4.あなたの目は笑わない

「へえ、スラグ王立大学って本当おっきいんだねえ」

 伽藍とした教室にのどかな声が響く。

 船で出会ったアリスとクライブとあと二人。

 教授の肩越しにその女を覗き見る。

「どうしたんだ、マヤ?」

 こてんと首を傾げるのはその女の隣に座るクライブである。

「どうしたって……。その人はあの人でしょう?」

 教室のど真ん中で両手を広げていたアリスが声を上げる。

「紹介してなかったね!」

 教授の背中の陰から、アリスによって放り出される。

「私のお姉ちゃんのサラ。あっちがさっちゃん」

窓際で外を眺めていた皐月がこちらを振り返る。彼女は半眼でアリスを見詰めた後にこちらを向いた。愛想のいい笑顔をしている。

「二度目まして、マヤさん」

「皐月です」

 美しい姿勢で頭を下げるサラと、にこにこと笑っている皐月。厭な印象はない。

「あれから色々あってね、一緒にいるんだあ」

「今回だけや」

「酷いよ、さっちゃん!」

 クライブに目を向けると彼は眉尻を下げて笑った。

「とりあえず敵じゃないから、安心していい」

「うん、それなら安心だねえ。じゃあ、お届け物を頂いてもいいかな?」

 教授はクライブに両手を差し出す。

 どうして彼が持っていると思ったのだろう。

 しかし、クライブは困ったように教授に笑いかけて、皐月を振り返った。

 窓の外を眺めていた皐月は身軽に教授の傍まで来て本を渡した。

 本をペラペラと捲って、パタンと閉じる。

「ありがとう。本当に助かったよ」

 満足そうに教授は笑った。

「その本は?」

「ああ、これは昔尊敬していた人がくれた『エリック王物語』の初版本だよ。もうこれは廃盤になってしまったから、無くしてしまうともう手に入らないんだ」

 表紙を丁寧に撫でる。

 大切なものなのだとその仕草から察する事ができる。そんなものを忘れてきてしまうところが教授らしいなと思う。

「ところで、サラ君」

 机に本を静かに置くと、教授はサラの目の前まで一歩で進み出てぴたりと止まった。相変わらずにへらへらしている彼だけれど、空気が変わったのが分かる。

「君はロブの人間だったね。化物を操る少年に心当たりはないかい?」

 サラの目が細くなる。

「彼の傍にくそじじぃも居たそうなのだよ」

 フィトはくそじじぃとは言っていなかった様に記憶している。

 何も答えないサラに教授は更なる情報を加えた。

「少年は白髪のオッドアイなんだけれど」

 サラの眉頭が微かに中央に寄った。私が気付くくらいなのだ、傍にいる教授も気付いた筈だ。サラがルシアナの行方不明の原因を知っているのだと分かると心臓が無駄に仕事をしようと動き始めた。

 本当はすぐにでもサラに問い質したい。その少年とくそじじぃは何者なのだと。

 けれど、締まりのない笑顔を表面上作っている癖にちっとも目が笑っていない教授の纏う空気に気圧されて言葉が出てこないのだ。

 教授とサラが、沈黙の中で何かを互いに探り合っているのを私は勿論クライブ達もじっと見守っているーーのだと思っていた。

「お姉ちゃん、知り合いなの?」

 しかし、アリスはのんびりとした口調で横槍を入れたのだ。ああ、そうだ、この子はこういう子だったのだ。

 アリスを振り返ったサラの表情は見えない。けれどきっと、困った様に笑ったのだろうと容易に想像できた。

「そうね、知り合いね」

 こちらに再び顔を向けたサラは目を伏せて「彼らが何か問題を起こしましたか」と小さく呟いた。

 喉を通る唾が酷く重く感じる。

 オッドアイの少年。どうして忘れていたのだろう。船の中で私は見掛けていた事を思い出した。サラの隣にいたのは帽子をかぶった赤と黒の瞳を持つ少年だった。

 フィトの話を聞いた時、既に教授は気付いていたのかも知れない。

「ここに来ているよ。僕の教え子を誘拐なんてしてくれたのだよ、ね」

 教授の顔を見上げたサラの瞳は今にも泣き出しそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る