電車の魔法

 電車に乗り込み座席でなんとなしに進行方向を眺めているとおじさんがいた。車内をふらふらと歩いている。一体おじさんはなにをしているのだろう。そう思ったのも束の間、おじさんは帽子を目深にかぶった女性の隣へ座った。不審そうな目を向けているのは私だけではない。車内にいる何人かはおじさんの様子を遠巻きに眺めている。しかしおじさんに声をかけるわけではない。いくら不審に感じたといっても、それは感じるだけであって、そこになにかしらの行動が付随するわけではないからだ。おじさんは女性を横目で舐めるように見ている。さっきホームでスマホの画面に映っていた女の子を見ていたおじさん。あの人物と同一であるとは思えない姿に、私は一度目を強くつむった。目を開いた時、それが嘘であればいいとささやかな期待を込めて。しかし私の目に再び映ったおじさんは同一人物だった。それが私の核を強く揺さぶるのはどうしてなのだろう。私は座席から立ち上がると、おじさんに、というより女性の方へと歩き出した。背中に感じる視線は、感じるだけだ。どうって事はない。

「ねえ、ちょっと」

 と私が口にするのと同時か、それより早く女性が、

「大丈夫ですよ」

 と私に向けてなのか、おじさんに向けてなのか、どちらか分からない事を口走った。

 おじさんは女性に、「ありがとう」と小さな声でいうと何事もなかったように隣の車両へと移動していった。私は唖然とする他ない。

 なにが今、ここで行われたのか。

 知っている。私はそれを、ただそれがあまりに突然の事でこの事象を素直に受け止められていないだけだ。あの頃より年を重ねた事で、柔軟性に欠陥が現れ始めているのかもしれない。

「あなたも救われたりしたいんですか?」

 女性は帽子のつばを右手で少しだけ上げて、小馬鹿にしたような表情で私を見る。その顔には見覚えがあった。いや、見覚えがあるなんて稚拙な言葉を使うべきではない。探していたんだ。そして遂にたどり着いたのだ。

 彼女に。

「桜ちゃん」

 尾道桜に。

「お久しぶりです、洋子さん」

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