全ては循環
「どうして尾道に? 洋子さん、神戸が好きだったのに」
「神戸なんて昔から嫌いだったけど? ちょっと南に歩くとすぐに海のにおいがしてくるし、それから逃げるみたいに北に進めば山が行く手をふさいでる。八方塞がりっていうのかな。あんなところにいたら気分が滅入っちゃう」
あれから五年も経っているのに、全く見た目の変わらない桜ちゃんは綺麗で、どうしてあんなに足の筋肉に張りがあって肌は瑞々しいのだろう。今は、多分、三十前くらいのはず。それなのに。
「そうですか? 私は好きですよ神戸。尾道とも似てますし」
「どこが?」
「南は目の前に島がいくつもあるから意識してないかもしれませんけど海が近くにあるし、北に向かえば家とかお寺が多くてこちらも意識してないかもしれませんけど山がある。一緒じゃないですか。洋子さんの言い方で言うなら八方塞がりってやつですよ」
確かにそうかもしれない。
どうして私は今までそれに気付かなかったのだろう。
いや、気付いていた。でもそれを受け入れる事を拒否していた。なぜなのか。それは至極単純。そして稚拙。
「私」
「洋子さん?」
「えっ」
「洋子さん。お父さんの事、自分が原因だと思ってませんか?」
「どうして、父の事を知ってるの?」
「知ってるもなにも、あの日、洋子さんのお父さんに会って聞いたんですよ」
「なんで。なんで桜ちゃんが私の父を知ってるの? 答えて。それに会ったって。ねえ、桜ちゃんはなにを知ってるの?」
どうして桜ちゃんが父を。それに父を、見た。会った。そうして、一体、あの日になにがあったの? それに私が原因じゃない? 私が……私が? なにが? どうして、私じゃない。私がいなければ。父が。母が。家族が。でも、私なんだ。原因は、確実に私が。私が。あの日の父が。あの日の私が。
「ポートタワーの下のあたりで海を見ていましたよ、洋子さんのお父さん。少しお話をしたんです、私」
桜ちゃんは、あの台風の日の話を始めた。
「まず最初に話さないといけないのは、私が病院を抜けた事。あれは本当に申し訳ないと思っていたんですけど、でも、どうしても、もう看護師って仕事に耐えられなくなっていたんです。人を救う仕事であると信じていたんです。なのにそれと同時に人に絶望を与える場であって死を迎える場所であるって矛盾を孕んだ病院にいると、私はだんだん幻覚を見るようになっていました。あの日も私、洋子さんに言ったはずです。領主に犯されそうになったって。あれは真実でありながら同時に虚構でもあったんです。確かに私は犯されそうになりました。でも相手は幻覚の領主。もう死んでいたから当然なんですけどね。でもあの時の私は、本当にそれが起こったと信じきっていました。でも洋子さんといくつかの話をしていく内、徐々に心が落ち着いてきて、私はこれが現実なんだと思えました。そしてこのままじゃダメになってしまう。そう認識できるようになっていました。看護師を辞めよう。そう考えるといてもたってもいられなくなって、病院を抜け出してしまったんです。その節は本当にご迷惑をおかけしました」
頭を下げる桜ちゃんを見ると、あの時の記憶が蘇り飛び込んできた。強風のように強い勢いで。私に。
「一瞬大変な時期はあったけど、結果的にはどうって事なかったよ。なんだかんだ小さなネジが一つなくなったところで、大きな歯車は回り続けてる。ちゃんと時計は時を刻めるから。ちゃんと循環してるから」
「そうなんですよね。そうなんですよ。そういえば、洋子さんのお父さんも同じような事を言ってましたよ」
「父が?」
「はい」桜ちゃんは私から視線を逸らした。
「病院を飛び出した私は魂が抜けたように歩いていて、気付けばポートタワーの下にいました。体や服は思っていたよりも濡れていなかったので、きっとポートライナーで三宮に出たか、タクシーにでも乗ったんだと思います。その時は本当にぼーっとしていたから記憶がないんです。でもそこからの記憶は鮮明です」
「父に出会ったあたりからの記憶?」
「そうです」
「父はそこでなにをしていたの?」
「洋子さんのお父さんは祈ってました。海に。空に。台風に」
私の知らない父の姿。それを桜ちゃんは知っている。知りたい。あんなに父を面倒に思っていたというのに、私は、父を知りたい。
「どうしてそんなところで」
「それは今から話します。でもこの話を聞いてもショックを受けては欲しくないし、それに、お父さんの事を気にしすぎないようにして欲しいんです。お願いです。それがお父さんの為でもあると思うので」
「分かった」
「本当に、お願いしますね」
念押しされて私は言葉に詰まってしまう。でも。どうにか首を縦に振り、桜ちゃんを納得させた。桜ちゃんは私とは目を合わさないまま、語り始めた。私の父の話を。私の父でありながら、私の知らない父の話を。
「洋子さんのお父さんは」
桜ちゃんの話を遮るように、電車が間もなく福山駅に到着するというアナウンスが放送された。
「あっ」
「次で降りるんですか? 私も降ります。というか、洋子さんと目的地は同じかもしれません」
「もしかして、神戸に行くの?」
「やっぱり」
慣性の法則で、私と桜ちゃんの体が揺れる。それをなぜか、とても不快に感じた。
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