心配そうな表情をしている。

 そして、躊躇わず頬に触れた。


 その指先が僅かに濡れる。

 頬に残っていた涙を見て、こんな顔をするなんて。


(噂はうわさ、か)


 俺の中で彼へのイメージが変わっていく。

 マイナスから始まる関係はプラスにも変化しやすい。確かそんな風に習ったっけ。ともかく、今は心配そうにしているジェラードを安心させたくて、微笑んでみせた。


「申し訳ありません、どうやら少し怖い夢を見ていたようです」


 もそもそとベッドから降りると、俺は軽くお辞儀をした。


「ジェラード様、先程は大切なお花を無断で折ってしまい、大変申し訳ありませんでした。その上眠りこんでベッドまでお借りするなんて……。改めまして、私はセラ・ウェインと申します。闇の魔力についてお教えいただきたく参りました」


「セラ」と彼は小さな声で呟く。


 俺の涙で濡れた指先を見つめたまま、長らく沈黙していたが、顔を上げると腰を落とし俺に視線をあわせた。


「……私ではそなたに満足な教えをできると思えない。それに、私はまだここから離れたくはない。それでも良いと望むのであれば、先程の詫びに、この場所へ通うがいい」


 そう言うと、ジェラードは不器用そうに笑った。


 わざわざ子供に目線を合わせてくれたその優しさと、初めてみた微笑みに、どきりと鼓動が強く跳ねる。


 こういう表情をされると、さすがは乙女ゲームの攻略対象。彼もまた目鼻立ちの整った顔をしている。その切れ長の瞳は、笑うとまるで猫の瞳のように、軽い弧を描いた。


 ジェラードは、ファレルのように万人受けする器用なタイプはない。もちろん親父殿のような無駄にグイグイくる暑苦しい勢いも持ち合わせていないだろう。しかし、もし俺が母様だったら、彼女と違った選択をするかもしれない。



 そう、俺なら、多少不器用でも彼のような人を好きになる――。



 ――って!? 誰が? 誰を?

 危ないあぶない、冷静になれ、俺!


 そう! たとえるならば、懐かない猫が初めて近寄ってきてくれたような、そんなささやかな幸せを醸し出す空気に流されかけたが、俺はフラグを成立させる気はない!



(イケメン怖い!)


 一人で百面相をしている俺を見て、ジェラードが笑う。

 自嘲気味にではなく、興味深そうに。


「そうか、そなたはセラ、なのだな」――セシリアではなく。

 そう小さな声が続いたが、おれは敢えて聞き逃す。


 比べなくていい。たとえ誰と似ていたとしても、俺はおれだ。

 いつかジェラードが過去を語る日が来たなら、その時は愚痴くらい聞いてやるから。


 微笑む彼をみているうちに、俺もまた笑っていた。



+ + +



 話してみて気付いたが、ジェラードの口数は少ない。


 今まで周りにいた身近な男性が、親父殿と家庭教師のファレルだったからか、とても新鮮だ。そして彼の表情は乏しいが、その瞳の微かな変化で語るタイプなのかもしれない。

 書棚を眺めながら、ぽつりぽつりと話すうちに、少しずつ彼の緊張が和らいでいくのを感じられる。俺みたいな子供が相手なのだから、変に硬くなられるよりずっといい。


「どうかしたのか?」


 好奇心から見つめ過ぎてしまっていたらしい。

 その視線に気付いた彼は、俺を見て首を傾げた。


「いや、何も。ただ、楽しいなって」


 彼は何もこたえず、その眼だけが細い弧を描いた。


 俺も彼も無理に話す事はしない。もちろん互いに沈黙する時間も流れるが、それは、この時間がつまらないわけではない。不思議とそれが自然な気がした。


 気づけば日は傾き、森の入り口に迎えの馬車がくる時刻が迫る。

 事情はあれど、今日は昼寝までしたせいか、時間の経過が早くかんじられた。


 ともかく、遅れたら心配させるだろう。


 俺はジェラードに挨拶をし、駆け出した。少々はしたなく思われるかもしれないが、子どもなのだから多めに見てもらおう。

 手には、彼から貰った一輪の青い花を握りしめて。



 入り口に着くと、しばらく待っていた様子の馬車の前で、ルーナが立っていた。ともに乗り込むと、中に座る母様が微笑んで「お帰りなさい」と迎えてくれる。しかしその笑顔も俺の手元に目をやった途端に、曇ってしまった。


 そんな母様へどう声をかければ良いか悩んでいた時、ルーナは小さく「気にしなくていい」とだけ言った。



「ところで、その花素敵ね!」


 帰路につく馬車の中、ルーナが俺に話しかける。


「あぁ、ジェラード様からいただいたの。庭園に沢山咲いていて、とても綺麗で。思わず手折ってしまったのに、それを許してくださって」


 ルーナの隣に母様がいるから、話す言葉に気をつけねばならない。二人でいる時のような話し方をしたら、マナーに厳しい母様に叱られてしまう。


 そう思い、ちらと横目で母の顔を覗き見た。


「セラが、自分で……手折った?」


 母様の唇から、その言葉が漏れる。

 美しい顔が、どこか笑いをこらえるように歪んだ。


 その表情を正面から見た俺以上に、母様の隣で座るルーナは複雑な顔をしている。


 そこから先館に着くまでの間、何を話したか覚えてはいないが、ルーナと二人でただただ無難な話しをして過ごしたように思う。



 母様の微かな変化から、目を背けるように。

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