歌劇『魂の日』

文月 遥

序幕

第一場 失われた祈り

▼序幕・主な登場人物

リュイス

みなし児の少年。母親が10年前、儀式から逃げて死んだとされている。

偏見なく接してくれる少女ケミィを慕っており、生贄から助けようと奮闘する。


クラーク

儀式を一身に担う祭司長。

今年を最後に、空の街の人々が救われるという託宣を受けた。


ケミィ

クラークの娘。今年の「暁の乙女」に選ばれた。

母親も10年前に「暁の乙女」として生贄になった。


アントニ・カザルス

街の人々を見守る不思議な亡霊。

リュイスのみ、彼と対話することができる。


ロドルフォ

街を見下ろす御山おんやまに住まうと信じられている神の化身。

神の怒りは雪崩となって街を滅ぼすとされる。



○過去〜現代・禁足地

♬Overture

 薄青に照らされる舞台に、演奏者たちがぼんやりと照らされ、序曲を演奏する。【禁足地】のモチーフから、【最果ての地】のメロディ。

 暗がりの中、舞台中央に黒衣をまとったアントニ・カザルスが現れる。アントニは書物に歴史を記し、その場に残す。残された書物のもとに、黒衣をまとった「狼」とクラークが登場。「狼」にそそのかされて、クラークが書物を読み始める。それを横目に、「狼」は舞台中央・祭壇へと上る。


○現代・『空の街』

 序曲が終わると薄暗く明かりがつき、視点は祭壇へと移る。舞台は、極寒の山地にある小さな集落『空の街』。街に住まう空の民は、神の化身「狼」の怒りに怯えて生きている。空の民は、過酷な街の環境は祖先の罪に対する神の罰だと信じ、贖罪のため生贄の儀式「魂の日」を何百年も続けてきた。

 そして今、今年の「魂の日」の生贄が選ばれる時が来た。


 舞台中央後方に祭壇。祭壇には十字架のように『楔』と呼ばれる象徴が掲げられ、怒れる狼のステンドグラスが祀られている。祭壇の後ろ側に「狼」が立っている。


 中央・クラークのみ照らされる。儀式を司る祭司長クラークは、自分の娘を捧げることで儀式を終わらせられると演説する。


クラーク 「我らは罪人つみびと。長い時を償いに生きてきた。『魂を捧げる』。唯一残されたこの伝承に従って、多くの『乙女』の命を神に捧げてきた。……この楔は、触れれば天罰がくだる罪の証だ」


 蝋燭を手に祈る聴衆たちが薄暗く照らされる。

 子供を死なせた夫婦ワマン・ルントゥや、何度も死にゆく生贄を見送った老婆コイユールに気弱な青年ロカ。彼ら空の民はみな、過酷な環境の中「生き残ってしまった」罪悪感から開放されたいと願っている。


クラーク 「(人々の様子を見て)諸君の嘆きや苦しみも今宵までだ。見よ! 『カザルス』、とサインがある。この最後のページを読み解いた時。死んだ『乙女』が現れ、私に伝えたのだ。神の声を!」


 古びた書物を取り出し見せつけるクラーク。民衆、ざわめきと喜び。本当に解放されるのだという確信。クラークへの盲目的な信頼。


リュイス 「そんなの嘘だっ!」


 少年リュイスの叫びは誰にも届かない。クラークはリュイスを無視し、書物を仰々しく祭壇へ捧げる。


クラーク 「我ら『空の民』の、暗く長い歴史は終わる。今日こそ約束の日……『魂の日』だ!」


 リュイス、せめてもの抵抗に、祭壇の書物を奪い去る。クラークは一瞥するが、もはや何も変わらないとばかりに賛美歌を始める。


♫狼の牙

大人たち "Purgamos los pecados de nuestra historia.(罪をつぐなう 我らの歴史を)"

    "Hum..."

ケミィ "Luchamos, peleamos, sangrábamos.(あらそい、いさかい、血を流し続けた)"

   "Montaña envuelta en cólera de Dios,(美しき霊峰 山の神の怒り)"

   "El encarnación del lobo nos muerde.(狼の化身が 我らに食らいつく)"


 俯いて祈っていた民衆たちは、祭壇を見上げながらゆっくりと立ち上がる。五百年前の亡霊・アントニは、犠牲を繰り返させまいと詩を紡ぐ。


クラーク "恐れるは 神の怒り"

アントニ "失われた祈り 偽物の儀式"

コイユール"『暁の乙女』よ 我らに救いを"

アントニ "繰り返すな 過去の日々 我らの過ち"


大人たち"Dediquemos la oración a la montaña.(御山に捧げるのだ 我らの祈りを)"

    "Bailemos y expiemos nos pecados.(踊り あがなう 我らの償い)"

    "La santa alma vuelva a la montaña y yace.(気高き魂は 山へ還り 眠る)"


コイユール"むかしむかし 御山のみもと 禁じられた地で 踊る乙女は"

     "雪崩を起こす 狼の怒り 命捧げて 鎮め 救った"


クラーク「我が娘ケミィよ。此度の『乙女』はお前に託された。」

コイユール「我らの祈りをお伝え下さい」

ケミィ「おばさん、今までありがとう」

コイユール「さぁ、『楽園の門』の先へ。乙女の眠る場所、禁足地へ向かう準備をしましょう」


 コイユール、ケミィへ花飾りを授ける。死ぬことだけが自分の使命だとばかりに、諦めたような笑顔で去ろうとするケミィ。いざ出発という所でリュイスが飛び出し、儀式を妨害する。


