暗い過去
邂逅。
それは運命に導かれて行われる、世界の循環の内にある確かな形の一つ。必然や偶然という現象ではなく、必然という偶然、また偶然という必然は流動的な形式を為す。固着する事がないのだ。それは奇々怪々でありながらも、端的に世界の表層部分をこそぎとる要素の一つであると私は認識している。それが明確に起こるというのは、なかなか経験など出来ない。だが今、この場においてはそれがあるのだと感じている。なぜ、あるのか。
存在とは形を為すのか。否、存在とは実体に非ずと思惟の末に至る。形而上という言葉を用いる事が果たして正しいのかは分からないが、存在というものには抽象的かつ超自然的な要素が過分に含まれている。形而下での存在とは当然物質としてあるという事になるのだろうが、以前私が聞いた魂というものの存在を考えると、それは形而下に到底納まるものだとは思えない。
魂に二十一グラムの重量があったとして、それは物質として認めていいのかもしれないが、果たしてその物質として本来備えうるはずの形式は何処にあるのだろうか? この魂のあるという部分に関しては形而下では説明が難しいように思う。まず魂に重量があるのかどうかという問題自体が眉唾物であるし、確証のある話ではないのだから。そこで形而上で魂をあると定義してみようとするのだが、確証を提示できるかと問われるとそれは出来ないのだ。それではこちらも眉唾物であるのかというと決してそんな事はない。形而上というのは感覚を通して存在を知り得ないものであるのだから。イカサマのようであるが、それがあるという事に対する真相なのではないか。もしくは真相の一部分であるのではないかと私は受け止めている。
邂逅に立ち戻る。邂逅は運命に導かれて行われるといったが、運命とはなにか。運命とは命題だ。それは与えられるものなのだ。誰に与えられるのか? それは抽象的な概念でありながら、なんぴとをも凌駕する神と呼ばれるものの意思なのではないか。神が与えし救いなのではないか。私はそれを実感し体全体からその命題に対する解答を欲して救いを得ようとする小さな存在である。
神の意思を告げる伝道師たる桜ちゃんの言葉は、同時に一体の神であり、そんな桜ちゃんの言葉を授かる私は選ばれた人間であるという事に他ならず、粛々と社会から隔絶していく。社会からの隔絶に対しては桜ちゃん、いわんや神の意思でもない。私から発せられたその意思は平生より私に中にありながら発露しなかった願望の具現化であった。具現化といえど、言葉としてであり実体を伴うものではない。しかしそれにどれほど重大な意味があろうか。
邂逅によって生じた私の本来の意思の具現化。その点だけがなによりも重要なのだ。形式主義からの乖離。形而上と形而下における相違。それは私の問題を少しではあるが確かに前進させる一つの術であったといって間違いない。
桜ちゃんは言う。
「さっきのおじさんなんですけど、このあたりじゃ有名らしいですよ。本当か嘘かは知りませんけど、昔に娘さんが事故で亡くなっちゃったらしいんです。娘さんがもし生きていたらどんな女性になっていたかと想像してなのか、車内にいる女性から無差別に誰かを選んでは覗き込んでるらしいんです。でも不思議なもので、見られた女性の誰もが嫌がらないんですよ。おじさんには天性の素質みたいに、見ても嫌がらない女性を判別する能力みたいなのが備わっているのかもしれない。っていうのは私の勝手な想像なんですけど、でもさっきも私は全然嫌だとかは思わなくて、むしろ力になってあげたいとさえ思いました。人に自信を与えるというか、優しくしようって思わせるっていうのは、すなわち優越感をもたらすって事じゃないですか。あんな人がもしかしたら、一番他人を救ってるんじゃないかな。なんて思っちゃったりしましたもん。だって私が大丈夫ですよって言っただけで、おじさんはありがとうって言ったんですよ? 不思議じゃないですか。それって、すごく」
さも、その話が誰もの共通認識として成り立つのが当たり前だというように、にこにことした表情を向けてくる。私にはその言葉の全てを、しっかりと、確実に理解は出来ないのだろう。それは何年経とうとも何十年経とうとも未来永劫いつになっても。
根本的に桜ちゃんの言葉を理解するという概念が間違えているんだ。なぜなら彼女と一緒に仕事をしていた時から、私は彼女と一緒に仕事なんてしていなかったようにすら思うのだ。同じ土俵に立つ事は叶わないのだ。私もまた彼女の受け持った患者の内の一人なのではないかなんて妄想が頭の中を、私の中を、ぐるぐると回る考えは台風みたいに色々なものを巻き込んでいくように思えた。
そういえば、あの日も台風だった。
桜ちゃんと父がいなくなった日。
あの日の記憶は、何度も何度も思い返していたのに。
どうしてあの日が台風だった事を忘れていたのだろう。
どうして、今の今まで忘れていたのだろう。
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