第8話 未来のフラグ①

 目の前で、ジェラードが声を出して笑う。


 額に手をあて、小刻みに肩を震わせながら、ただ自嘲的に。

 そんな彼を最初こそ少し怖く感じたが、今はその姿を見ている俺の胸が痛い。

 なぜ出会ったばかりだというのに、この人はこんなにも苦しんでいるのだろうか。俺は、自分で気づかないうちに、してはならない事をしてしまったのだろうか。


 だとしたら、今この場で謝りたい。


「ジェラード、様?」


 声をかけ、恐るおそる手を伸ばす。

 彼の長衣にそっと指先が触れた。


 俺が、彼の愛した恋人セシリアに似ているといわれるかおをもつ子供だからなのか、手を振りほどかれるほどの強い拒絶はない。


 彼に繋がる指先から少しずつ近づいて、どうにか彼を下から覗き込むような形になった時、いつしかその笑い声は止み、彼の瞳からはとめどなく涙が溢れていた。


 理由はわからないが、これほどまでに俺が彼を傷をつけたのだ。

 未だ癒えないというその傷を、残酷なまでにえぐってしまったに違いない。


(だけど、なぜ?)


 ――こんな時なのに、やはり、どこか自分の過去と重なる。

 彼のように取り乱したりはしなかったが、俺の過去の姿と被る。想いが通じることが無かった相手との、大切な思い出。実らなかった想いでさえ、あんなにも苦しくてたまらなかった。


 それ以上に、彼は苦しいのだろう。


(一人で泣くなよ――あの時はそう言って祐希が頭を撫でてくれたっけ)


 真似をしようと懸命に手を伸ばしてみたけれど、彼の背は六歳の俺には高すぎて、頭を撫でようにも届かない。


 他の方法といえば、弟や妹が泣いていた時によくこうしてやったっけ……。


 俺は迷わず彼を長衣ごとひきよせた。突然の行為に指先からジェラードの緊張が伝わってきたが、それに構うことなく、屈む形となった彼の頭を思い切り抱きしめた。


(俺もジェラードも、過去は過去だ。親父殿や母様のした事は謝れない。だけど……)


「花を折ってごめん」


 可愛らしくは言えなかったが、六歳の子供らしさを想像して導き出した、なかなかの答えだと思った。


 もちろん、ここにルーナがいたら、きっと「謝るのはそこじゃない」と言われ笑われることだろう。

 だけど、こんな子供の俺には話したくない事もあるだろうから。この的外れな謝罪が、彼の涙を止めるきっかけになるといいのだけれど。



 それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。

 俺はその場で座り込み、彼はその膝を枕にしていた。


 頭を抱え込み、撫でているうちにこの姿勢で落ち着いたのだ。


 芝のような感触の背の低い下草に腰をおろしながら、さらさらと絹のよう繊細さの髪を無遠慮に触る。

 これは自慢になるが、セラの髪も長くて艶がある。しかし、ジェラードの髪はそれ以上に手触りがよく、それはまるで上質な毛並みの持った豪華な猫のように、艷やかで柔らかい。


 それにしても、六歳児の膝で泣き疲れて眠る青年。絵面としては少々問題がありそうだが、こういう時くらいなら許されてもいいだろう。


 ふと、別れ際の母様の姿が思い浮かぶ。


 あの美しい母は、俺の膝で寝息をたてているこのジェラードと、どんな恋をしたのだろうか。

 光の加護を持つ母と、闇の加護を持つジェラード。対象的な二人が並ぶ姿は、きっと一枚の絵のように美しかったことだろう。


 ……つい、そこに筋骨隆々なわが父、脳筋ヴァルターを混ぜてみた。


 親父殿の過去の姿を知らないせいか、いまいち絵にはならないが、それはそれで面白い。

 思わず吹きだしてしまった。


 そのせいか、膝の上でピクリとジェラードの頭が動く。


(考え過ぎて心を膿ませるくらいなら、せめて今だけでもゆっくり眠ればいい)


 そろりそろりと静かに撫でる。

 僅かでもいい、傷ついた心を癒やすことが出来るなら。


 しかし、そうは思っても正直なところ暇である。

 闇の魔力の実技とやらも、彼に教えてもらわねば何もできないし、もちろん暇を潰せるものなどあるはずは無い。

 さらにこの場所は、生け垣の隙間から日差しが柔らかく差し込んで、とてもあたたかい。

 ついでに膝の上に感じる、猫のような程よい重さと体温。


 状況はともかく、昼寝にもってこいの環境に囲まれ、気づけば俺の瞼も重みを増していった。



+ + +



 ふわりふわりと世界がゆれる。


 このふわふわには覚えがあった。

 俺達が逝ったあの日、そしてこの世界に生まれるまでの狭間の場所。


 戸惑う前に、祐希がここへと行き先を決めてしまった。

 もちろん、俺の意見が通らないのはいつもの事だ。


 だけど、遠くからで構わないから、せめてひと目だけでも会いたかったんだ。

 こうなってしまう前に、俺を「大事な友人」だと言った彼女に、一度くらい本当の気持ちを言えば良かった。


 関係が壊れる事を恐れて、動くことさえ出来なかった。

 それでも、俺は生きていたのだから、自分の意志で動けたはずなのに。



 だけど、もう叶わない。

 永遠に彼女のいる世界には戻れないのだから。


 俺は、もう、この世界でセラになってしまったのだから。


 伝えられなかった言葉が行き場を無くし、代わりに涙が溢れる。



 俺は、きっと、彼のように泣きたかったのだ。


 密かに想っていた彼女は、叶うはずのない、親友の恋人だった。



+ + +



 久しぶりに夢で見たみた大切な記憶。

 知らず溢れた涙が、耳へと流れる。


 その感覚で目を覚ますと、見覚えのない部屋のベッドの上にいた。

 見渡すと、そこは壁一面に書棚がある、飾りの少ない部屋だった。ベッドの脇にあるテーブルには、小さなグラスに一輪、青い花が挿してある。

 思わず耳に手をあてると、そこにあった花はない。

 つまり、これは俺があの時手折った花なのだろう。


 きっと彼がここに挿してくれたのだ。


 ファレルやルーナから聞いていたジェラードのイメージとは違う、優しさを感じた。


(でも、物語が進行する頃にはまだ心を病んでいるんだよな)


 あんな風に大人が泣き崩れる姿を見て、その傷跡の深さは容易に窺い知る事ができる。


 俺は幸か不幸か、強制的にこの世界へと転生したから、持て余す気持ちごと、足掻いても取り戻せない過去として諦めがつく。だが、彼にとって母様セシリアの存在は辛い現実でしかない。


 しかも、彼女の子供である俺達という存在があるから、より一層「略奪された」痛みとして刺さるのだろう。


(かといって、過去を知らないはずの俺達が気を遣って距離をとるというのも、何か違う気がするし……)


 そう自分の頭を抱えていると、部屋の扉が静かに開く。


「目が、覚めたか?」


 声の先には、穏やかな表情をしたジェラードが立っていた。

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