リュイス 「やめろーっ!」

ケミィ 「リュイス!?」

ワマン 「あの小僧、またか!」

リュイス 「何が楽園だ。こんなの全部ウソっぱちだ!」


リュイス"夢に見るのは 思い出の歌 取り戻せ ほんとの笑顔"

大人たち"何も知らずに 英雄気取り 親子揃って 邪魔する"

    "これは定め 受け入れなさい いつの日か あなたにもわかる"


 あるものは物分りの悪い子供への苛立ち、あるものは偽善的な説得を試みるが、リュイスの信念は揺らがない。生贄の『乙女』ケミィは、自分が居なくなった後もリュイスが街で安らかに暮らせることを願い、自分をあきらめるよう説得する。


ケミィ"ありがとう あなたの 気持ち 忘れない"

   "賭けてみましょう 『最後の儀式』"

   "大丈夫 少し遠くへ行くだけ 最後は笑顔で"


リュイス「俺はケミィの笑顔が見たいんだっ!」


 『乙女』としてでなく、自分個人をまっすぐ見つめたリュイスの言葉に、驚くケミィ。しかしクラークは儀式の進行を急がせ、ケミィはコイユールに連れられてゆく。


クラーク 「約束の日に何の騒ぎだ!」

リュイス 「止めに来たんだよ! こんなの間違ってる!」


クラーク"お前一人で 何ができる 神の導きは 私だけにある"

    "儀式で変わる 最後の犠牲 繰り返すな 過去の日々 苦しみの歴史を"


リュイス 「ああそうかよ! 家族を次々イケニエにしたもんな。お前はカミサマに愛されてんだろな!」

クラーク 「……こいつをつまみ出せ! 二度と祭壇へ入れるな!」


リュイス、ワマンたちに引きずられ投獄される。アントニは遠くからその様子を見守っている。民衆は年端もいかない少女を死なせる罪悪感から逃げるように、祈りの歌を紡ぐ。罪が罪を生み出す連鎖。


民衆"目を閉じて祈る 罪人つみびとの定め 捧げれば叶う みな救われる"

  "名も知らぬ狼 大地の化身"

アントニ"繰り返すな 過去の日々 我らの過ち"

民衆"神よ我らに許しを 力なき民に愛を 誰か いつか 苦しみに終わりを"


 民衆たち、他力本願な歌を紡ぎながら、ゆっくりとその場を去ってゆく。アントニは街の現状を変えるため、リュイスの下へと向かってゆく。場面は変わり、牢獄へ叩き込まれるリュイス。


リュイス 「ふざけんな、ここを出せ!」

アントニ 「落ち着け、リュイス」

リュイス 「アントニ、お前も何のんきに歌ってんだよ!」

アントニ 「俺が見えてるのはお前だけなんだ。俺はこのギターと同じ。音を出すだけの、か弱い幽霊だ」

リュイス 「なんでもいいから、早くケミィを助けなきゃ!」

アントニ 「落ち着け!」


 リュイス、見たことのない強い口調のアントニに驚く。


アントニ 「今のお前には無理だ」

リュイス 「なんでそんなこと……!」

アントニ 「お前の言葉は、誰にも届いちゃいない」


 リュイスは二の句がつげずに口ごもる。叫んでも暴れても、大人たちに叶わなかった記憶。


リュイス 「……でも、諦めたくない」

アントニ 「(勇気づけるように)、って言ったろ」


 アントニ、リュイスの奪い取った書物を手に取る。


リュイス 「『最後のページ』? そんな紙切れ、どうすんだよ」

アントニ 「これがなんだかわかるか?」

リュイス 「知るもんか。儀式に使うなら、持ってっちゃえばいいと思って……」

アントニ 「これは『楽譜』という。音楽の記録だ。ときに夢を語り、ときに憎しみを奏でる。さあ……これで全部揃った」


 アントニ、最後のページ――恋人と奏でた楽譜を見て、懐かしそうに回顧する。


リュイス 「憎しみ……それでみんなおかしくなっちゃったのか」

アントニ 「いいや。どんな願いも、やり方が違えば壊れてしまう。彼女も……祭壇に縛られた『狼』も。かつては夢を抱いていた」

リュイス 「夢? カミサマが?」

アントニ 「帰る場所がほしかった。この楽譜は、そんな記録なんだ……」

リュイス 「そんなこと……誰も教えてくれなかった」

アントニ 「教えてやるさ」

リュイス 「なあ、それ、ってやつが書いたんだろ。なんでお前が知ってるんだよ」

アントニ 「リュイス。何かを変えたいと思うなら、まずお前が変わるんだ」

リュイス 「どうやって?」

アントニ 「選べ。道を決めるために、真実に向き合え。良いことも悪いことも……全部だ。お前にその覚悟はあるか?」

リュイス 「なんだっていい、ケミィが助かるなら!」

アントニ 「いい言葉だ。なら……俺も一緒に戦おう」


 アントニ、本を手に舞台中央へ。半ば芝居がかったように過去編の開始を告げる。アントニの名乗りとともに、舞台後方の死者たちは舵をとり、過去の姿へ戻っていく。


アントニ 「さあ聞け! これは閉ざされた街の前日譚。五百年前の亡霊が残した戯曲!その亡霊の名は……!」


【Overture・死者のテーマ】

 アントニが本に触れると、再び【最果ての地】のフレーズ。書物の記録をもとに、500年前の『魂の日』の記憶がよみがえる。アントニも黒衣を脱ぎ捨て、五百年前の姿へ戻る。祭壇を守っていた戦士リュイス・ケミィが、祭壇に捧げられた舵を外し、舞台上の羅針盤をめくる。過去編へ。

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