尾道から神戸へ
新神戸駅に着くと桜ちゃんと別れた。
私と違って桜ちゃんには、迎えが来ていたからだ。きっと彼氏だと思う。お互いの左手薬指に指輪が無かったから。彼氏は見た目、二十代前半から半ばくらいで肌は浅黒い。手放しで男前と呼ぶには少し物足りないような気がしなくはないけど、くっきり二重で足も長く、まあまあ男前と呼べる基準値ギリギリのラインの男だった。
別れる直前、桜ちゃんの連絡先を聞いた。
「普段スマホとか全然触らないんで、返事が遅いと思いますけど、許してくださいね」
大丈夫、気にしないから。と答えたが、多分桜ちゃんに連絡を取る事はないと思う。これは保険のようなもの。御守りみたいなものだから。桜ちゃんは人目もはばからず、彼氏の腕に自分の腕を絡めていて、そういった無邪気さを素直に表現する姿が少し羨ましかった。
「それじゃあ、そろそろ」
「そういえば」私は今更ながら気になったので、尋ねる事にした。
「桜ちゃんは、どうして尾道にいたの?」
少し考えるように桜ちゃんは首を傾げた。
「どうして。って問われると難しいんですけど、なんとなく。っていうのが一番しっくりくるかもしれません」
「なんとなくって、旅行みたいな感じ?」
「旅行ではないですね。観光とかはしてませんし。なんていうか、行かなきゃ。って、そう思ったんです。自分の姓が尾道なのに尾道に行ったことないなって。でも、その考えは間違ってなかったって思います。電車の中で、おじさんに会えましたし、洋子さんにも会えましたから」
やっぱり桜ちゃんの言葉を理解するのは難しい。難しいというよりは不可能に近いのだろう。でも、いつかそれが分かればいいなと思う。
「どれくらい、尾道にいたの?」
「一週間です。一週間って区切りは私にとって、とても大切なものですから」
「そのわりにはおじさんの事とか、物知り顔で話してたけど?」
「えー、もしかして嫌味っぽかったですか? そんなつもりはなかったんですけど。えー、なんか、すみません」
「そんなつもりで言ってないから大丈夫。ただ本当に、なんでそんな事知ってたのかなって。そう、思っただけ」
「毎日電車に乗ってたら駅員さんと仲良くなって、いつも通るおじさんの事を聞いたんです。だから知ってただけですよ」
「なんだ。そんな理由だったの」
「真実なんて知ったらつまらない事ばかりですよ」
笑顔で話を終えた。もう話す事も、ない。軽く手を振って、桜ちゃんが地下鉄に乗り換える為にエスカレーターへ向かうのを見届ける。私はタクシーで家まで向かうつもりだ。ちらっと外を見る。空には雲ひとつない。快晴。人の心境や体調なんてものに影響される事のない自然。
「あの」視線をエスカレーターの方に向けると桜ちゃんが振り返っていた。
「台風って風が強く吹き荒れている方が本体なのかって考えたりしませんか? 中心のいわゆる目って呼ばれる方が本体って感じがしません? でも目って呼ばれる所に、特別なにかがあるわけではないじゃないですか。それって周りの事がなにも見えてない状態みたいだと思いません? 内省的な行動を取っているつもりでも、周囲にはしっかりと影響を及ぼしている。外生的要因を兼ね備えているみたいな。実際、台風ってすごい影響力ですし。正体は掴みにくいけど、どっちもがあって初めて台風であるべきなんですよ。それって人間も一緒じゃないかって、そんな風に思ったんですよ。あの日の私は、台風だったのか、それとも台風の風に巻き込まれただけの木の枝みたいなものだったのか、どっちだったんだろうってよく考えるんです」
桜ちゃんでも悩む事があるのか。当然であるべきはずなのに、なぜかそれを失念していた。
「大丈夫。桜ちゃんは巻き込まれただけの、木の枝だから」
今の私はちゃんと笑えているのだろうか。
「そうですか? ありがとうございます」
あの日、病院から見た桜ちゃん。彼女が向かっていたように見えたコーナン。コーナンは約束の地カナンではなかった。しかしモーセを父が演じて、コーナンをカナンに見立てて、ヘブライ人を桜ちゃんが演じたとする。そうすると確かにあの日、奇跡は起きていたのかもしれない。
私を除け者にして。
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