記憶は、まやかし

「僕がいなくなれば、あの家の呪いは無くなるはずだ。って、お父さんは言いながら泣いていました」

「なんとなく分かってきた気がする。母でしょ? 違う?」

 まばたきを忘れる桜ちゃんの目は大きくて、吸い込まれそうだ。

「そうです。妻が僕に呪いをかけたんだ。って、そう言ってました」


 私が呪いと感じていた言葉たち。それらは父が口にするものだった。しかし、それは母を介していた。父は私を見る時、必ず母を介していた。なぜなら父は母を愛していたから。それは間違いない。ただ、その愛というものは母によって植え付けられたものだったのだろう。矯正的に。母は父を飼い慣らし操っていたようなものだ。自分を深く愛するように仕向け、娘には父を経由させ呪いをかけた。

 なんのために?

「なにか呪いに対して言ってなかった? 父は他に、なにか、言ってなかった?」

「それ以外は、特になにも」

「そっか」

 呪いの根源を辿るには、直接母に話を聞くしかないのかもしれない。でも、今の話を聞いたからか、いくらか気持ちは穏やかで、呪いに対する不快さや不安、恐れのようなものの欠片は私を傷付ける程ではなくなっていた。それは、あの台風の日に私の指を切り血を流させたガラスの欠片とは比べ物にならないくらい小さい。


「あの……」遠慮深く、しかし私の目を強く見つめて桜ちゃんは言う。

「どうして、洋子さんだとお母さんの手助けを出来なかったのか教えてもらえませんか」

 いくらか前にした話。母の顔を思いだす。やはり、それは昔の母の顔だった。

「どうして私が母の手助けを出来なかったのか、どうして私が母に油を差せなかったのか。憧れだったの、母は。確かに、憧れていたのは昔の母で今の母ではなかったけど。それでも、そんな母の劣化していく姿を見るのは、未来の自分を見るみたいで嫌だった。看護師って循環してるって話、したっけ? 看護師のお母さんも、また看護師。私の母も看護師だった。それは私の行き着く未来だって思った。そう。私もまた母みたいに救いという言葉を盾にして、優越感と自己満足を欲する女になるんだって。そう思うと、見てなれなかった。とてもじゃないけど、母の側にずっといる事なんて私には出来なかった。だいたい、そんな理由かな」

「そう、ですか」


 そのまま会話は途絶えた。お互いがお互いに興味を失ってしまったように。結局、新神戸駅に着くまで一言も会話はなかった。ただ、それが不快だったり妙な緊張感を孕んではおらず、むしろ居心地がよかったのが不思議でならない。会話のなかった時間は呪いについて整理し、自分の内に取り込むには十分だった。

 とはいっても、呪いについて答えを出せたわけではない。いまだその全貌は掴めていないとそう思う。きっと、まだ尻尾の先を掴んだに過ぎないのだろう。結局のところ、父の話の又聞きだけでは情報があまりに少ない。会話が出来る状態なのかすら分からないが、母に話を聞かなければいけない。

 私が呪いに対して出来る、せめてもの反抗なのではないだろうか。

 チープな音楽が車内を包んだ。もうすぐ新神戸駅に着く。

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